第48話 再会と決断 - 後編
「よぉ。明日夏、学校行こうぜ」
「……普通だね」
「ああ。考えても仕方ないしさ」
翌朝。家の前まで迎えに来た一樹は、いつものように笑って答えた。
――普通といっても。こうやって一樹が家の前まで迎えに来ることは、めったになかったけど。
あの女性との会話の後、明日夏はそのことを一樹や和佳、そして茜と彩芽にも話して相談してみた。
だが返ってきた答えは、一様に「明日夏に任せる」だった。
「明日夏がどう判断しようと俺はその判断を尊重する。だから、俺からは何も言うことはない。例の女性のところにも明日夏だけで行ってくれ」
「う、うん」
それは一樹にしては珍しく、固い意志に感じられた。
その心遣いが嬉しい。
けれど、自分の意見が明日夏の意志に影響しないように、という思いからだろうけれど、何か相談しても何も答えてくれないのはつらい。
和佳にも同じように、例の女性に会って結論を出すまで会うことも話すこともしません、ときっぱり言われちゃったし。
茜と彩芽の場合それぞれ、女の子のままでと、男に戻ってほしい、と一緒に暮らしていただけあって、二人がどう思っているかは何となくわかっているけれど、やはり二人とも自分の意見を直接告げることなく、明日夏の判断に任されることになっていた。
学校はいつも通りだった。
高田や馬場たちがいつものノリでセクハラしてくるのをあしらって、女子更衣室で着替えて、女子トイレを使用する。もうすっかり慣れた光景だ。
けれど男に戻ったら、今日のことも、これまでのことも「無かったこと」にされて忘れてしまうのだろうか。
それはやっぱり寂しい。
だからといって、女性として生まれた設定にしてしまえば、今度は男子として女装に至るまでのすべての期間の記憶が、女性として生活したものに置き換わってしまうという。
その記憶がどのようなものなのか分からないけれど、物心ついてから今日までの日々を思い出すと、やっぱり寂しい。
そういえば、仮に男に戻った場合、学校での生活はどうなるんだろう。
なんて思ったけれど、女装を始めたのはあの女性と会う直前だから、結局女装していることは変わらないのだろう。
じゃあどっちにしても、女子トイレとお別れ、ってことはないのかな。
そんなことばかり考えて、授業がほとんど頭に入らないまま時は進み、あっという間に放課後になってしまった。
一樹は生徒会の仕事があると言って、すぐに教室を出て行った。
おそらく明日夏を一人にするためだろう。
けど大丈夫。一日中考えて、明日夏は一つの結論を導き出していた。
あとはそれをあの人に告げるだけなのだから。
☆☆☆
「これまでのことを、無かったことにして」
商店街から外れた薄暗い路地の一角。
昨日の言葉通り、そこで待っていた例の女性に、明日夏ははっきりと告げた。
他の通行人がこっちに来ることもなく、商店街の喧騒もほとんど耳に届かないのは、何か力を使っているからだろうか。
「それはつまり、女子ではなく男子に戻る方を選んだということじゃな? それで良いのか?」
「うん。元に戻るだけだもん」
「そうか」
「ちなみに、やっぱり女の子になってからの記憶は残せないんだよね」
「うむ。無かったことになるのだからな。お主が言うことは、記憶を残すではなく、新たに作り出すことになってしまう。だがわしたちでも、人の記憶を自由に作るのは不可能なのじゃ」
「そっか」
昨日聞いていたけど、仕方ない。
残念だけど、何だかんだで楽しかった女の子の生活は無かったことになってしまう。
けどもともと現実では考えられないような夢オチでもおかしくないような話だったんだし、これで良いはず。
それでもやっぱりいろいろな未練のある明日夏は、別のことを聞いてみた。
「女性に生まれてきた世界観も作れるって言っていたけど、その場合昔のことはともかく、ぼくが女子になってから今日までの出来事の記憶はどうなるわけ?」
「さぁ。そこまでは分からぬ。何度も言っておるが、わしは記憶をいじれるわけではない。その世界の設定に記憶もなぞらえるだけじゃ」
やっぱりダメみたいだ。
それにしても。一度男から女になった人間一人を再び女から男に戻すことができないので、だったら生まれたときからずっと女だったという世界に変えちゃえ、というのはすごい力技だ。
もっともそれは明日夏の立場からの考え方であって、この女性にとっては世界を変えちゃう方が簡単なのかもしれないけれど。
そんなことを考えていたら、ふとあることを思いついた。
「えーと、ちなみに、ぼくが女の子として生まれたという世界に変えるんじゃなくて、普通に男として暮らしていたぼくが、あのとき女の子にされちゃったけど、それを「そういうもの」で済まされるような世界にはできないの? 世界観の変更は、今日このときから。そしたら今までの記憶はそのままで済まされるんじゃないかな」
明日夏は何となく言ってみた。
もちろん単に聞いてみただけで、期待はしていない。都合良すぎるし。
だが返ってきたのは意外な言葉だった。
「ああ。できるぞ」
「え」
「むしろ時間軸をさかのぼらなくて良いのだから、わしとしてはずっと楽じゃな。……ん、どうした?」
「あ、じゃあそれで」
「っておい、軽いの!」
さすがに女性からツッコミが入った。
「――じゃが、それでいいのか? その道を選ぶということは、結局、お主は女として生きることになるのじゃぞ」
「まぁ、女の子に慣れちゃったから」
明日夏は笑った。
自然に漏れた笑みには迷いの色は感じられなかった。
それを見て、女性もうなずく。
「うむ。お主がそう決めたのなら。わしからはもう何も言うことはない。それでは、やるぞ――」
「うん」
☆☆☆
「……はぁ。なんかいろいろあって、疲れた……」
女にされたときと違って、明日夏に関しての一部の世界観が変わっただけなので、まだそれを実感する機会もないまま、精神的な疲労のせいか、重い身体を引きずるようにして、明日夏は自宅へと戻った。
「ただいまー。って、えっ、どうしたの、みんな集まって?」
玄関を開けると、靴がいっぱい並んでいた。
帰ってきた明日夏を出迎えるように、茜と彩芽、そして一樹と和佳も姿を見せた。
「いやぁ。やっぱ明日夏がどう判断するか気になってたからな。それにその判断で俺たちの記憶も変わるって聞いていたから」
一樹が言う。それでみんなして集まっていたようだ。茜も会社を早退してくれたのだろう。
「でも結局、どうしたんだ? 和佳や茜さんたちと話してみたけど、どうやら俺たちの記憶は、そのまま残っているっぽいぞ。明日夏も女の子のままだし、結局何もしなかったのか」
「――あ、でもでも、その割には、さっきから変なことが起こっているの!」
和佳がやや興奮気味で言うと、茜が後に続いた。
「そうなの~。ついさっきね。急に学校から連絡があって、明日夏ちゃんが本当の女子になってしまったけど、男子校だからと言って女子が通っては行けない法律もないので、そのままでいいですか、的な問い合わせがあって~」
「それにね、海外のお父さんとお母さんからも連絡があったのよ。あたしたち黙っていたはずなのに、なぜかお兄ちゃんのこと知っていて、女の子になったお兄ちゃんの写真や動画を送ってくれって、うるさくて」
「へ、へぇ……」
本当に、明日夏が女の子だった世界ではなく、女の子になったのをそのまま受け入れてくれる世界にしてくれたようである。
明日夏は次々と起こった出来事に驚きながらも、そのことをみなに告げた。
「そっか。女の子になることを選んだのか。そうかそうか」
「べ、別に一樹のためになったんじゃないからねっ」
実際に女としての道を選んだからか、一樹に対して妙な意識をしてしまい、変な反応になってしまった。
そしたら案の定、彩芽に「……何それ、ツンデレ?」と、呆れた様子でツッコミを入れられてしまった。
その彩芽が少し考えて言う。
「お兄ちゃんは今後女の子のままでも、女の子になる前は男だったという事実も残っているのよね? だったら別にこれまでのように、『お兄ちゃん』呼びでも問題ないかな」
「うん。ぼくとしてもそっちの方が嬉しいかな。まぁ、お姉ちゃん、って呼ばれたい気持ちも全くないわけじゃないけど」
「うふふ。なら私が呼んであげようかしら~。明日夏お兄ちゃん?」
「うわぁー。やめてよー」
茜の悪ふざけに、明日夏が顔をしかめる。
「そっか。じゃああたしも明日夏ちゃんじゃなくて明日夏くんでいいのかなぁ……って、あれ? あたし、今までどっちで呼んでいたっけ」
和佳が首をひねる。明日夏の記憶の中では、「くん」呼びと「ちゃん」呼びが混在していたけど、和佳本人は自覚なかったようだ。
「どっちでも大丈夫だよ、和佳。これからは女同士としてよろしくね」
「うんっ」
結局、女同士となって、和佳への恋心はどうなるのか。
明日夏自身、まだよく分からない。
けれどこうやって、気楽に話せるのなら、しばらくはこのままでいいかなと、思う明日夏であった。
――と、それはさておき。
「明日夏、なんか顔色悪くないか?」
「うん。ちょっとさっきから調子が悪い感じ。……トイレ行ってくるね」
一樹にも気づかれたようで、明日夏は素直にうなずくと、重い足取りのままトイレへと向かった。
精神的な疲労が身体にも来たのかな。
なんて思っていたんだけど。
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
秋津家に、明日夏の叫び声が響き渡った。
なんだなんだ、とやってくるみんなを何とかなだめすかしてして、明日夏はトイレから出てきた。
その顔はトイレに入る前よりも、真っ青な表情になっていた。
「どうだった?」
「血が出てた」
「え、それって……」
「……生理が来たみたい」
明日夏がなんとも言えない表情でうめいた。
今回、あの女性が加えた変更は、直接明日夏の身体には関係ないはずだ。
つまり結局、ムダ毛が生えなかったのも生理が来なかったのも、あの女性が便宜を図ってくれたわけじゃなくて、単に遅れていただけだったようだ。
普通の女性の身体と一緒ということなら、今後も暴飲暴食を続けていたら確実に太るだろう。
女子として生きると決めた日に、いきなり現実を突きつけられて呆然としている明日夏に向け、一樹を除く女性陣がにんまりと笑って言った。
「「ようこそ。女の子の世界へ」」
男子校の姫は苦労する 水守中也 @aoimimori
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