第10話 男装(のつもりで)和佳とデート? 2

 結局試合は、僅差でホームチームが破れてしまった。

 その点は残念だったけれど、最後まで白熱した展開で、和佳とともに楽しむことができた。

 ぞろぞろと観客たちが立ち上がって、出口に向かって歩き出す。

 和佳と明日夏も荷物をまとめて立ち上がった。


「今、駅に向かってもまだ込んでいるし、先にトイレに寄ってくるね」

「あ、じゃあぼくも」

 和佳の言葉に、明日夏も乗っかった。

 実はけっこう我慢していたのだ。というのも、トイレのことを考えずに太ももまでさらしを巻いてしまったため、用を足すのが面倒だったからである。

 それでも尿意には代えられない。


 和佳と途中で別れて、明日夏はごく自然に男子トイレへと足を向けた。

 まだまだ女子になって数日。ちょっとした懐かしさを感じてしまうのは悲しいけれど、男子トイレの方が入りやすい。なんて言うか、旅行から自宅に帰ってきた感じ? やっぱり男子トイレが一番。

 ぱっと見た限り、女子トイレは並んでいたし、その点も男子トイレ万歳だ。

 ――と思ったんだけど。


「って、な、なんで、混んでるのーっ」

 小の方はそれなりに人が流れているのだけれど、個室には長蛇の列が出来ていた。試合が終わった直後ということもあって、他の客も一斉に集まってきてしまったからだろう。

 とりあえず明日夏は最後尾に並ぶ。

 漫画やらでは、女の子になってトイレの列を体験するという話はよく見るけれど、学校では明日夏しか女子トイレを使用しないため、そのようなことはなかった。

 初のトイレの行列体験が、男装しているときの男子トイレなんて、ひねくれたレアケースである。


(って、そんなことより――このままだと、もしかして――ヤバい?)

 最悪の可能性が頭によぎって、明日夏はさっと顔を青ざめさせた。

 もともと我慢していたせいもあって尿意はかなり限界に近い。隣に和佳がいて座っているときと比べて、トイレまで来れたという安堵感もあり、我慢の緊張も解けてしまっている。

 それに加え、女の子になってから、男のときに比べて尿意が来てからの我慢できる感じが辛くなっているのを自覚しているので、余計やばい。


(ううっ。こうなったら、いっそのこと小便器に……いやいや。無理だって。むしろそれなら、思い切ってかつらを取って女子として女子トイレに……って、そっちの方が絶対混んでいるはずだしっ)

 混んでいる、という条件が無かったら女子トイレに行っていたのか、というツッコミを自分自身に入れてから、よく考えれば今の自分は女なんだし……と思考がこんがらがっていく。


「うううっ……ぅっ」

 だが幸いにも、トイレの列はスムーズになくなっていき、明日夏の前の個室が開いた。

 明日夏は個室に飛び込むと、ズボンを強引に下す。太もも近くまで巻かれていたさらしも強引に上へ持ち上げて自由になったパンツを引っ張る。それとほとんど同時に、トイレの個室内に盛大な水音が響き渡った。


「ふぅぅ……間に合った……」

 明日夏は身体を弛緩させて、股間に目をやった。

 もうすっかり見慣れてしまった女の子のそこ。最初はただ恥ずかしいだけ、今ではただの自分の体の一部という認識であり、その部分を見て変な気持ちになることは、意外にも一度もなかった。

 けれど今日一日男子として過ごしていたせいか、急に本来なら見ることのできない女の子の部分を見て、ドキドキした気持ちが沸き起こってしまった。

 これと同じようなものが、和佳にもあるんだ……と。


「――って、そんなこと考えている場合じゃないからっ」

 ずいぶん時間がかかってしまったのだ。和佳を待たせるわけにはいかない。

 明日夏は邪な気持ちを振り払ってパンツを穿いた。

 問題はそのあとなんだけど。

「うー。さらしはもういいかな……」

 他人に巻いてもらったから、ぎゅぅっと出来たわけで、自分でやるのはきつそうだし。それに強引にずり上げてしまったから、バラバラだし。

 結局、もう帰るからいいかなと、胸の部分だけ残したさらしをそのまま服に詰めたままズボンを穿いて、男子トイレを出た。


「おまたせー。ごめんね。女子トイレすごく混んでいて……あれ? 秋津くんも今? 男子トイレも混んでいたの?」

 トイレから出てきたのは、和佳とほとんど一緒だった。

「うん、まぁ」

 個室を利用したからと素直に言ったら「大」をしていたみたいに思われそうなので、明日夏は適当にごまかした。

 そんな明日夏を、和佳はじーっと見つめると、何かに気づいたかのように首を傾げた。

「――あれ、なんか秋津くん、雰囲気変わってない?」

「ま、まさか。ははは」

「そうだよねー」

 和佳が頭に手をやって「あはは」と笑った。

 ピンポイントに気づいているようではないけれど、やはり思った以上に下半身の丸みが出来てしまい、雰囲気が変わってしまったようだ。


 デーゲームなのでまだまだ時間はあるのでどこか寄って行きたかったけど、あまり時間がたつとバレる恐れもあるので、まっすぐ電車に乗って帰ることにした。まぁこの辺りは球場と駅以外何もないし。

 ところがそこでまた一つ、問題が発生した。



「な、なんかすごい人だね……」

「う、うん」

 駅のホームにはたくさんの人で溢れかえっていた。

 行きの列車はそれほどでもなかったけれど、帰りは、電車で来た人すべてが球場前の駅から電車に乗るため、今まで体験したことの無いような人口密度になっていた。

 一本後の電車に乗ってドア側に立っていたのだけれど、どんどん人が入って来て、あっという間に満員電車になっていく。

 明日夏はドア側に立つ和佳の身体を守るようなポジションを取り、後ろからの圧力に耐えて、和佳に負担がかからないようにする。数駅の辛抱とはいえ、女の子を守るのが男の務めだ。


「秋津くん、大丈夫?」

「うん。へいき。これくらい」

「うん。ありがと」

 和佳が微笑む。

 その笑顔を見ただけで報われた気がした(実際はかなり辛い)。


 どさくさに紛れて和佳の柔らかそうな身体に密着しちゃおうかなという邪な気持ちもなくはなかったけど、それでは痴漢と一緒だと、自重した。

 辛いけど、数駅の辛抱……と明日夏が自分に言い聞かせていたとき、不意にお尻に違和感を覚えた。


 なにかが、当たっている。大きな手のひら。それが明日夏のお尻を包むようにして動いていた。


(う、うそっ。まさか、痴漢――?)

 和佳から不埒な輩を守るためと思っていたのに、痴漢されたのはよりによって、明日夏の方だった。

 ってぼく男だって言うのに。ホモなの? ホモなのかっ?


 けれどそれは明日夏がそう思い込んでいるだけで、痴漢からすれば明日夏は、せいぜいボーイッシュな女の子にしか見えないのかもしれない。

 実際、さらしが解かれて膨らんでしまったお尻は女の子そのもので、痴漢の手が執拗に這い回る。

 さすがの明日夏も、今の自分は女の子だということを思い出した。


(ううっ……)

 仮に和佳に不埒なことをしているのを目撃したら、いくらでも撃退できるつもりだったのに、まさか自分がその被害にあうとは思ってもいなかったため、頭が混乱して、声も出せずに硬直してしまった。

 とそのとき、明日夏のお尻を撫でる手を払うように伸びた手があった。向かいに立つ和佳の手だった。

 痴漢も警戒したのか、それ以上明日夏の尻を触ってくることはなかった。


「……秋津くん、大丈夫だった……?」

「う、うん」

「わぁぁ。びっくりした。男の子でも痴漢に遭うってきいたことあったけど、本当だったんだね」

「ううっ……」

 痴漢から和佳を守るどころか、逆に和佳に助けてもらってしまった。男の面目丸潰れである。

 さすがの和佳も、明日夏の様子に気づいたのか、慌ててフォローを入れる。

「き、気にしないで。ほら、秋津くんって女の子っぽいから、女の子に間違えられたのかもしれないしっ」

「うっっ」

 悪意はないのだろうけど、余計追い打ちを食らってしまう明日夏であった。




「それじゃ。秋津くん、今日はありがとうね。楽しかったよ」

「うん。ぼくも楽しかったよ」

 色々あったけれど、無事男の子としてばれることなく、地元の駅まで帰ってこられることが出来た。

 名残惜しいけど、この身体もあるし、ここでお別れである。

 だがせっかくのチャンス。ただ別れるだけでは終われない。

 明日夏は勇気を出して言った。

「あのさ……また今度……ふた」

「うんっ。今度はみんなで来ようね! たくさんいたらきっと楽しいよっ」


「う、うん。そうだね……はは」


 明日夏はがくっとうなだれつつも、何とか笑顔で返した。

 和佳の言葉に深い意味はないのだろうけど。

 明日夏の思いが届くのは一筋縄ではいかなそうだった。



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