第9話 男装(のつもりで)和佳とデート? 1

「さて、まずは着ていく服だけど……、明日夏ちゃん、身長は前とほとんど変わっていないから、男の子のときの服を着てもそれほど大きく感じることはないと思うけど、やっぱり胸が目立っちゃうかしらねぇ」

「ううっ……そ、そうかなぁ」

「というわけで、ちょっと可哀そうだけど、じゃーん」

 茜が効果音とともに取り出したのは、昨日のうちに買ってきたという、さらし用の布地だった。


 今日は和佳と野球観戦に行く予定だ。

 その出発前、明日夏の部屋には茜と彩芽の姿があった。

 女の子になってしまったことを、和佳には絶対に知られるわけにはいかない。何とか男として一日を乗り切るのため、茜や彩芽に協力してもらっているのだ。


「それじゃあ、ささっとパジャマを脱いでね~」

「う、うん……」

「ほら、お兄ちゃん。胸の前の手をどかして。ちゃんと巻けないでしょ」

「ううっ……」

 姉妹の前に裸をさらすのには抵抗があったけれど、他二人が当たり前のようにしているので、明日夏はしぶしぶ上半身をさらす。女歴が違うとはいえ、自分だけ恥ずかしがっているのが不公平な気がした。

「はーい。それじゃ行くわよ」

 この後のことがあるからか、茜もじろじろ明日夏の身体を見ることなく、素早くさらしを巻いていく。


「うう。きつい……」

 胸が膨らんだとき、男どもの視線を避けるために押し隠した方がいいんじゃないかって思っていた。けど実際やってみると、想像以上にきつくて辛い。

 やっぱり学校では今まで通りブラでいいかと、あっさり妥協する明日夏であった。

 こうして胸の部分は無事隠れたが、茜はまださらしを巻く手を止めない。


「って、あれ? 腰にも巻くの?」

「ええ。女の子はくびれが出来ちゃっているでしょ。だからそれを目立たなくするのよ。胸とお尻は抑えつけて、逆に腰の部分はボリュームを付けてね」

「なるほど……って、なんか極道の女みたいになってる……っ」

 胸からお尻まで、くるくるとミイラの包帯のように巻かれた姿は、ドラマとかで見る男勝りな女性の姿そのものだ。あれが男らしさを出すためにしているのであれば、納得の姿である。


「それじゃ、普通に今までの服を着てみてちょうだい」

「うん」

 言われた通り、明日夏はさらしの上から服を着込む。

 着ていく服は普通のシャツとズボンを選んだ。女性服よりは豊富にあるとはいえ、デートに着ていくような洒落た服も見当たらない。けどあくまで野球観戦ということなので、変に気負うよりは普通の服で大丈夫だろう。

 もちろん、出来るだけ見栄えの良さそうなものを選んだが。


「あー。やっぱりほっとするなぁ」

 女性向けの服と違って、男性向けは単に大きいだけではなく、変に身体のラインを強調していないため、ゆったりとしている。服の下はさらしできついけれど、精神的にはだいぶ楽だ。女性がメンズファッションをあえて選ぶ理由が分かった気がする。 

「へぇ。すごい。確かにこれだけでだいぶ様子が、変わったよ」

 彩芽が感心した声を出す。

「次は髪の毛ね。切るわけにはいかないから、はい、これ」

「うー。またかつらを被るのかぁ」

 これまた昨日のうちに購入したのか、茜から手渡されたウイッグを見て明日夏は嘆いた。

 いっそのことばっさり切ってしまっても構わないんだけど、それは茜が許してくれないだろう。

 何で男なのに男装用のウイッグを付けなくてはいけないんだろうと己の境遇を呪いつつも、実際付けてみると、確かに髪が長いときより男っぽくなった。


「最後に、ちょっとだけメイクしましょうか。女の子の明日夏ちゃんはまだ化粧なんて全然必要のない顔をしているけど、今回は男の子に化けるためだから、特別にね」

 茜はにっこりと笑うと、明日夏の眉やまつげ、頬などをちょこっといじった。

 茜にやってもらいながら、自分で知っておけば後々便利かなと、明日夏は思ったけれど、なにやら複雑そうなので、結局覚えるのは諦めた。

 そして――


「はい。完成。どうかしら?」

「おーっ」

「わぁぁ。前のお兄ちゃんより、格好いいかも」

 鏡の前に立ってみると、最近見慣れてしまった女の子の自分とは明らかに違う姿が映っていた。

 もっとも以前の自分っぽいかといえば、それはそれで微妙かもしれない。女の子にされた際に、顔つきも微妙に変わっているし、肩幅もさらに華奢になってしまったため、以前と全く同じというわけではない。


「でもまぁ、これでも十分かな」

「それじゃ、頑張ってねー。あたしたちも応援に行くから」

「って、こなくていいからっ!」

 明日夏は顔を真っ赤にすると、ささっと荷物を持って逃げるように家を出た。

 デートに保護者同伴なんて罰ゲームは、さすがにごめんである。



  ☆☆☆



「待った?」

「ううん。今来たところ」


 スマホをお互い持っているにもかかわらず、駅前で定番のやりとりを交わす。密かに憧れていたことが出来て、明日夏はこっそりガッツポーズをした。

 和佳は花柄のワンピースにジーンズ生地のジャケットを合わせた服装で、可愛くも活発な和佳によく似合っていた。

 昨日店でいろいろなワンピースを見てきたけれど、こういう組み合わせがあるのかと、女の子歴の差を見せつけられた感じだ。

 自分にも似合うかなぁ……と思わず女の子目線で考えてしまって、明日夏は慌ててその妄想を振り払った。


「そういえば秋津くんとこうやって会うのって、二年生になってから初めてだよねっ。久しぶりだから一瞬分からなかったよ。前に会ったときに比べて、なんか女の子っぽくなった?」

 悪気はないんだろうけど、無邪気に痛いところを突かれた。

「え、えっと。それはちょっと髪が長めのせいじゃないかな。切るのが面倒でのばしてみたんだけど……」

「ああ、そっか。そうかもね」

 苦し紛れの言い訳を、和佳はあっさりと納得してくれた。

 女の子になってしまったことは絶対秘密だが、女子生徒として男子校生活を送っているということも、もちろんシークレットである。

 今日は楽しむことも重要だけど、まずはこれが最優先であった。



 そんなこんなで、二人は電車を乗り継いでスタジアムへとやってきた。

 休日と言うこともあって、球場の外はかなりの人でにぎわっていた。テレビのニュースとかで見ると、それなりに空席が目立つけど、それでも一万人以上の人が入っているわけだから、球場の前にこれくらいの人が集まるのは当然だ。

 まず和佳が手にいれたペアチケットを、チケットセンターまで持っていき、そこで当日券と引き換える。

「あの……お客様?」

「な、何か?」

「いえ……」

 明日夏の姿を見た係のお姉さんが少し疑問に思ったような様子をみせたけれど、特に追及されることなく券を引換してくれた。球場側としても、そこまで厳密に男か女か検査することもないだろう。

 もしかすると普通に女同士でも券をくれたかもしれない。もっともその場合だと、和佳に誘われることも無かったわけだけど。

「さ、早くいこう」

「うん」

 ともあれ、こうして二人は球場へと足を踏み入れた。



「あーっ。惜しいっ!」

 間一髪のアウトに、明日夏と和佳は二人して大きなため息をはいた。

 二人とも熱心なファンと言うほどではないけどそれなりに野球好きで、ともに地元のチームを応援している。そのため緊迫した試合展開に、二人して熱中して、明日夏にとって良かったのか悪かったのかは微妙だが、デートな雰囲気ではなくなっていた。

 試合はロースコアの接戦で、さくさくと進んでいく。

 そんな試合の合間、回の変わるときには、ちょっとしたイベントもある。

 バックスクリーンのビジョンに、お客さんが映し出されるのだ。

 まぁこういうものはたいてい、子供かカップル、ノリの良さそうな団体さんと相場が決まっている。

 明日夏はそんな風にさめた感じでスクリーンビジョンを見ていたら、中性っぽい顔立ちをした女の子が映っていた。ボーイッシュな服装をしているから、もしかすると男の子かもしれない。

 どこかで見た顔のような気がするけど……それなりに可愛く見える。


「えっ、ええっ。あ、秋津くん、映ってる! 映ってるよっ」

「……へっ?」

 急に和佳に肩を叩かれて、明日夏は驚いてビジョンに目を移す。

 カメラがアップから少し引いていくと、興奮気味に隣の子の肩を叩く和佳の姿がビジョンに映った。

 つまりさっきの子は――って、ぼくだったしっ!

 と、気づいたときにはすでに遅く、カメラは別のお客さんを映していた。

「あー。惜しかったねー」

「う、うん……」

 明日夏は柄になくドキドキしていた。

 和佳に肩をぽんぽん叩かれたのもあったけど、ビジョンに映った自分の姿が思っていた以上の容姿だったからだ。客観的に見れば、不本意だけど、一樹や茜の主張を認めないわけにはいかないのかもしれないと思った。



 試合は七回の表まで進んだ。

 ラッキーセブンということで、回の始まりの前に、相手チームの応援歌が流れている。

 明日夏がそれを聴いていると、「はい」と和佳から何かを手渡された。空気の入っていないゴム風船。いわゆるジェット風船だった。さっき和佳が購入していたものだ。ホームチームがそれを飛ばすのは七回の裏。それに備えて、今のうちに膨らませておくように、ということだろう。実際、周りのファンも、ちらほらと風船を膨らませている人が見られる。

 明日夏はそれを受け取って、ちらりと和佳を見た。


「んーっ、んんーっぅ」

 和佳が風船に口を付けて必死に膨らませようと息を送っているけれど、風船が膨らむ様子はない。その頑張って頬を膨らませて顔を赤くしている様子が可愛くてつい見惚れてしまったけど、見ているのは悪いかなと思ってさっと視線をそらした。

 そんな明日夏の手に、また和佳から風船が手渡された。

「うー。これ、無理。秋津くん、やって」

「え?」

 明日夏は目と耳を疑った。

 それって、もしかしなくても、間接キス?

 和佳は気づいているのか? 気づいていても気にしていないのか? 

 口を付ける部分は拭いたのか、さすがに綺麗になっていた。

 明日夏は迷ったが断る理由もないので、そっと風船に口を付けた。


「んーっ、んんっーっ」

 ところが和佳が言った通り、予想以上につらい。ぜんぜん膨らまない。

 かといって、このまま何も出来ないと、男がすたる。

 明日夏の心には、いつの間にか、間接キスなどと言う感傷に浸る余裕もなく、女なのに男の意地を見せるべく奮闘していた。

 一度ある点まで膨らませてしまえば、あとは意外と楽で、無事何とか膨らますことが出来た。

「はぁ……はぁ。はい。これ」

「わぁ。すごい。ありがとー」

 空気の入った風船を明日夏から手渡され、和佳が無邪気に喜んでいる。

 明日夏は何とか男の面目を立てることが出来て、ほっとしていた。

 そんな明日夏の目に、くしゃっと丸まった空気を入れる前の風船が、和佳の足元に置いてあるのに気づいた。

「あれ、これは?」

「あ、これはさっきあたしがやってダメだったやつだよ。この風船。三個セットだったの」

「そ……そうなんだ」

 つまり、明日夏が手渡されたのは新品であり、間接キスじゃなかったのだ。

 明日夏はその吐きどころのない思いを、自分の風船に思いっきり込めた。



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