全て、覚えている(4)

「今、“アレス”と言ったか、リクラフ? それは確かか?」

 リクラフはこくりと頷く。

 ソフィは話が見えていない様子で、「エリザは何か知ってるの?」と訊ねた。

「……まぁ、私は元々アリゴレツカの人間だったからね。幼い頃はよく聞かされたもんだよ」

 首を傾げる彼女に、端的に言った。「あの“アレス”を封印したのは、アリゴレツカの建国者たちだ」

 ソフィの顔色が少し陰った。

「それは……アリゴレツカとは、どういうつながりが?」

「建国神話によれば、厄災のように猛威を振るった“アレス”に土着の国々が次々と呑み込まれた時、最後にようやく封印に成功したのがアリゴレツカだった。相当、多大な犠牲を払ったようだけども。だから、後世に至るまでどの国もアリゴレツカにだけは頭が上がらないんだ。連邦軍に降伏するまで、この大陸で一番の大国として君臨していたのは、まさにあの“アレス”を封じることができた唯一の国だったから」

 大昔の建国神話なんて老人の昔話のようなもので、そこで語られる“アレス”の脅威には誇張が混ざっている可能性も否めない。

 でも、リクラフは『あなた方は、“アレス”と呼び習わしていた』と明言している。大したことがなければ1000年も言い伝えが残るはずもないし、何よりあの棺から放たれる異様な雰囲気こそ、それがただの与太ではないことを確信させる。


「――リクラフ、もし“アレス”が復活して、あんたが戦うとなったらどう? 勝てる見込みはあるの?」

「戦う、という想定をしたことがありません。あなた方にとっては脅威でも、私にとっては同族ですので」

「なら、仮定の話でいい。要は、目覚めさせるとなれば、私たちに抗う術はあるのだろうか?」

 少しの沈黙。リクラフは、恐らく思考を整理した上で、私の問いに答えた。

「“アレス”は好戦的な気性を持ちます。それは私や他の同族たちの性質とは異なるものです。同族間での純粋な格闘であれば、勝てる見込みはないと考えます」

「あんたの力をもってしても、か」

 考える必要があった。

 平均的な理甲と比べてもリクラフの個体値は図抜けていて、私たちはそのリクラフの手綱を握っているのが強みでもある。でも、“アレス”にはそのアドバンテージが利かない。

――となれば。

 ハイバルが広げた風呂敷、その畳み方がわからなくなるのだ。ハイバルは“アレス”を目覚めさせ、リヴァー・リーヴスに空手形を切らせることで、蛮教徒カルトを一網打尽に滅ぼす腹積もりだ。だけど、その後は?

 唇を噛んでみても、妙案は思い浮かばない。

「ソフィ、やっぱり対策を考えた方がいい」と私は述べた。

「対策?」

「ええ。“アレス”を呼び起こした後の対策をね。ハイバルは、どうするつもりなのだろう?」

「リクラフと一緒に逃げる、としか聞いてないわ」

「……そうよね。私もよ」

 あそこまで考えを巡らすハイバルが、まさか投げっぱなしにするだろうか。呼び覚まされた邪神“アレス”を野に放ったまま計画完了――では、この大陸は蛮教徒カルトとの戦乱どころではない混乱に陥る。それは、ハイバルの目指す『世界の歪みを正す』という目的にそぐわない、ただのテロリズムでしかないはず。


――敢えて、私たちに伝えなかったのだろうか? 何か、隠しごとが?

 いや、まさか。今さら疑う気持ちは持ちたくないが。


「リクラフ。私たちはあれを目覚めさせていいものだろうか?」

 そう問い掛けたのは、無意識による部分があったかもしれない。

(待て、こんなことをリクラフに訊いてどうする)とすぐさま我に返って自問してしまう。ただの理甲相手に、何を私は相談の真似ごとをしているのだ、と。

 でも、リクラフは少なくとも物事を知っている。融通の利かない返答も多いが、誤ったことを言ったことはこれまでになかった。その信頼と、“アレス”の棺に隣接する異質の環境の中でのリクラフの澄んだ瞳が、珍しくも私をその気にさせているのかもしれない。

 もちろん、私は決して忘れていない。リクラフこそが自分の仇であることを。


「――あなた方に抗う術がないのでしたら、あの棺に手出しはされない方がよいでしょう」

 リクラフの返答は、私たちを諭し、たしなめるようなものだった。「“アレス”は過去の取り決めによって極めて長期に渡って封じられており、当初予定された解放の期限はまだまだ先です。今あなた方が呼び覚ますとすれば、かつての取り決めを違えることになります。勧奨される行為ではありません」

 私はその言葉に頷いた。言う通りだ。

 私と目の合ったソフィも同様に頷いて、「ハイバルと話し合いましょう」と言った。「何か考えがあるのかもしれないし、そうでないなら“アレス”を目覚めさせること自体、阻止した方がいい気がする」

「なら、リヴァー・リーヴスとも刺し違える覚悟がいるね……」

 この一件の大元にいるのは、あくまでリーヴスだ。ハイバルはその企みに乗っかっているだけなので、ハイバルを説得したとしても、最終的にはリーヴスを説得するか、討ち滅ぼすかしなければならない。

 そうしない限り、“アレス”はこの現代に復活してしまうだろう。事が済んだ後、再び封じられる保証などないにも関わらず。


 当然、リーヴスの説得や討滅が実現可能かどうかは別問題だ。私たちが説得したぐらいで、この戦乱の元凶となったあの男が、今さら矛を引っ込めるとは思えない。それに、連邦軍が理甲を何度差し向けても殺せなかったほどの手練れでもある。先般のあの怪しげな“筒”なる兵器を見ても、リクラフで強引に殴り込めば事が済むと考えるのは、あまりに短絡的でリスキーだ。

 まぁ、やり方についてはおいおい考えればいいかもしれない。目的地までもう数日ほど行軍は続く。考える時間と猶予はもうしばらくあるはずだ。

「――今夜はそろそろ寝ましょう」

 ソフィにそう告げて、天幕の隅に転がっていた毛布を手繰り寄せた。ソフィに1枚、私に1枚。


「リクラフがいると、頭痛がしないね」

 ソフィはそうリクラフに温かく語り掛けて、その棺の傍で、私に背を向けて寝そべった。「ねぇリクラフ。このまま、わたしたちを、護ってくれる?」

 リクラフも柔らかな微笑を浮かべて、ソフィの頭を優しく撫でる。そうしろと命じられたわけでもないのに、まるで母親気取りのように。

 私も、ソフィのすぐ背後に横たわった。

 リクラフのおかげなのか、先ほどまで感じていた不快感はもうすっかり消えている。今なら、いつでも眠ることができそうだった。





 私の眼の前で、ソフィの頭を撫でるリクラフの掌を、ぼんやりと眺めている。

 どれぐらい時間が経っただろう。彼女は寝息を立て始めた。疲れも緊張も溜まっていたのだろうけど、こんな状況でもすぐに眠れる精神力にも感服する。


 ソフィが寝入ったことで、天幕の中で私とリクラフがふたりきりの状況になった。

 こんなこと、そうそうあるものじゃなかった。普段の理甲は甲渠にいるし、戦場でも専用の保管場所に固められて、厳重に管理されている。今みたいに、そのすぐ傍で寝泊まりすることは今までほとんどなかった。


「――リクラフ、」

 ソフィを起こさないように、私は上体を起こし、小声で訊ねたのだった。「あんたは、なぜ“アレス”のことを知っているの?」

 アリゴレツカの建国は実に1000年以上も前。そこから“アレス”が封じられたということは、リクラフの記憶はそれほどの昔からあるということだ。

 リクラフはソフィを撫でる手を止めて、私に向いた。一瞬でいつもの真顔に戻っていた。

「私たちは、緩やかにつながっていますから」

 リクラフはそう答えた。「“アレス”にしてもそう。我々は源を同じくするもの。お互い、おおよその認識や感覚はわかります」

「それが、あんたに1000年前の記憶もある理由なの?」

「年月は関係がありません。私たちはただ、全てを覚えているのです」

「全て……?」

 ごく簡単に言ったが、具体にはどういうことだろう。「……じゃあ、5年前に私とやり合ったことも、お前は覚えているのか?」

 半ば挑発するつもりでそう言ったのだが、リクラフは怒るでも黙るでもない。淡々と答えるのだった。

「――ええ、無論。あなたのこともしっかりと覚えていますよ、ウィルダ」


 あまりに平然としたその態度。

 私にはかちんとくるものがあった。

 大陸征服戦役の終盤、敵として見まえたリクラフと私たち理甲師団。

 唯一、私だけが生き残った、あの忌まわしい戦場の風景と臭いが、私の脳裏に急速に甦り始めた。

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