旧き守護神と旧き主(3)
私は事務的な調子でソフィに儀式の始まりを告げると、軍装のポケットからあらかじめ支給されていた理幣の1枚を取り出した。
「初めて見るでしょうけど、これが理幣よ。真ん中に円が描かれているでしょう? それを両手の中心に重なるように挟んで、合掌しながら指示を飛ばすの」
1枚の理幣を手渡されたソフィは、裏返したり曲げてみたりしながらもまじまじと見つめた。
「まずは理動の仕組みとそのやり方を教えるわ」
ソフィの手先でひらひら舞う理幣を私は指差した。「そもそも、どうして理動なんて手順を踏むのかという話だけど、平たく言えば保安のためなのよ」
「保安……?」
「そう。この理幣さえ支払えば、一応誰でも
「例えば、わたしが理動したら、わたしの言うことしか聞かなくなるということ?」
私は頷き、ソフィの理解を首肯した。
「なぜかと言えば、
私は眠るリクラフを見遣りながら答える。「あいつらが本気で暴れたら、人間の手には負えない。だけど、理幣を支払って信用さえ供与してしまえば、こっちの指示を忠実に実行してくれるようになる。そうなると一番恐いのは何だと思う?」
「……その力を、間違った方向に発揮させてしまうこと?」
「その通り」
一発で即答できるソフィの賢さには改めて舌を巻く思いがしたが、感心もそこそこにレクチャーに集中する。「そんな事態を防ぐため、理幣の運用においては大きく2つのセーフティが掛けられている。1つは、理幣そのものの厳重な管理。任務が下った時にしか理幣は支給されないし、仮に私がたった1枚でも紛失しようものなら一発で独房送りよ。厳しいけれど、
ソフィが問題なさそうに頷いたのを確認し、私は説明を続けた。
「もう1つは、責任と権限の明確化ね。1体の理甲を指揮する頭脳は1つであるべきなの。その理甲が、今・誰の指示を聞いて動いているのかがわからない状態というのは、管理者の立場としては何よりも恐ろしいわけ。だから、同調を切るまでの間は自分の指示だけに反応するよう、立ち上げの際に誓約を交わしておくのよ。理動っていうのはそういう処理ね。――ここまでは大丈夫?」
私の説明に、ソフィは納得したように頷いた。
「理動がどういうものかはわかったけれど、やり方はどうすればいいの?」
「理動ではね、その理幣を合掌したまま願唱と礼唱というステップを踏むわ。願唱では理動の目的を、礼唱はシメ言葉のようなもので……」
そこで私は嘘――というよりも誤った情報を敢えて話した。幸い、さすがにそれを見破る知識はソフィにもなかったようで、疑義を差し挟むこともなく大人しく聞き入れてくれた。
願唱・礼唱の一連の説明を終えたところで、私は取りまとめに入った。
「今教えた通りに理動すれば、リクラフは目覚めるわ。ちなみに、理動の時も、後で能力の限定解除を行う時も、願い事はしっかり口述するようにしてね」
「ええと、口述? 言わないといけないの?」
ソフィは明らかに怪訝な顔をした。「今までしたことがないわ……理甲師団ではそういうものなの?」
「理甲師団ではそういうもんなのよ」
私はやや乱暴に押し通した。これに関しては問答無用だ。
ともかくソフィは戸惑いつつも、私が教えた通りに理動の手順を踏み始めた。
私から手渡した理幣を手に挟んだソフィは、「過去に取り交わした誓約を解除するため」と緊張した声で願唱を行い、さらに教えた通りに礼唱までを特に問題なく終えた。
私は私でソフィの隣にいながらこっそりと理幣を手に取りつつ、彼女の理動がひと段落した頃合いを見計らって「さぁ目覚めろ、リクラフ」と奮い立たせるように声を張った。
すると棺桶状の箱の中に収められ、じっと目を閉じていたリクラフが、静かにその両眼を開いた。浅い眠りから目覚めるように。
その様子を確かめたソフィは、感極まったように口元を手で覆い、両眼を細めた。リクラフの瞳もすぐに動き、ソフィの姿を認めたようだった。その表情にほとんど変化はない。だが、微かに頷いて、その口元に懐かしむような微笑を浮かべた――ようにも見えた。私の見間違いか、気のせいかも知れない。だがリクラフがそんな表情を見せた拍子に、ソフィの細まった眼がきらりと光ったのもわかった。
あの戦役以来の再会。ソフィにとっては待望の、感傷的な瞬間のはずだ。すぐにでも駆け寄って抱きつきたいに違いないが、そうはさせないように警護兵が阻んでいる。処理は半ばだ、今はまだリクラフに駆け寄らせるわけにはいかない。
「――理動は成功ね。じゃあ、いよいよ能力の限定解除処理に移行するわ」
ここからが本番だった。私は改めて声と表情を引き締めた。「あなたが酋長だった頃、恐らくリクラフとの疎通は、今の連邦公用語で行っていたわけではないと思うのだけど」
ソフィは頷きを返した。
「少し特殊な言葉なの。村の中でも、村長家と長老格にしか話せない口伝の言葉だから、口述してもエリザたちにはわからないと思うわ」
「じゃあ、紙を渡すから、公用語でその発音と対訳を記してくれる? 書き上げたら私が預かるけど、ソフィは書いた通りにリクラフに指示を出して。その紙に書いたこと以外を願っては、絶対にだめよ」
ソフィはますます怪訝そうに眉間にしわを寄せた。どうしてわざわざそんなことをするのだろう、と思っているのは間違いない。
「理官以外の人物が理甲と接触するのは特例なのよ。面倒だろうけど、我慢して」となだめるように私は言った。
アルバント中佐の隣に立っていた警護兵が、ソフィの二の腕ほどもある筒状の紙と、筆記具をそれぞれ手に携えてこちらに歩み寄った。この展開は事前に予想されていたので、ちゃんと準備をしていたわけだ。受け取ったソフィは神妙な面持ちをしつつも、口をもごもごさせて発音を確認しながら筆記を始め、およそ5分後に書きあがったその覚え書きは私の手に引き渡された。
受け取ったその場で、ランドール副官とアルバント中佐も交えて内容を確認。対訳として公用語で記された記載を読む限り、かつてソフィ自身が行ったリクラフへの誓願を取り消す旨が記されており、特に不審な点は見当たらない。この通りにソフィが誓願するのなら問題はなかろうということで、私たち3者の見解は一致した。
「――念のため確認するけれど、」
私はソフィに問い掛ける。「この紙に記された内容と、これからあなたが誓願する内容、どちらかに虚偽または重大な齟齬があると判明した時点で、あなたとリクラフの立場は保障できなくなる。……信じていいわね、ソフィ?」
ソフィの出自である未開部族が全滅した今、この世界でソフィだけがこの言語を知っている。彼女が意図的に対訳をごまかして書いていたとしても、私たちには見破る術がない。
ソフィは真剣な眼差しのまま頷いた。こればかりは彼女を信じるしかない。
ソフィの記した覚え書きを手に、私は彼女から5歩ほどの真横に距離を取る。私とソフィの正面、およそ10歩の地点にはまだ箱の中に納まったままのリクラフが立てられている。そんな私たちとリクラフをぐるりと取り囲むように、アルバント中佐ら兵士が立って見守る。
さて、いよいよ、リクラフを縛り付けていたくびきが解放されるのだ。
大陸征服戦役における土着民族の英雄。そして、理甲師団最強の強敵であった『白銀の悪霊』。あのリクラフが、これで甦る。
ソフィは大きく息を吸い込んで、少し吐くと、凛とした声を発し始めた。
それは先ほど彼女が断った通り、今まで全く聞いたことがない不可思議な言語だった。
発音も文法も抑揚のつけ方も未知のもの。彼女の発する声は決して小さくはなく、むしろ明瞭ですらあるものの、その場の誰にも何を言っているのかが全くわからない。
全くわからない――が、ソフィが覚え書きに記した発音と対訳表に沿って、確かに抜け漏れなく詠唱されていた。私はその紙を見つめ、呟くように復唱して彼女の詠唱を追いかけた。
私の胸の奥底が、ソフィの覚え書きを読み上げる度に振動する。リクラフがそれに応ずるように、両眼を少しずつ見開いていくのが私にも見えた。
やがてソフィの言葉は途切れた。
緊張のせいか肩で息をするように彼女は消耗していたが、戸惑いの色を浮かべて、私の方に向いた。
「あの、エリザ、終わったけれど――リクラフに、私の願いが届いていない気がする」
こちらの指示が
「いいのよ。恐らく、あなたの言葉は伝わったわ」
私はソフィの覚え書きを円筒状にくるりと丸めて、脇に居た警護兵のひとりに手渡した。その覚え書きはもう用済みだからだ。「その理幣を使いながら、リクラフに尋ねてみればいいわ。――ねぇ、どうだったの、リクラフ?」
私がリクラフに呼びかけたすぐ後に、ソフィは言われた通り「今の誓願の結果を教えて」と問いただした。
リクラフは、私の方を見つめながら口を開いた。
「全て、伝わりました」
そしてリクラフはおもしろみのない口調で淡々とその内容を話し始めた。「現刻より1890日前、ソフィ・ユリスキアを当事者として締結した誓約の解除を承りました。当該の誓約は計2条です」
「その内容は?」と私が尋ねると、リクラフも従順に回答する。
「ひとつは、本誓約に係る締結の経緯に関する一切の秘匿。もうひとつは爾後の私の行動に対する、“自己と、自己の信認する者への急迫な加害行為に対する最小限の防衛行為を除き、何人にも危害を加えない”という制約です」
何人にも危害を加えない――厄介な誓約が仕込まれていたものだ、道理で扱いにくかったわけだ。
遠巻きに眺めているアルバント中佐が小さく嘆息したのが聞こえたが、私も同じ気分だった。
「ありがとう、ソフィ。ご協力に感謝するわ」
「これで、終わったの?」
拍子抜けしたようにソフィが尋ねた。
「ええ、全て終わった。――それに、どうやらネズミも捕まったようだし」
ネズミ? とソフィが私の方を向いた時、私たちの背後からどかどかと複数の足音が響き、甲渠の中へ入ってくる気配があった。
理甲の居並ぶ棚の向こうから、3人の軍装束の男が現れた。そのすぐ背後に、兵卒の装具とは少し異なる甲殻類のそれのような装甲をまとった2体の人影と、それに両腕をがっちり掴まれて連行される1人の青年――計6つの人影が現れた。
「こいつか? ウィルダ中級理官。甲渠の屋根に潜んでいたぞ」
耳に馴染む声。ほんの数日ぶりとは言え、何だか久しぶりに聞いた気がした。
一団の先頭を歩いてきたのは、我らが分隊長のカウリールだ。
彼は私たちの10歩ほど手前で足を留める。そしてその背後まで連行されてきた青年を、肩越しに親指で指し示した。
装甲をまとった人影――つまり理甲に、両腕を掴まれて私たちの前に現れたのは、
「ハイバル……」
ソフィが愕然と呟いた。
まさしく、カウリールらの掴まえたネズミは、ハイバルのことだった。
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