男子校の姫は苦労する

水守中也

第1話 まずは女装から


「女子にとって男子校は、秘密の花園。つまり一種のブランドなのよ。単純に母体が二倍になるだけじゃないわ。絶対需要があると思うのよ。男子校って。女子の乙女心をくすぐるはずよ」

「……はぁ」


 目の前で熱演するおばさん(校長)に、気おされながら秋津明日夏は気のない返事をした。

 ここは埼玉県西部に位置する、武西高等学校。由緒ある男子校である。

 だが昨今の少子化による生徒数の減少で、廃校の危機を迎えていた。

 そこで昨年就任した横瀬校長は、一つの奇策を生み出した。それが共学化である。来年度から女子生徒を募集しようという話が出て、その準備が進んでいるのだ。


「えーと。共学になった時点で、男子校ではなくなると思うんですけど……」

「それはそれ。これはこれよ。大丈夫。女子が一学年入ってきたくらいで、男子校の残り香はそう簡単に消えたりはしないわ」

「そんなのがあったら、男子のぼくでも嫌です。ってそれより、何でぼくが呼ばれたんですか」


 明日夏が率直な疑問を口にした。

 秋津明日夏。こんな名前をしているが、れっきとした高校二年の男子である。

 身長も150センチ代半ばしかなく、丸みを帯びた女顔で去年の学園祭では無理やり参加させられたミスコン(男子校なのに)に優勝してしまったりもしているけれど、女子校に通っている幼馴染の女の子にひそかに恋をしている普通の男子高校生だ。

 まぁ年相応のやんちゃもしなくはないが、朝のホームルーム前の時間に、特別に校長室に呼ばれるほどの問題を起こしたことはないはずである。


「そうそう、それね。確かに男子校の残り香は必須だけれど、それだけだと入学希望の女の子たちも不安でしょ? それにうちの生徒や教師たちも、いきなり女の子が入学してきたら、混乱するでしょうし」

「そうですね。で、何でぼくが……」

「まぁそれより。ところで、この制服どうかしら? 試作品なのだけど」


 校長はマイペースを崩さず、机の後ろに置いてあった、女子用の制服を取り出した。

 セーラー服に、スカートに、カーディガン。

 スカートはやや明るめの紺色。プリーツ加工が施されていて、裾の辺りに白いラインが施されている。セーラー服は白色で前でボタンを留めるタイプ。襟の部分も青いラインが入っているけど白色で、一見すると普通のブラウスのようにも見えるデザインだ。リボン結びされたリボンは緑色。カーディガンはピンクとクリーム色を合わせたような色で出来ていて、襟の部分を出して着るようになっていた。


「はぁ。まぁ悪くはないんじゃないですか」

 奇をてらい過ぎてもなく、普通過ぎるわけでもない。実際女の子が着ているところを見ないと何とも言えないが。

「そう。気に入ってもらって良かったわ」

 校長が、ぽんと手を合わせる。

「お役に立てたのならいいですけど。制服の感想をぼくに聞くためだったんですか? だったら別に他の人でもいい気がしますけど」

 明日夏の疑問に、校長がさらりと答えた。


「あら? だって自分で着るのだから、気に入ってもらった方が良いでしょ」

「えっ? あ、あの、自分で着るって……」

 校長はにっこり笑って答えた。

「ええ。そのままの意味よ」



  ☆☆☆



「あー。みんなも噂では聞いているかもしれないが、本校は来年度から女子生徒の受け入れを検討している」


 教室の中から、担任の中井の声が聞こえる。

 朝の授業の前のホームルーム。いつもなら出欠を取って終わりの時間だ。

 だが中井は出欠を取ることなく、クラスの生徒たちに語り掛ける。


(……どうしてこうなった)

 それを明日夏は薄暗い廊下の外で聞きながら、足元に目をやった。

 白いソックスが目に入る。その上には生足。もともと薄い方だけど、足の毛は全部剃らされ、肌色が露になっている。で、それを隠すようにゆらゆらと揺れているのは、紺色に白のラインが入ったプリーツスカートである。

 悲しいことにスカートを穿いたのは人生で初めてではない(昨秋のミスコンで無理やり着せられた)が、当然慣れるわけでもなく、月並みだけれどスース―した感じが心もとない。

 頭の上に被せられた黒髪ロングなウイッグのせいで聞き取りにくいなか、中井の話を廊下から聞き耳を立てる。


「だが、今まで男子校だったウチに、いきなり女子生徒が入ってきたら、君たちの反応はどうなのか、不安視する声も多い」

 当然である。

 男子校という飢えたオオカミの中に、可愛い女の子が放り込まれたら、何が起こるか分からない。


「というわけで、君たちに、女子のいる生活を体験して実際問題がないかどうかチェックしてもらうため、今日からみんなと一緒に勉強することになった――秋津明日夏ちゃんだーっ!」


「おおーっ!」

「おおーっ、じゃないっっ!」


 歓声を上げるクラスメイトに向け、教室に入ってきた明日夏はすかさずツッコミを入れた。

 もっとも、無理やり校長に着せられた女子の制服姿はすでにホームルーム前に何人かに見られていたし情報も流れていたため、大きな混乱はなく、返ってきたのは男子校のノリである。


「秋津くん……ではなく、秋津ちゃんには女子として、これから来年まで学校生活を送ってもらう」

「おおぉーっ!」

「おーって、これでいいのか、おまえたちっ」

「もちろん! 俺の念願の夢だっ」


 窓際の席に座る大柄な男子がきっぱりと即答した。

 女子の好みが割れそうな濃ゆい顔をした男子は、明日夏の幼なじみで腐れ縁の、入間一樹である。

 他のクラスメイトも無言で、うんうんとうなずく。


「なんてたって、武西高校の初代『ミスたけにし』だからな。幼なじみの俺としても鼻が高いぜ」

「やかましっ!」


 昨秋の文化祭で行われた自主企画に、無理矢理参戦させられて優勝。

 二月のバレンタイン当日は、なぜか明日夏のクラスメイトたちがそわそわと意味深な視線を送ってきて、トラウマになりかけたくらいだ(もちろん、チョコなんてあげるわけがない!)。


「というわけで、秋津ちゃんの席は、あの窓際の席にしようか」

「元々ぼくの席ですが」

 なぜか転校生のお約束の流れになりながら、明日夏は席に向かう。

 周りからの視線を痛いほど感じつつ、席まで歩いていると、前の席の一樹がワザとらしく明日夏の足もとに何かを落とした。

「おおーっと。消しゴム落としたー」

「はい」

 一樹がそれを拾おうと手を伸ばす前に、明日夏は素早く拾って、一樹に冷たい目を向ける。

「早ええよっ。それじゃ取ろうとして下から覗けないだろ」

「覗くなっ! ていうか、馬鹿なの?」

「まぁまぁ。お約束ってやつさ」

 一樹がお気楽に笑う。

「それよりさ。明日夏がさっき、しゃがんで消しゴム拾ったとき、後ろで高田と馬場がのぞいてたぞ」

「なっ?」

 明日夏が振り返ると、二人は明らかに顔をそらしやがった。

 一樹だけじゃない。バカばっかりだった。



  ☆☆☆



 こんな異常な状態でも、いつも通り授業は行われた。

 クラスメイトの暴走もさすがに授業中になれば収まった。

 ただ明日夏に向けられる壇上の教師の視線がいちいち気になった。教師陣まで男子校の毒に侵されているのだろうか。確かに生徒たちより男子校歴は長いはずだけど。ただ、見られる立場にもなってほしい。

 それでも何とか授業も終わって、休み時間である。

 うーん、と伸びをして、明日夏が机の上の教科書を片付けていると、さっそく一樹が寄ってきた。

「よぉ。明日夏。って、おぉっと、手と足が滑った――」

「わぁっ。痛っ」

 わざとらしく一樹が体勢を崩し、その両手が明日夏の胸の部分に当たった。

「ほうほう。これは……」

「って、何してるのっ!」

 わしわししてくる一樹の手を、ぎゅっと抓って跳ねのける。

「これはこれで悪くないが、女装するなら偽乳くらい入れておいた方がいいぞ。不格好じゃないか」

「やかましっ」

 明日夏がツッコミを入れると、脇から上石や神井らの声が上がる。

「そうだ! 無いのがいいんじゃないか。全国の貧乳まな板女子に謝れっ!」

「……いや。それはそれで、失礼な言い方な気もするけど」

 不毛な争いを横目で見つつ、明日夏はぽつりとツッコミを入れた。ちなみに明日夏の好みは貧乳でも巨乳でもなく、ほどよいおっぱい、適乳である。

「せっかくなんだし、ブラを使えば、見た目だけでも盛ることは出来るだろ」

「むぅ。確かに貧乳女子が涙目で、こっそりブラで盛っている姿は萌えるよな」

「うんうん」

 上石と神井があっさりと篭絡され、一樹を含めた視線が明日夏に集まる。

「やだよ。何とか上の下着だけは阻止したんだからっ」

 ぷいっと明日夏はそっぽを向いた。

 実は制服を着る際、一樹と同じようなことを校長に勧められたが、そこは男の尊厳を守ったのだ。

 だが、明日夏のその発言に、一樹は含まれた意味に気付いたようだ。

「ん? 上だけはってことは……もしかしたら下は?」

「って、見るなっ! めくるなっ!」

 明日夏は、太腿に乗っかったスカートの裾を慌てて抑えようとする。

 だが一瞬、遅く、その生地は一樹によって捲られてしまった。

 そこから露になったのは、明らかに女物の下着だった。

「ぐはぁっ」

「って、男が穿いたパンツを見て興奮するなぁっ!」

「いやいや。これはこれで……」

「……ていうか、パンツとブラだったら、普通死守する優先順位、逆じゃね?」

「ああ――だが、そこがいいっ」

「ああああ。もぉっ!」

 明日夏はがたんと椅子を倒すようにして立ち上がった。

「ん、どこに行くんだ?」

「トイレ」


 そっけなく明日夏が言い放った途端、教室の空気が一変した。

 教室内のみなが、無言で一斉に立ち上がったのだ。


「――って、まさか一緒についてくるつもりっ?」

「ああ。別におかしくないだろ。連れションなんて」

「うんうん。男同士だし。全然普通だ」

「そーだ、そーだ」

「……言っておくけど。校長から新しく作った女子トイレを使用するように、って言われているからね」

 明日夏の一言に、男どもは崩れ落ちた。

「はぁ……何なんだ、これ……」

 一日目にして、早くも心が折れそうになってきた明日夏であった。




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