第32話 和佳にばれた

 それはとある日の夕方のことだった。

 珍しく和佳から明日夏(あさひ、ではなく)に一本の電話が掛かってきた。

 そして彼女は前置きもほとんどなく、いきなり切り込んできたのだ。


「ねぇ。秋津くん。通っている高校で女装しているって、本当?」

「――――っっ」

 明日夏は内心「うげぇ」と叫んでいた。

 ついに、この日が来てしまった。


 和佳に女装のことがばれる。一番恐れていたことだ。もちろんそうなった場合に備えて、何度も頭の中でシミュレーションしてきた。けど結局良い案が思いつかないまま先送りにしていたら、先にばれてしまった。

 さぁ、どうする? 

 適当なことを言って誤魔化すべきか。

 だが明日夏が高校で女子生徒役をやっているのは、学校のパンフレットにも載ってしまっている、いわば公式が認めたこと。否定したところで、ちょっと調べれば、すぐに嘘だとばれてしまうかもしれない。

 明日夏は諦めて、和佳が聞いてきた部分だけは、素直に認めた。


「う、うん……実はそうなんだけど」

「やっぱりそうなんだっ! ねぇねぇ、見てみたいっ!」

「それはダメっ」

 明日夏は間髪入れずに、否定の言葉を告げた。

 この姿で和佳の前に姿を見せたら、あさひとうり二つであって、その先の絶対機密事項、実は女の子になってしまった、ということが知られてしまう。

「えーっ」

 和佳が電話越しに、明らかに不満そうな声を上げた。その点は心苦しく感じたけれど、これもやむを得ないことなのだ。和佳は基本的に、人の嫌がることはしない。明日夏が「やだ」と断れば、無理強いすることはないだろう。

 実際、そのあともいろいろ聞かれたけれど、何とか受け流して通話を終わらせることができたのであった。



  ☆☆☆



「ははは。ついに和佳にばれたのか」

「もー。笑い事じゃないよ。一樹が言ったんじゃないよねっ?」

 翌日。

 学校からの帰り道に、昨日のことを一樹に打ち明けた結果、予想通り笑われてしまった。

「まだ学校で女装しているって思われているだけで、この姿になっちゃったってことはばれていないんだけど」

「いっそのこと、全部話しちゃってもいいんじゃないか? 和佳なら信じてくれるだろうし、誰かに言いふらしたり気味悪がったりはしないだろ」

「うん。そうだと思うんだけど……でもやっぱり駄目なんだよ。だって『あさひ』の件があるから」

「あー。なるほどな」

 一樹も気づいてくれたようだ。

 明日夏は、あさひという別人物と偽って、和佳の家に泊まりに行くなど、彼女のプライベートに踏み込んで、覗いてしまっているのだ。

 それが目的だったわけじゃなくて、あくまで成り行きでそうなってしまっただけだとしても、軽蔑されても仕方ない。

 黙っていないでとっとと先に打ち明けておけば、こんなことにならなかったんだけど、正直に打ち明けるには抵抗があったし。


「ま、頑張れよ」

「うーっ。他人事だと思ってーっ」

 そんなこんなを話しながら、一樹と別れて家路を向かう。

 だが、もう家の近くということで、すっかり油断していたのだ。

 一樹と別れててしばらくして。


「やっほー。あっ。もしかして秋津くんでしょ?」

「ぎゃぁっ」

 背後から、和佳に声をかけられて、明日夏は飛び上がった。

 まるで待ち構えていたかのように。背後から謎のランニングをしてきた和佳に、すれ違いざま鉢合わせしてしまったのだ。

 もしかすると、付けられていたのかもしれない、と思うほどのタイミング。

 そうだった。和佳は基本的に人の嫌がることはしない。

 けれど、好奇心は人一倍旺盛な性格でもあるのだ。故意にではなく偶然を装って(彼女的に)、明日夏の姿を確認しに来ても、おかしくなかった。


 ところが、そんな和佳の表情がぴたっと固まってしまった。

「えっ、あ、あれ? あさひちゃん……だよね?」

「え、えっと……」

「あれ? もしかして噂の武西高校の女子生徒役の子って、実はあさひちゃんが秋津くんと入れ替わったりしていたとか?」

「えっ、あっ。は、はい。実はそうなんですっ! ずっと入れ替わって生活していたんですっ」

 明日夏はとっさに、あさひのふりをした。

 和佳の勘違いはある意味当然だ。明日夏の性別が変わって、あさひと同一人物なんて考えるより、ずっと現実的だ。

 だからここは、和佳の勘違いを利用させてもらい、そのまま通そうかと思ったけれど。

「へぇ。そうだったんだ。……ん? ということはだよ? 本物の秋津くんは今、あさひちゃんとして、あさひちゃんの高校に通っている、ってこと?」

「あうぅぅ……」

 和佳の言う通り、入れ替わりの設定を生かすと、そうなってしまう。

 男子校で公認の女子役をするならともかく、普通の高校でこっそりと女子として女子と混じって学校生活を送っている方が、ずっと変態だ。


 ――結局、明日夏は諦めた。

「ごめん。今まで黙ってて。すべてを話すよ……信じてくれるか分からないけど」



  ☆☆☆



「そっか。一か月ちょいで、そんなことがあったんだ。大変だったんだね……」

 黙ってずっと明日夏の話を聞いてくれた和佳が、話を聞き終えてそう口にした。

 その労わるような口調に、明日夏は少し拍子抜けして思わず聞いてしまった。

「え、怒ってないの?」

「何で? あたしだけ仲間外れにしたから?」

「えっと、そうじゃなくて。あさひとして色々和佳と……」

「あ、そっか」

 明日夏に言われて、和佳は今更気づいたようだ。


「そうだよねー。あさひちゃんと秋津くんは同じなんだから、あさひちゃんと話したことやしたことは、全部秋津くんも知ってるってことなんだよね」

「う、うん……」

「お泊りして、下着姿やバスタオルだけの姿も見せちゃって、一緒にお風呂も入って……」

「って、お風呂は一緒に入ってないからっ!」

「あはは。冗談、じょうだんだよ。でも、今の秋津くんは本物の女の子なんでしょ? だったら別にあたしの裸を見ても問題ないんじゃない?」

「駄目っ! 問題あるって!」

 なぜか、明日夏の方が慌てさせられっぱなしであった。

 そんな明日夏を見て、和佳がにこりと笑った。


「そういうところ、やっぱり秋津くんだなぁって思うよ」

 本気だったのか、それとも冗談だったのか、その笑みからは読み取れなかった。ただ少なくとも、怒っていることはなさそうだ。

 あからさまな下心があったならともかく、今回のような不可抗力に対して和佳は、ねちねちと文句を言うような性格ではない。もっとも一樹や姉妹には告げて和佳に対して黙っていたという、仲間外れの方を根に持たれそうな気がしないでもないけれど。


「あ、そうだ。ねぇねぇ、これから元に戻るまで、秋津くんのことは、なんて呼べばいい? 女の子なんだから君付けじゃ変だよね」

「う、うーん。そのあたりは適当に呼びやすいようにしてもらえれば……」

「そっかー。んー。あすか・あさひ……だから、間を取って『あさかちゃん』で、どう?」

「……やっぱ、普通に名前で呼んで欲しいです」

 あさひとの二役でも苦労したのに、これ以上名前の違うキャラを増やしたくない。

「うん。分かった。じゃあ、明日夏ちゃんで」

「えっ――あ、う、うん。それでいいよ」

 名字呼びから名前呼びにランクアップして、満足気な明日夏であった。

 ――ちゃん付けだけど。


「……でも残念だなぁ。『あさひちゃん』はいなくなっちゃったのかぁ」

「あ」

 そうだ。わずかな期間だったとはいえ、遊びに行ったりお泊まりしたり、和佳にしたら、あさひは親友だったのだ。目の前に同じ人物がいるとはいえ、それは幼なじみで女の子になってしまった明日夏であって、東京の高校に通っているという高校一年生の従妹のあさひではない。


「ごめん」

「え、いいよ。あたしが勝手に勘違いしていただけなんだから。でもそうだなぁ。謝ってくれるというなら……。じゃあ罰として、男の子に戻るまでの間はあさひちゃんのように、あたしの前では普通の女の子の友達としていてくれること。それでいい?」

「えっ?」

「やっぱりやだった? 女の子って思われること」

「い、いや。そんなことないよ! そりゃ女の子って思われることは複雑だけど、今は普通に女の子のわけだし、もう慣れてきたし……。だから全然オッケーだよ」

「よかったぁ」

 和佳はほっとしたような様子で柔らかな笑みを浮かべた。

 男と女として変に意識してしまう関係より、普通の女友達として接した方が良いかもしれない。明日夏にとっては、むしろご褒美だ。


「それじゃこれからいろいろと準備しないとねっ。そうだ、もうそろそろ七月になるけど、ちゃんと夏服買ってる? 明日夏ちゃんのことだから、男の子のときの癖でまだ何も用意していない……ってことないよね?」

「え、えっと……和佳の予想通り、かな」


「あーもぉ。やっぱり。いい? 女の子というものはね――」

 和佳の長くなりそうな話を聞きながら。

 ……もしかして、口うるさい茜や彩芽がもう一人増えたのかな、と明日夏はがっくり肩を落としていた。



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