第13話 トイレの盗撮騒動
授業の合間の休み時間。
明日夏は足早に女子トイレへと向かっていた。女子トイレは、一年生たちがいる一階にしかなく教室から離れているからである。それは面倒だけれども、最近になってようやく高田や馬場たちが一緒について来ようとすることはなくなってきて、それだけは気が楽だった。
「……とはいえ、結局一年生たちには見られちゃうだけどねぇ」
一年生たちも明日夏の事情を知っているとはいえ、教室で一緒に授業を受けているわけではないので、女子の制服姿の明日夏はレア度が高く、興味本位の視線を送ってくることが多い。これがけっこう精神的に堪えるのだ。
要は慣れの問題なのだろう。明日夏がまだ他の男子どもに比べ女慣れしているのも、年の近い妹と姉がいるためである。共学の男子だって、女子生徒は見慣れているので、ここまで反応を示さないはずだ。
仮にこのまま女子が入学したとして、こうやって毎日のように男どもから見られるのは、きついと思う。
その点では、明日夏に女装させて女子生徒という存在に慣れさせるという、横瀬校長の発想は悪くない。――もちろん、それに巻き込まれた明日夏はたまったものではないけど。
そもそもそのための女装のせいで、謎の女に勘違いされて本当の女子になってしまったのだし。
そんなことを考えつつ、明日夏は足早に女子トイレへと入る。
入ってしまえば、さすがに誰の目もなくなるので気持ちはだいぶ楽である。
個室なのも座ってするのも、家のトイレと変わらない。スカートの中に手を入れてパンツを下ろして便座に座って……
「……ん?」
明日夏はふと手を止める。
便座に座ると向かい合わせになる扉の内側に、昨日まで見られなかった黒いフックが付いていた。荷物を掛けて置けるようなアレである。ただそれにしてはずいぶん低い位置に設置されている気がする。そもそも学校のトイレにこれって必要なんだろうか。
んーって感じで、明日夏は前傾姿勢になりながらそれを見つめていると、不意に不自然な光の反射が目に入った。
……え。これって、まさか……
「って、わぁぁあぁぁっ」
女子トイレに、あまり女の子らしからぬ悲鳴が響きわたった。
☆☆☆
「隠しカメラって、マジか――」
「しっ。こ、声がでかいって!」
明日夏は慌てて一樹の口をふさいだ。
教室までダッシュで逃げ戻った明日夏は、少し迷った末、このことを一樹だけに相談した。ないとは思うが、クラスメイトの誰かが犯人である可能性もあるのだ。
その点では、一樹のことを明日夏はそれなりに信用している。実際、相談したときの反応は、ばれたのを誤魔化そうという感じではなかった。
「で、そのカメラはどうしたんだ」
「あっ。慌てて飛び出したから置いてきちゃった。別に撮られてはいないと思うけど……」
「よし。さっそく見に行くぞっ」
「え、今から?」
「ああ。なんてったって、合法的に女子トイレに入れるチャンスだからな!」
「……ああ。そういうことね。でも、別に普通のトイレと変わらないよ?」
「心配するな。明日夏だけが普段使用していると想像するだけで、十ぶ――」
「変態っっ!」
明日夏の叫び声とともにケリがさく裂した。
当然教室の内の視線が集まるが、すぐに元に戻る。明日夏のツッコミが無差別に炸裂するのは、もう日常茶飯事の光景なのだ。
「おお。痛い。これはヤバいから保健室で診てもらわねば! おい、明日夏。連れてってくれぇっ」
「はいはい。どうせ次の授業をサボりたいだけなんでしょ」
そんなやり取りをしつつ、明日夏は一樹を引っ張って教室を抜け出した。
やはりいつも通りのやり取りのため、クラスメイト達もお気楽に手を振って二人を送り出した。
しばらく時間をつぶし授業時間になってから、明日夏と一樹は例の女子トイレへと入った。普通の休み時間だと一年生たちが廊下をうろついていて一樹が入りにくいからである。
「ほうほう。ここが女子トイレか」
「別に男子トイレの個室と変わらないでしょ?」
明日夏はそっけなく言い放った。けれど、ただトイレに一緒にいるだけとはいえプライベートな場所だからか、まるで裸をみられているような気分だった。
「まぁな。ん、でこれが例の盗撮器か。へぇ。パッと目分かんないな。とはいえ、あからさま過ぎるけどな」
「うん。そうだよね。そのおかげで、ぼくも気づけたんだけど」
「これが設置されているのは、ここだけだな。両隣の個室の扉には着いていない」
「あ、本当だ」
女子トイレの個室は全部で三つ。廊下側・真ん中・校舎の外側だ。何となく危険を感じて、明日夏はいつも真ん中を使用しているのだが、それを読んだ犯行だろうか。
「ちょうどいいや。ぼくこっちで用を足すから。一樹は出て行って」
「はっはっは。問題ない。俺は気にしないぞ」
「ぼくが気にするのっ!」
外側の個室に入って、ばたんと乱暴にドアを閉める。さっき盗撮騒動で用を足し損ねているので、けっこう切羽詰まっていた。不毛な言い争いを避け、実際に水を流して音を誤魔化して、とっとと用を足す。
「なぁ明日夏、ふと思ったんだが?」
「なに? 聞き耳建ててないよね?」
「……いや。それについてはノーコメントなのだが。犯人はこの位置にカメラを設置して何を見るつもりだったんだ?」
「ノーコメントなのっ! ていうか何を見るつもりってそれは……」
その部分をトイレットペーパーで拭きながら、明日夏は頬を熱くする。具体的にその名称を口にするのは、初心な明日夏には刺激が強すぎる。しいて言うなら、「男子高校生の理想郷」とでもいうべきか。いや、実際自分についてしまったのを見ると理想郷というよりは現実という方が……んんっ?
そんなおバカなことを考えて、ようやく明日夏は一樹が言いたいことに気付いた。
「あ、そういうことか。周りの生徒からは、ぼくはあくまで女装をした男子なわけだから……」
そこに映るのは、理想郷でもなくマジモンの現実である。
わざわざ盗撮という危険を冒してまで、男子高校生たちがもれなく十五年以上連れ添って見慣れたものを、見ようとするだろうか。
ということは。
「――つまり犯人は、ぼくが本物の女の子だと知っている、一樹だっ!」
「ってなんでそうなるんだよっ!」
ばたんと個室から出てびしっと指をさす明日夏に、一樹がすかさずツッコミを返す。
ちなみに明日夏もボケ体質なので、立ち位置が逆になることも珍しくはない。
ごほんと咳払いして、明日夏は続ける。
「まぁそれはそれとして。だとしたら犯人の目的は?」
「そっち系の趣味がある奴か。もしくは明日夏の秘密を知っている人物?」
「うっ」
前者もかなりやだけど、後者が存在していたらヤバい。
そもそも今まで気づかれない方がどうかしているような気もするけど。
「で、これは、いつからあったんだ?」
「んー。昨日は無くて、今日初めてトイレに入ったらあったから、その間だと思うけど」
「一年に聞いてみるか?」
ということで、二人はいったん教室に戻って授業を受けた後、再び休み時間に、一階へと向かった。
「えーと。ちょっと、そこの君、いいかな?」
「えっ……あ、秋津先輩……っ?」
明らかに一年生っぽい男子生徒が、明日夏に声をかけられて、ぴんと背筋を伸ばした。その表情は、憧れのアイドルを目の当たりにしたファンそのもので、ちょっと居心地が悪かった。これなら高田や馬場のようなストレートな反応の方が対処しやすい。
明日夏と一樹は顔を見合わせると、詳しい言及は避けつつ、昨日から今日にかけて怪しい人間が女子トイレの前をうろついていなかったか聞いてみた。
「ああ。それはないっす」
「ん、やけにはっきりと断言するな」
「はい! ちゃんと見守ってますのでっ」
「……え。見守ってる……?」
一年男子の言葉にたじろぎつつも、明日夏が聞き返す。
「はいっす! 俺たち一年は今、秋津先輩のことを巡って、二つの教派によって、真っ二つに分かれているっす」
「き、教派って……何それ?」
戸惑う明日夏に向けて、一年男子が誇らしげに説明を加えた。
休み時間、トイレに寄るときに姿を見せる、女子生徒の服を着た可愛らしい先輩は、果たして本当に男なのだろうか。もしかすると、実は女の子なのでは?
こうして生まれたのが、真理派と神秘派である。
はっきりさせて真理を追究しようとするのが、真理派。
一方、謎は謎のまま分からないのが美しいと、そっと見守るのが神秘派だ。
「……そーなんだ」
明日夏はただ、そう声を漏らすことしかできなかった。
自分の知らないところで何をやっているんだろう、という気持ちである。
「そのため、真理派の中でも過激な連中たちが、ひそかに女子トイレに潜り込んで盗撮などをしないか、ちゃんと見張っているっすよ」
「なるほどな。それで怪しい男はいなかったというわけか」
一年男子がこくりとうなずいた。
「これで動機は分かったね。ぼくのことを疑っている一年生の線が強いかも」
一年男子を帰らせた後、明日夏と一樹は情報を整理していた。
明日夏の性別を疑うのは、基本的に男だったときの明日夏のことをあまり知らない人物だ。そうなると校内では、三年や二年生より、ほとんど顔を合わせていない一年生の方が高い。
後は誰がどうやって侵入したのかだけど。
「そうか? 自分で問題提起しておいてアレだが、明日夏のだったら別に男のソレでも、俺的にはむしろアリではないかと、思うのだが」
「……変態」
「はっはっは。それくらいじゃ俺はへこたれんぞ。ていうかマジでそう思っている奴もいるんじゃないか?」
「えーっ。それはちょっと……。あ、でもあの校長なんかはわりとそうかも」
「ああ……確かに」
とそんな感じでやり取りをして、二人して「ん?」となった。
「まさか……」
「校長が?」
「ええ。これは確かに私が設置しましたよ」
「開き直ったっ!」
校長室に詰めかけた明日夏が、トイレから取ってきたカメラ内蔵の物掛けを見せると、校長はあっさりとそれを認めた。
「うちの学校に出入りしている業者さんから勧められましてね。駅のトイレにもたまにありますし、あっても便利かなと。校内の学生用として、必要かどうかは分かりませんが、それほど邪魔になりませんし。何か不都合なことでもありましたか?」
「えっ、えっと……」
校長の口調だと普通に物掛けを設置したように言われ、明日夏は勢いをそがれてしまった。女子生徒にされてから、この校長と顔を合わせることが多くなったが、こういう反応を示すタイプではなかったはず。
「ん? 校長が知らないってことは、その勧めた業者が怪しいんじゃないか?」
一樹も校長の反応にシロだと判断したのか、隣の明日夏に向かって告げた。
「えっ? でもぼくを直接知らない人が、なんでこんなことを……」
「よく話が分かりませんが、あなたを知らない人ではありませんよ。むしろよく知っているというか」
校長がそう言いかけたとき、校長室の扉がノックされた。
そして、明日夏にとって聞き覚えがありすぎる声がした。
「失礼しまーす。校長先生、どうでした、あの物掛け。実はいちど回収したいんですけど……って、あれ? 明日夏ちゃん?」
「あ……茜、姉ぇ……」
扉の所にいたのは、校長の言った通り明日夏のよく知っている人物、実の姉の茜であった。
地元の文具などの小物を取り扱うメーカーに勤めているので、この学校と取引があってもおかしくはない。
そして明日夏が女の子だと知っている人物。そういえば、以前お風呂に一緒に入れなくて、駄々をこねていたけど……
「えっと……もしかして、これ」
明日夏が手にした物掛けを見せると、茜は観念した様子で頭に手をやった。
「あ、もしかして、バレちゃった? てへっ」
「てへっ、じゃなーいっっ!!」
さすがに洒落にならないので、校長に事情を知られないように注意しつつも、明日夏はこんこんと説教をして、姉を反省させた。
その後罰として、そのカメラを使用して逆に侵入者がいないかどうかを茜にチェックさせることになる。その結果、茜から聞きたくなかった報告をたびたび受けることになるのは、後の話。
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