第2話 本当の女子になってしまった

「はぁ……やっと終わった」

 帰りのHRが終わり、明日夏はぐったりと机に突っ伏した。ウイッグの毛が顔に掛かって鬱陶しいが、直す気力もなくなっていた。

 ともあれ、女装しての一日の授業がようやく終わった。

「よぉ。ずいぶん疲れた様子だな」

「……うん。一樹たちのせいでね」

 軽口を叩く一樹に対して、明日夏は恨めしげに返した。

 とにかく大変な日だった。

 結局女子トイレにも入口まで付いてこようとするし、昼食時には群がってくるし、休み時間は他のクラスや学年から、見学者が訪れるし。どさくさに紛れて何度かスカートをめくられるし……。

 男が女装しているのを見て、何が楽しいんだろう。


「まぁ。さすがに初日だからな。毎日これが続くことはないだろ」

「そう思いたいけどね」

 明日夏は嘆息した。

 女子(偽物)が学校内に存在するだけでこんな暴走が起こるのなら、確かに、校長の言う予行練習は必要かもしれない。

「それにしても、校長に言われたからって、よく女装のこと引き受けたな」

「まぁ、学費のことや、その他もろもろの裏取引があったし。ていうか単純に、ちょっとした受け狙いのつもりだったんだけど……」

 代り映えのない毎日にちょっとした刺激を……という軽い気持ちで了承したのだが、周りの反応は明日夏の予想の上を行っていた。女装姿で教室に入ったらブーイングの嵐で、すぐに計画は破綻となり、着替えさせられると思っていたのに。

 この調子だとしばらくは……少なくとも明日も女子の制服を着て学校生活を送る羽目になりそうだ。

「はっはっは。俺としては明日夏の可愛らしさが全校に知れ渡って鼻が高いぞ。だが秘密にしておきたい気持ちもあったから、少し複雑だな」

「秘密にしておきたいんだったら、女装コンテストに出場させるなっ」

 そもそも、それが元凶なのだ。

「まぁ、それはさておいて。帰ろうぜ」

 明日夏と一樹は帰宅部だ。授業が終わったら学校に用はない。

 二人は幼なじみで家も近所のため、特にそれぞれに用事がなければ、いつも一緒に帰っている。


「うん。あ、ちょっと待ってて。この女子の制服、着替えてくるから」

「……は?」


「って、なにその反応! まさかぼくにこの格好で帰れ、と」

「当たり前だろ。何のための制服だ」

「クラスメイトに慣れさせるためだよ!」

 明日夏は即答した。

 学校から出れば、もう必要のないはずだ。


「うむ。そうだ。だがお前の様子を今日一日観察してきたが、やはり女っぽさが足りない。学校の外でも、お前は女子としての自覚を持つべきだ」

「女子じゃないし!」

「それと、椅子に座っているとき膝をあけすぎだぞ。休み時間、椅子に座ってのあぐらなんて以ての外だ。他の男子に変な目で見られていると思うと、お父さん気が気でないんだぞ」

「誰がお父さんだっ!」

 はぁはぁとツッコミ疲れで大きく息を吐く明日夏。

 そんな彼に向け、一樹が無慈悲に告げた。


「あ、言い忘れていたが、お前の制服は俺が預かっているぞ。家までちゃんとその格好で帰るまで付き合えって、中井や校長に言われてな」

「うう」

 明日夏はうなだれた。

 すでに外堀は埋められていた。



  ☆☆☆



「うーん。女の子が横にいるだけで、いつもの道が違った景色に見えるぞ」

「どうも」

 上機嫌の一樹の横で、明日夏は膨れ面だ。

 学校の中は見知った人間だ。彼らは自分のことを知っており、女装している理由も理解している。

 だが町の人はそうではない。もし男の子だとばれたら、女装して町を歩いている変態呼ばわりされてしまうかもしれないのだ。

 だが幸いなことに、すれ違う人々が変な目で明日夏を見ることはない。それはそれで複雑だけど。

「なぁ。せっかくだし、何か食っていかないか?」

「んー。まぁ、あそこの鯛焼きくらいだったらいいよ」

 一樹としては、少しでも女子制服姿の明日夏と一緒にいたいのだろうが、それに付きやってやる義理はない。けれど買い食いくらいだったら、明日夏も歓迎である。

「よし。じゃあ行こうぜ」

 一樹も異論はないようで、何人か人が集まっている鯛焼き屋へと向かう。学校と駅を結ぶ商店街にある鯛焼き屋で、テレビやグルメガイドにも紹介されることの多い人気店だ。

「男らしく、女の子に奢ってもいいんだよ?」

 そんな彼に、明日夏は冗談めかして言ってみた。

 すると一樹は逆に感動した反応をした。

「おお。そうやって都合の良いときだけ『女の子』を武器にするのって、いかにも女の子っぽくていいなっ」

「……やっぱ、いい。払う」

 ということで、一樹はオーソドックスな餡の入った鯛焼き。明日夏は期間・数量限定の白桃味を注文した。女の子云々ではなく、元から甘い物は好きなのだ。

「看板に、天然鯛焼きって書いてあるけど面白いねー。天然じゃないと養殖なのかな」

「ああ。なんでも一枚一枚型で焼く方法が天然で、たこ焼きみたいに一気に流し込むのが養殖みたいだぜ」

「ふぅん。そーなんだ」

 そうこう話しているうちに、鯛焼きができあがった。

「わぁっ、熱い。でも凄くいい匂い。美味しそうっ」

 明日夏が指先を小刻みに動かしながら、鯛焼きのしっぽにかじり付こうとする。

 そのとき、背にした鯛焼き屋の前で、女性の断末魔の悲鳴が響いた。


「のぉぉおぉおぉぉっっ。う、売り切れとは……ここまで来て……!」


 何事かと振り返ると、ゆったりとした服を着て、腰まで伸びる黒いストレートの髪型をした、どことなく平安顔っぽい、年齢不詳のお姉さんが、頭を抱えて叫んでいた。

「どうしたんですか?」

 何となく気になって明日夏が尋ねると、その女性は明日夏の手元をじっと見つめて、弱々しく呟いた。

「さ、最後の一個が……わざわざ遠方より訪ねたというのに……っ」

「もしかして……こ、これ?」

 明日夏の言葉に、女性がこくこくとうなずいた。

 どうやら白桃餡の鯛焼きは人気商品のようで、ちょうど明日夏の分で売り切れてしまったようだ。

「あのー。もし良かったら、これ、食べます?」

「いいのか?」

 聞いてくる一樹に、明日夏は「うん」とうなずく。

「別にいいよ。ぼくはまた明日寄ればいいんだし」

「おお。かたじけない! お主、なかなか良い奴じゃな。恩に着るぞ」

 どことなく古風な話し方をして、女性は鯛焼きを受け取ると、まだ熱いはずなのに、気にしたそぶりもなく大きくかぶりついた。

「うむ。うまい! 白桃の風味・香りが皮にも及んで、見事な相乗効果を生みだしておる」

「はは。良かった。それじゃ僕たちは……」

「まぁ待て。せっかくだ。菓子の礼にお主の願いを一つ叶えてやろう」


 立ち去ろうとした明日夏たちに向け、女性は奇妙なことを言い出した。

 彼女は素早く鯛焼きを食べ終えると、じっとした視線で、明日夏を見透かすかのように凝視する。


「……ふむふむ。なるほど。お主、容姿のことで悩んでおるな……」

「えっ? どうしてそれを……」

「おいおい、もしかして明日夏のこれがバレたのか?」

 明日夏と一樹が顔を見合わせて驚きの声を上げる。

 初めは女子の制服姿のまま学校の外に出ることに不安があったけれど、しばらく街を歩いても特に誰からも指摘されることが無かったので、油断していた。

「いやいや、皆まで言うではない。そういう輩は古今東西、どこにでも存在するのだ。気に病む必要はない」

「はぁ……」

「だが苦労もあるであろう。よし。鯛焼きの礼に解決してやろう。ついて参れ」

 そう言って、女性はすたすたと路地に入っていく。一人勝手に語り出しては納得している様子に、明日夏は一樹と顔を見合わせて、何言っているんだろうと言う表情を見せる。

「ほれ、何をしておる。早くせい」

「は、はい」


 だが女性にせかされて、つい明日夏はついて行ってしまった。

 もしこのとき女性を無視していれば、もしくは彼女の勘違いに気づいていれば、こんなことにならなかったのに、と未来の明日夏は後悔することになるのだが。


「よし。そこでよい。そこに立ってじっとしておれ」

「う、うん」

 女性は、なにやら両手をしゅっしゅと動かして、印のような物を作る。そして「そりゃ」という気の抜けたかけ声とともに、その手のひらを明日夏に向けた。

 そのとたん、まぶしい白い光が、明日夏の身体を包み込んだ。

「うわっっ」

「お、おい。あんた、一体に何を……」

「心配するではない。すぐ終わる」

 一樹の問いかけを軽くいなし、女性は明日夏に視線を向ける。

 彼女の言葉通り、しばらくして光は弱まってきた。

 そこに立っていたのは、さっきまでと変わらない、女子の制服を身にまとった明日夏だった。


「お、おい。大丈夫か?」

「う……うん。たぶん。平気、だと思うけど……」

 どことなく明日夏は身体に違和感を覚えていた。

 それは一樹も感じ取っているようで、まるで間違い探しをしているかのように、じっと明日夏を見つめる。

 明日夏もぱたぱたと自らの身体を触って、急にその顔を青ざめさせた。

 先に気づいたのは明日夏の方だった。


「ん、どうしたんだ?」

「む、胸が……」

「おお。すげぇっ」

 それに気づいて、一樹が歓声を上げた。

 女子の制服を着ているとはいえ、男の明日夏なのだから、胸元は当然ぺったんこだった。だがそれが今は、拳一握り分くらい、内側から押し上げられるかのように、制服の胸元が膨らんでいるのだ。もちろんさっきまでの明日夏にはなかったものだ。しかも何かが挟まっているのではなく、明らかに自分の身体の一部が服を押し上げている感覚があった。

 だが明日夏の体に起こった異変はそれだけではなかった。

 不安げな表情を浮かべながら、明日夏は他の部分も触る。お尻もどことなく丸みを帯びて膨らんでいるような気がする。元々高めの声もさらに高くなって、普段は気にしていなかった喉仏もなくなっているような気がする。

 そして最後に、そっとスカートの上から、股間に手をやった。

 いつもの十五年間連れ添っていたそれの感覚がなくなっていた。


「お、女になってるーーっっ??」

「何を驚いておる。お主が望んでいたのじゃろう。男子なのに女子の服を着て。そこまでして女子にあこがれるとは、健気な奴じゃ」

「えっ? い、いや、これは違うんだってっ!」

「ほっほっほ。照れるでない。さらばじゃ」

「ちょ、ちょっと待――」

 明日夏の言葉むなしく、女性の姿はまるで霧のようにすぅっと消えた。

「き、消えちゃった……」

「化け物か神様の類だったのか、あれ?」


 突然の出来事に、一樹が呆然としている。どこか現実感がない様子だ。

 それは明日夏も同様なのだが、自らの身体に起こった変化が事実として突きつけられているため、我に返るのが早かった。


「そんなことより、これをどうにかしないと!」

 あの女性の正体より、自分のことの方が一大事だった。

 だが一樹は、どこか気の抜けた様子のまま、ぽつりと言った。


「ま、いいんじゃないか。どうせ女の子の格好をするわけだし」

「良い訳あるかぁぁっっ!」

 町の路地に、正真正銘女の子となった明日夏の、甲高く可愛らしい叫び声が響いた。


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