晦冥の神域(1)

 明くる日の昼、かんかん照りの中、私たちは商人街に辿り着いた。

 ばたばたと荷馬車や路商が行き交い、土埃が浅霧のように舞い、がやがやと呼び込みや話し声に満ち、色とりどりの品々とそれをこんもりと並べる露店が密集した中心通りの光景。むんむんとした熱気は何も日差しだけのせいでなく、人々が往来する密度と輻輳から生まれているものでもあった。

 荒野の果てに、こんなにも人間臭い町が存在していたことに、私は少しの感動を覚えた。


 大通りを入ってすぐの広間で一同下馬したところ、「隊商と一緒に進むのはここまでです」とハイバルが告げて、寝具のように布巻きにされたリクラフを背中に担いだ。

 そして彼が手際よく隊商の面々に御礼を告げるのを見て、私とソフィも御礼を伝えようと思い立った。それぐらい親身な扱いを受けたからだ。

 自分たちの荷物をまとめ終わると、隊長の下へ行き、3日半に渡る旅について深々とお礼を述べた。

「こちらこそ。美女ふたりの騎士ナイトを務められて光栄だったよ」

 何とも酷いおべんちゃらだと思ったが、この快活な隊長が屈託のない笑顔を浮かべて言うと、不思議と不快感はなかった。ソフィも明るく笑った。


「あの、少しいいですか」

 別れ際の立ち話に、私は尋ねた。「別れ際に失礼かも知れませんが、隊長は、蛮教カル――あ、いや、“再帰神団”と、何か関係が?」

「“再帰神団”?」

 隊長は特に嫌な顔もせず、「俺らは違うよ」と答えた。

「“再帰神団”とも取引がないことはないが、俺たちの商いの土俵で付き合っているだけだ。それとも、あんたが訊きたいのはハイバルのことか?」と言った。

 こちらの意図を完璧に見抜いた、素晴らしくまとまった回答だった。

 隊長は近くにハイバルの姿がいないことを確認してから、ここまで頑張ってきた馬の肌をブラシでガサガサとさすり、煙たそうに眼を細めながら語った。

「――ハイバルとは昔馴染みだ。もう6、7年前になるかな、同じ親方に見習いとして付いていた。あいつは熱心だったし、いい商人になると思っていたよ。それが、ある日ふらっと辞めちまって、次に会った時には旗揚げしたばかりの“再帰神団”に入ってたんだ。まともにおてんとさんを拝めるような集団じゃない。それまでそんな素振りなんて一度も見せたことがなかったから、昔の仲間はずっとあいつのことを心配してるんだ。今でも、見た感じは元気そうだけどな」

 ブラシをひと掻きするごとに、その肌に貼りついた土埃がばさばさと落ちていく。

 そんな土埃に言葉を隠すように、隊長は付け加えた。「あんたらがハイバルの何なのかは、敢えて聞かんよ。連邦から追われてるってだけで“訳あり”だろうし。――ま、俺たちは皆、あいつのことが好きなんだ。根はいい奴だよ」

 そこで隊長はブラシの手を止めて、微笑みと共に私たちを見遣った。「あんたらも、ハイバルとは良い関係そうだから言っとくよ。あいつのこと、よろしく頼むな」

 私とソフィがもう一度お礼を述べると、「また、いつでも声を掛けてくれ」と隊長は気前よく笑った。


 かつて、ハイバルには居場所があったのだということを、私は隊長の言葉から感じ取った。彼はそれを自ら捨てて、蛮教徒カルトにその身を投じた。しかも、蛮教徒カルトを滅ぼすために。

 なるほど、その境遇には私とも重なるところがあるようにも思えた。あいつが私に同情的な様子を見せたのも、それが理由なのだろうか――。





 その商人街は巨大な森林に面していた。この大陸西側のほとんど3分の2を覆い尽くす深遠なる森は“グラン・オー”と呼称され、この森との境界線が古来からのヒトの生活圏の限界点だった。

 街外れまで歩けば、その森の外縁に辿り着く。ここまで先導して私たちを連れてきたハイバルは、ちょっとした岩場の陰を見つけて背負っていたリクラフを下ろすと、ぐるぐる巻きにしていた布をゆっくり解きながら説明した。

「逃避行の最後の難所です。この森をひたすら北西へ突っ切ります。蛮教徒カルトの根城、アンラウブ城はまさにこの森の中にある」

「ここからはまたリクラフで跳ぶんだっけ?」とソフィが尋ねた。

「そうするつもりです。この森はのんびり歩けるほど安全じゃないし、突っ切るなら時々木の上に出ないと迷います。ただ、アンラウブ城のそばまで辿り着ければいい。を呼んでいるので」と彼は応じた。


「……ところで、どうしてリクラフはソフィの言うことを聞くのよ?」

 私はずっと気になっていたことをふたりに訊いた。

 実は、未だに私はリクラフとの同調を切ってはいない。だから本来なら私の指示しか聞かないはずなのに、当たり前のようにソフィの指示ばかり聞くものだから訳がわからなかった。

「俺の推測ですが、恐らく信用の所属の問題だと思います」

 ハイバルがそう答えたのと同時にリクラフをくるんでいた布が取り払われ、3日ぶりにその顔が現れた。「連邦の理幣を使った信用供与は、今も理動者であるエリザさんのチャネルからしかできないはずですよ。理動していないソフィが理幣を使っても、リクラフ様をどうこうはできない。でも、ソフィには元々リクラフ様との浅からぬ付き合いがある。ソフィ自身の属人的な――ないしはユリスキア村の属族的な信用を使って、一時的に請願しているのだと思います」

「理甲の統制はそんないい加減なものじゃないはずだけど」

「……実は、抜け道があるの」

 ソフィがおずおずと言った。悪戯がばれた子どものように。「どうしてもリクラフに救いを求める時には使えって、村に伝わる呪文みたいなものがあって。甲渠の時にはそれを使って、リクラフに動いてもらった」

「はぁ、そういうこと……」

 気の抜けるような思いがしたが、ソフィが言うのならそうなのだろう。リクラフと何百条もの訳のわからない誓約を結んでいたのなら、そういう取り決めがあってもおかしくはない。「そんな都合のいい呪文があるのね。フェリックスを返り討ちにしたのもそれのせい?」

「えっと、それは……」

「――まぁいいわ」

 済んだことを掘り返してもしょうがない。「問題はその呪文の効力がいつまで保つかということだけど、無尽蔵ということはないはずよね。ソフィにはそこまではわからないの?」

「ええ、ごめんなさい」

 ソフィは顔をややかげらせた。「本当に大事な時以外は使ってはいけないと親から言われていたけれど、それ以上のことは何も。もしかしたらもうほとんど使える信用が残っていないのかも知れないし、使い過ぎると何かの代償があるのかも知れない。理幣のように数えることができればいいのだけど……」

 そう言って口元に細い指を当てて、困り顔をした。ソフィにわからないのなら、リクラフに直接訊ねるしかないが、本音を言えば貴重な理幣を消費したくもない。


「ともあれ、合流地点まではどうにか信用量が保ってもらわないといけませんね」

 会話が淀んでしまった私たちをつつくように、ハイバルが要点をまとめた。「リクラフ様に跳んでもらればアンラウブまで丸1日ほどの距離ですが、それができなければ森林伝いに迂回した上で山道を行く必要があり、1週間はかかります。そんなにのんびりとアンラウブに向かえば、追手に捕まるリスクも高まるでしょう」

「この森の周辺はもう蛮教徒カルトの勢力圏なんじゃないの?」

「ええ、半分ぐらいは。でも、俺の行動は、蛮教徒カルトの下っ端にまでは知られていない。下手に捕まるとややこしいことになりかねません。――そう言えば、エリザさんがお手持ちの理幣も何枚かあるのでは?」

「残りは……」

 小物入れをまさぐり、若干くしゃくしゃになっている理幣を数えた。「……10枚ほどね」

「それは、リクラフ様に1日ぐらいの移動を依願するのに充分な量ですか?」

「ただ移動するだけなら、5、6枚もあれば」

「じゃあ、ソフィの呪文の効力が尽きてしまっても大丈夫だ」

 ハイバルのあっけない判断に、私はため息をついた。何を能天気なことを言っているのか。

「あのねぇ、この後リクラフをどの程度使役したいの? どの程度の会敵を予期していればいいの? 5、6枚の理幣があれば緊急的な防衛戦闘を任せることもできる、それを移動のためだけに使うのは相当贅沢なことなのよ。例えば、この森は野良の偶像アイドルがわんさかいるでしょ?」

「ああ、まぁいますけどね」

 ハイバルは思い出したように同意した。

「『いますけどね』って、あんたね……、」

 それは、どこか危機感に欠けた反応だと感じた。「あんたなら承知の上だと思うけれど、このグラン・オーの森が“晦冥かいめいの神域”とされていることぐらい、私でも知ってる。このばかでかい鬱陶しい森にヒトが手が出せなかったのは、数多の偶像アイドルの巣窟だからだ。理幣の余裕もないことだし、ソフィの呪文でいつまで動くかもわからないリクラフありきで乗り込むのは、私は賛成しない」

 ハイバルはふわりと口元を緩めた。

「恐らく大丈夫ですよ、そこまで心配されなくとも。野良の偶像アイドルは、こちらから手出しをしなければ、そう恐ろしい存在ではありません。アンラウブ城のそばまで行ければ、蛮教徒カルトの連中も森を掌握しています」

「何か確信があるの? それとも腹案が?」

「“確信”という意味なら、初めてここに来たエリザさんやソフィよりは、俺はこの辺りの土地を知っています。“腹案”については特にありません。――それでも不安なら、こういう時こそ祈りましょうよ、リクラフ様に」

 それだけは死んでも嫌だ、とはソフィの手前、口に出さないでおいた。


 リクラフは相変わらず涼し気に眠ったままで、私たちに起こされるのを待っていた。

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