第15話 スク水で、プールの授業


 武西高校には、この辺りの高校にしては珍しく屋内プールが設置されている。普段は水泳部が使用しているのだが、一般生徒の体育の授業でも使われることがある。しかも屋内なので時期を問うことがなく、まだ衣替え前の五月後半の時期にも、水泳の授業があったりする。

 当然男子校なので「ドキッ、男だらけの水泳大会」なのだが、それでもプールの授業は盛り上がる。

 だが女子として学校に通っている明日夏は、どうすればいいのか。

 そのことについての説明を受けに、明日夏は校長室に呼ばれていた。


「この前の、職員会議で秋津くんの水着をどうするか議題に上がったのですが、やはり女子生徒として学生生活を送ってもらっている以上、惜しくも女性の水着を着るべきという意見が、僅かな差で過半数を上回りました」

「そ、そうですか……」

 校長の説明を明日夏は引き気味に聞きながら、あいまいにうなずいた。

 今の身体で男性用水着を着るわけにはいかないので、その決定は有難いのだけど、惜しくもとか僅かな差という不穏な単語が耳に入って、早くも帰りたくなった。

 真面目な職員会議で何を議論しているんだ、とツッコミも入れたい。


「というわけで、さっそくサンプルの水着を発注しました。一般的なスクール水着だと安いのですが、さすがに秋津くんに着てもらうと、下の部分が目立ってしまいますので、別の水着を用意しました」

「あ、それは助かるかも」

 今の自分の身体なら、その目立ってしまうもっこりはないのだけれど、逆にそれで変に疑われるよりは、隠れている方が助かる。


「最近のトレンドですよ。女性受けはいいと思います」

「へぇ……こうなってるんだ」

 校長から手渡されたのは、おなじみの紺色の布地である。ただし腰の部分に大きめのフリルの入った水着だった。

 最近、こういう水着を取り入れている学校が増えているという。女子の要望のようだ。そういう意味では、来年から女子を募集する学校の水着としては、ねらいは悪くない。悪くないのだが……

 明日夏は男としての、率直な意見を口にした。


「――ただ、こういうのって邪道っぽいですけどね」

「あ、やっぱりそう思いますか。もちろん、普通のスクール水着も用意してありますよ。私としては、男の娘おちんちんが見えた方が萌えますし」

「いいです、これで! これを着ますっ!」



 というわけで。

 水泳の授業の前。例の水着とともに明日夏は更衣室に来ていた。

 下着になれば着替えられる体操着と違って、水着は完全に脱がなくてはならない。服を着たまま着替えられる裏技や、タオルで隠す方法もあるらしいが、隠す相手もいないので、明日夏はぱぱっと制服を脱いで全裸になった。

 自分ではすっかり見慣れて一部になった女の身体。けれど一般的な高校生男子どもからしたら、神秘の女体だ。


「うーむ」

 男どもの巣窟の中で、たった一人、年頃の女の子が一糸まとわぬ姿になっている。何とも倒錯的な感覚。部活動体験で男子部の部室で着替えたときにも感じた、露出の悦びがむくむくと――


「って、馬鹿なこと考えてないで早く着替えないと」

 遅れたせいで誰かが様子を見に来て、女の姿を見られたら最悪だ。

 水着を広げると、両足を通して、ぎゅぅっと上に引っ張って肩に通す。部分的にきつい場所を伸ばし、最後におっぱいの位置を修正する。すっかり自分の身体に慣れてきたとはいえ、お風呂以外に手でおっぱいを触るのは、まだドキドキする。まぁブラを付けるときもそうなんだけど。

 ごほん、と軽く咳払いをして、鏡で自分の姿を確認する。

「んー。意外と悪くない、かな?」

 下の部分はスパッツのようになっていて、フリルはそれを多い隠せるくらいの長さだ。胸の上の方にも小さめのフリル付きで、従来の水着の上に、薄いフリル付きの水着をもう一枚被っているようにも見えるデザインだ。

 学校水着の範疇でぎりぎりの可愛らしさを追求したような感じだろう。

 モデルとして着てみた感じ、見た目も問題はない。

 だがひとつあるとすれば……


「この姿って、どうみても普通に女の子だよなぁ……」

 従来のスク水に比べれば、だいぶ身体のラインは分り難くなっているけど、それでも胸の膨らみや腰つきは、明らかに女の子のそれである。

 いつか茜にしてもらったように、さらし等で体型を隠すべきだっただろうか。けどそれはもう手遅れだし、面倒だからやりたくない。

 ならばいっそのこと、プールの授業をさぼるという手も無くはない。

 けれど……


「ま、いっか」

 明日夏はあっさりとそう呟いて、水着姿のまま更衣室を出た。

 結局、プールの魅力にはかなわなかったのだ。



  ☆☆☆



「おおーっ」

 着替えがとっとと終わる男子どもが集まっているプールサイドに明日夏が現れると、その男たちから感嘆の声が上がった。

「やべぇ。普通に可愛い……」

「ていうか、あの体型、もうほとんど女だよな。あれどうやってるんだ?」

「ああ。もしかして明日夏に似た双子の女の子とかじゃないよな?」

 そんなつぶやきが明日夏の耳に入る。

 さすがに無理があったかなぁと明日夏は後悔する。

 だがそれらの声をあざ笑うかのように、一樹が宣言した。


「ふ。何を言っている。昔から言うではないか。――こんな可愛い子が女の子の訳がない、と!」

「おおぉぉっっ!!」

「そうだ、その通りだっ」

「男の娘、ばんざーいっ」

 こうして、明日夏の疑惑はあっさりと晴れた。

 男子どもは、やっぱりバカだった。

 もっとも、自分の身体のことを自覚しつつも水着姿を披露した明日夏も、似たようなものだけど。



「さーて。お前等、授業をやるぞー」

 遅れてやってきた先生が、馬鹿どもをまとめる。

 その横で、明日夏が聞いた。

「先生。ぼくはー?」

「あー、そうだな……準備体操したら、秋津は適当に泳いでていいぞ」

「はーい」


 というわけで。

 真面目に授業している男子どもをしり目に明日夏は適当に泳ぐことになった。

 通常の体育の授業は一緒に行っているけれど、さすがに水泳は男女別にされたようだ。といっても担当の教諭は一人だけなので、明日夏は言われた通り勝手に泳ぐ。

「んー。気持ちいい」

 実際に女子がいたときの授業を再現するため、プールには普段はない仕切りが設けられている。さすがに半分というわけではないが、それでも広々としたスペースを自由に泳げるのは、気分がいい。

 最初はお腹から胸元まで覆う水着で水に入ることに戸惑いもあったけれど、意外と問題なかった。

 そんな明日夏に、男どもの視線が集中する。

 もちろんそれは、明日夏の水着姿に向いているのだが、明日夏は自由に泳いでいることへの嫉妬だと勘違いして、ちょっとした女王様気分で、あえて見せつけるように優越感を味わっていた。


 一人で泳ぎ続けているとさすがに疲れたので、いったんプールサイドにあがって休憩を取る。体育座りをして休憩していると、男子の視線がモロ集まってきた。室内なのに太陽の日差しを浴びているような熱い視線に、さすがの明日夏も気づいた。


「……何か視線が下に集まっているような気がするんだけど」

 中途半端にフリルがあって見え隠れしているせいか、彼らの視線は体育座りをしている明日夏の足元に向いていた。

 仮に見えたとしても、男が男のちんこ見て何がうれしいのか。

 そう思いつつも、明日夏は恥ずかしいので男どもから見えないよう隠した。



 疲れもとれたし視線もうざいので、明日夏は再びプールに入った。

 そもそも泳がないで立っていたりただ浮かんでいたりすればいいのだ。とはいえやっぱり退屈である。

 しばらくして男子の方も自由時間になったため、明日夏は自分から男子側へと近寄った。向こうもロープ越しに寄ってくる。

 その光景は、まるで動物園の檻に遮られた客と動物のようであるが、明日夏は特に気づいていなかった。


「そのスク水のデザイン、可愛いよなぁー」

「いや、普通のやつの方が、良くない?」

「俺はやっぱり競泳水着派だな。あのラインがたまらん」

「むしろ可愛さを追求するなら、ビキニと言う手も……」

「いやいや、お前は何もわかっていないっ。そもそも――」

 好き勝手に言い張る、高田や馬場たち。ついでに一樹も。

 そして彼らは議論をぴたりと止めると、揃って明日夏に言った。


「――というわけで、検討のためいったんプールサイドに立ってくれないか」

「やだ」

 明日夏は一刀両断した。

 一樹たちがプールの藻屑へと消えた。


「それにしても、相変わらず乳を未満な膨らみですね。そもそもそれは必要だったのですか?」

 今度は英治がやって来た。プールの授業のため眼鏡を付けていないので、いつもと違った雰囲気だ。

「そ、それは女性用の試着だし。それにぺったんこだと胸の部分が大きく開いちゃうから、中に入れているんだよ」

「なるほど」

 明日夏は適当にでたらめを言ったが、どうやら信じてくれたようだ。

 実際はどうか知らない。この理屈だと、胸のない女子が悲惨なことになりそうだけど。


「これはこれでいいが、あえて男と同じ短パンも良かったんじゃないか」

「何言ってるんだっ。それじゃ見えてしまうだろ」

「別に男だからいいじゃんか」

「良くないっ。そもそもお前は、男の娘の良さが分かっていない!」

 復活した上石や神井が、「男の娘の乳首は見せるべきか、否か」という論争を本気で始めてしまった。

 明日夏としては今の状態で短パンは論外なのだけれど、それを知らずに普通に男だと思っている奴らが本気で論争しているのを見ていると、何しているんだろうという気になる。

 この論争はあっという間にクラス中に広がっていく。

 というわけで。

「こらー。水に浸かってないで、少しは泳げ~」

 さすがに体育教師に言われてしまった。

「ちなみに先生は、見せない派だぞ」

 どうでも良かった。



  ☆☆☆



 こうして何とかプールの授業をやり過ごすことができ、明日夏は更衣室に戻ってきた。

「うーっ、脱ぎにくいっ……」

 水に濡れた水着は肌にくっ付いて、脱ぎにくい。着るときも面倒だったけれど、脱ぐときはもっと面倒だ。恥ずかしいから肌を隠す、という余裕もない。まぁ誰も見ていないけど。

「……さすがにこれを中に着たまま授業を受けるわけにもいかないし」

 タオルで肌を拭きながら、明日夏はふと思った。

 せめて着るときだけでも楽するために、今度は家で水着を中に来てから学校に来ようかなと。

 それがのちに、お約束の悪夢となるのだが、それはまだ先の話。



 

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