第24話 男の娘の弟子理入り志願

 それはいつのも学校帰りのときだった。

「うう。最近、妙に視線が気になるんだけど……」

「はっはっは。それは明日夏がそれだけ美少女ってことだろ。彼氏として俺も鼻が高いな」

「誰が彼氏だっ! そうじゃなくて、興味本位みたいな感じで……」


 今まで町の外で感じる視線は、可愛い子に向けられるようなものだった。

 けれど最近は、興味本位というか、物珍しさが混じった視線を受けることが多くなってきたのだ。

 もしかすると、この間撮影した高校案内のパンフレットの写真のせいかもしれない。あれのせいで、明日夏のことをごく普通の女子高生ではなく、女装した男の娘と見る人が多くなった、ということはありうる。

 もちろん、それを知って興味を持っている人なんて、ほんの一握り程度だろう。ただ高校の関係者として、女子マネ姿でスタジアムに出入りしたり、同人誌即売会に顔を出したりとしているので、変な噂が広がっていてもおかしくはない。


「なるほどなー。いっそのこと、このまま有名になって、芸能界入りとか?」

「やめてよ。無理だって」

 一樹の冗談に、明日夏はしかめ面で返した。

 本物の女装男子なら、それはそれでコアな人気がでるかもしれない。

 けれど今の明日夏は、本物の女子なのだ。女装男子として有名になって、実はただの女の子でした、とばれてしまったら、炎上必至だ。


「確かに。身近なアイドルがメジャーになるのはうれしいけれど、同時に寂しさも感じるからな~」

「そうじゃなくて! ――ん、あれ?」

 明日夏は歩みを止めた。

 一人の男子が二人の前に立ちふさがるように待ち構えていたのだ。

 制服姿の男子生徒。身に着けているそれは、明日夏たちが卒業した中学校の物だ。つまり彼は中学生ということなんだろうけど。

「あの、明日夏先輩、ですよね」

「うん。そうだけど……」

 明日夏が少し警戒しつつ答えると、その中学生男子はがばっと頭を下げて叫んだ。

「明日夏先輩っ、俺を弟子にしてくださいっ!」

「……は? はぁぁぁっ」



  ☆☆☆




「ほうほう。つまり明日夏に憧れて、君も女装したい、と」

「はいっっす」

 彼の名前は、清瀬清太。中学三年生とのこと。

 やはり中学校に配られた高校案内を見て、明日夏のことを知ってやってきたようだ。


「えーと。女の子の格好になりたいってことだけど、それってどういう意味で……」

 明日夏は清瀬に向け、慎重に問いただした。

 世の中には、性同一性障害を抱える人もいる。明日夏のような校長や学校側の悪ふざけとは違って、真剣に悩み勇気を出して女子の格好をしているけれど、戸籍上は男子という人だって存在する。彼もその一人なのかもしれないのだ。


「はいっっす! クラスの女子たちが明日夏先輩が載っているパンフレットを見ながら、『きゃー。すごい。可愛いー』って大好評だったっす。つまり俺も女装したら、女子たちからモテモテになるんじゃないかと思ったっす!!」

「あー。そういうことー」

 とりあえず、真面目に相談に乗る必要はなさそうなことは分かった。


「うむ。素晴らしくストレートで純粋な動機だ。好感が持てるなっ」

「そだねー」

 明日夏は適当に答えつつ、清瀬の姿を観察した。

 明日夏より若干背は高いが、身長は160センチ前後というところか。身体つきも同学年男子と比べれば、明らかに華奢だ。ただ顔つきはそれほど童顔って感じではないし、うっすら髭の跡も見える。声も男子にしては高めだけれど、女子としては微妙なライン。のどぼとけも目立つし。

 果たして、女装してどうなのだろうか。


「それにしても、明日夏先輩すごいっす! 写真じゃなくてこう目の前で見ていても、女の子にしか見えないっす」

「ど、どうも……」

 そりゃ本当に女の子なのだから当然だ。逆に男子に見せようとするのに苦労するくらいである。

「その完璧な女の子への変身の極意、ぜひ俺に伝授お願いしますっ!」

「えーと……」

 明日夏は口づまった。

 本当は女の子なのだから、女子に見えるのは当然だが、もちろんそんなことは言えない。

 普通の男子が今の明日夏の容姿のように化けるには、化粧やらなにやら大変なはず。彼はそれを聞きに来たのだろうけれど、明日夏は本当に何もしていないので、伝授のしようがない。


「よし。ここは俺に任せろ」

「えー、一樹が?」

 助け舟を出してくれたとはいえ、明日夏は半信半疑で一樹を見つめる。

「ふっ。忘れたか。去年の秋の文化祭。ミスコンで明日夏を優勝させた俺のコーディネートを」

「あ……そういえば」

 一樹の好み通りに着せられた結果、優勝してしまったのだ。あのときの明日夏は、正真正銘の男子だった。

「よし。そうと決まったら学校に戻るぞ。家庭科室にメイクセットやら一式が残っているからな」

「はいっす! お願いしますっ」

「一樹って……謎能力が多いよね……」

 意気揚々と校内へと向かう二人の背中をのんびり追うように歩きながら、明日夏はしみじみと口にした。



「はい。制服、持ってきたよー」

 トントンと普段誰が使っているのかもわからない被服室の扉をノックして、明日夏は中に入った。その手にはさっきまで来ていた女子生徒用の制服。清瀬に着せるためである。そのため、今の明日夏は体操着姿だ。

「おう。悪いな。こっちももう少しだ」

 一樹が振り返る。その彼の向かいには顔をいろいろ弄られている清瀬の姿が。

「……って、わぁ。けっこう雰囲気変わってる」

「ふはは。すげぇーだろ。ようは陰陽なんだよ。紙に描いた絵だって、本来は立体じゃないのに。立体に見えるのは影をうまく使って、陰陽をつけているからだろ。それを顔に転用することで、見た目も随分変わるってことさ」

「へぇ。すごいねぇ。けどそれを言うなら、陰影だよね?」

 まぁ言葉遣いは間違っていても、技術は確かだった。角ばった感じの顔は丸く小さく見えるようになって、髭の跡も見えなくなった。

 ある程度メイクが終わったところで、女子の制服を着させる。背格好は小柄と言え、やや明日夏より大きめなので少し窮屈そうだけど、ちゃんと着こなすことができた。


「おぉーっ。すげぇっす! これが俺っすかっ?」

 姿見の鏡の前で、清瀬が興奮気味に叫ぶ。

 その女子の制服姿で街を歩いていても、じーっと見つめられない限り不審には思われないだろう、というくらいの出来だった。

「はっはっは。足のすね毛は黒タイツで誤魔化してみたが、意外と悪くないな。せっかくだし、今度は明日夏も穿いてみないか?」

「やだよ。暑そうだしきつそうだし」

 ぷいっと顔をそむける明日夏。そんな明日夏を見て清瀬がしみじみと言う。


「けどやっぱり、明日夏先輩の域にはまだまだっすね。男子とほとんど変わらない体操着を着てもその姿。膨らんだおっぱいも本物みたいで、さすがっす。俺がカツラをつけても、到底及ばないっす」

「……あはは。どうも」

 明日夏は内心冷や汗をかきながら、笑い返す。

 まだ男が女装した状態だと信じてくれているようだけれど、実は本当の女子だったと知られたら面倒そうだ。

「まだ隠された秘密があるに違いないっす。その極意を学ぶため、ぜひ一日密着させてもらいたいっす」

「えーっ」

 明日夏は思わず大きなうめき声をあげてしまう。

 そして隣の一気に小声で文句を言う。


「ちょっと、どうするの。これ」

「俺にそんなこと言われても、さすがにそこまでは責任持てんぞ」

 そんな二人の会話など耳に入らない様子で、清瀬が話を続ける。

「それにしても明日夏先輩なら、女の子たちから可愛いって、きゃーきゃー言われまくりっすよね。女の子よりどり好みじゃないっすか」

「えっ、えーと。別にそういうわけでは……」

「はっはっは。明日夏はどちらかというと、不特定の女子というより男たちに言い寄られたり、手玉に取ったりしているな」

「えっ、えぇっ。明日夏先輩って、まさかソッチの……」

「ち、違うって! ここは男子校で女子がいないから、勝手に男子たちが暴走しているだけだって」

「あーなるほど。そういうわけっすか。けど明日夏先輩なら、絶対女の子にもてまくりのはずっすよ」

「そ、そうかな……」

 確かにこの間の中学生女子たちを相手にした学校説明会のときは、それなりに人気だったけれど。ただ、明日夏としては不特定多数の女子より、幼なじみの和佳に好かれたいのだが。


「そうっす! 俺もその頂を目指すっすよっ。クラスでもてもてになるっす!」

 明日夏の気持ちを知ってか知らずか、勝手に盛り上がる清瀬。

 だが彼のセリフを聞いて、明日夏はぴんと来た。

「……ねぇ。ちょっと聞きたいんだけど。清瀬くんって、清和中学だよね。もしかしてそこに、ぼくの妹が一緒にいない?」

「はい。そうっすよ」

 やっぱりそうだった。明日夏はにんまりと笑みを浮かべた。

「うーん。じゃあさっきの密着取材の件だけど、今日一日だけ待ってもらっていい? もしかすると一日置くことで、君の気持ちも変わるかもしれないし」

「わかりました。けど俺の気持ちは変わらないっすよ」

 清瀬は自信満々に宣言した。



 その後、清瀬をもとの姿に戻して、家へと帰らせた。

 明日夏も清瀬がさっきまで着ていた制服に着替えなおして、一樹の前に戻ってきた。

「それじゃ帰ろうか」

「――で、結局清瀬の件はどうするつもりだ?」

「うん。あれなら大丈夫。いい考えがあるから」

 明日夏はにこりと笑って答え、最後にぽつりと付け加える。「彩芽に一つ貸しを作っちゃうけど」



  ☆☆☆



 翌日。

 放課後の約束の時間。校門前に現れたのは、坊主頭で制服も適当に着崩して不良(男っぽい?)格好をした、清瀬であった。

「押忍っ! やっぱ俺、男らしく生きることに決めたっす!」

「うん。そうだねー。それがいいよ」

「押忍っ! それじゃ失礼するっすっ!」


 肩を揺らして去っていく清瀬を呆然と眺めながら、一樹が明日夏に尋ねる。

「……結局、何だったんだ、あれ」

「あはは。ちょっと彩芽に、クラスの中でさりげなく言ってもらっただけなんだよ。『女の子の格好をした男って、気持ち悪い』って」

 毒舌に慣れている家族の明日夏はともかく、女の子にもてたい彼にとっては、好意を寄せているというほどではないにしろ、女子のクラスメイトである彩芽の一言は強烈だっただろう。

 彩芽の方も、意外と積極的に協力してくれたようで、ほかの女子たちもうまく巻き込んで、清瀬の耳に入るに至ったのである。


「ほー。なるほどな。けど彩芽ちゃん、よく協力してくれたな」

「なんか女装男子は、ぼくで懲りたからって。よく分かんないけど」

 一樹の疑問に、自覚のない明日夏はそうお気楽に返すのであった。




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