晦冥の神域(2)
◇
深い森の夜の底で、私は真っ白な夢を見ている。
白の装束を着込み、金色の金属杖をつきながら進む私の父と、6、7名の大人たち。
私の少し前を歩くその肩越しに、斜め上から陽射しが飛び込んできて、目蓋が刺されるようだった。
大人たちの作る輪に囲まれて護送される子どもたちは私を含めて10人弱ほど。私たち子どもは顔のほとんどを白布で覆い隠していて、露出しているのは眉から頬の上ぐらい。だから、男の子も女の子もほとんど見分けがつかず、似たような顔ばかりに見えていた。
金属杖の金輪がしゃらしゃら擦れる音が、頭上から降りてくる。足元に眼を向ければ、顔が映るほど磨かれたつるつるの大理石で、カツカツと杖をつく音が心地よく響いている。
聖なる儀式だと聞いていた。
装束を着付けされて儀式の場へ向かう私に、お母さんは頑張ってしっかり務めを果たすよう言い含め、お父さんは固く口を結んでいた。
頑張れったって、何をするのか、あるいは何をされるのかはわからない。
そうしている内に回廊を抜けた。目前に迫る、普段は封鎖されているアリゴラ大神殿の正面入口。その入口のすぐ上の壁面には大きく描かれた龍の紋様。人間がただ出入りするにはあまりに巨大なその入口から向こうは真っ暗で、まるでばけものが大きく開いた口の中を覗き込むかのようだった。今にも私たちの身体を賞味し咀嚼しようと待ち構えるように。
あ、そうか。漠然とした不安が渦巻く中で、ひとつの閃きがあった。
この神殿は、初めからそういうものとして建築されたのかな。
選ばれた人を呑み込むために。
ここから入っていく者にそう思わせるために。
そうしてここに眠る、私たちの神様に捧げられるために。
思えば大したことではないが、少なくともその瞬間は、知られざる真実を偶然見つけてしまったように思えて、我ながら冴えていると思った。
さっき部屋を出る時に飲まされた白くて甘い飲み物のせいで、眠たくてふらふらする。眠ってしまえばこの冴えた閃きも忘れるかも知れない。そうなる前に誰かに話しておきたかったが、隣の子と私語をするなんて真似は絶対にいけないと恐い顔で何度も脅されていた。
大人たちは一様に険しい顔をしている。何かを知っているからだ。
子どもたちは凛と前を向いている。何も知らないからだ。
大神殿の入口をくぐって奥深くまで進入したところ、後ろで扉の閉まる音が響く。真夜中の海底のような闇に、私たちは説明もなく放り出された。すぐ傍に誰かがいるはずだが、何も見えず、息遣い以上の音も聞こえない。
ますますぼやけ始めた意識をどうにか保ちつつも、儀式が始まったのだということを私は悟った。
無限のような暗闇の中で、ひとつの火が灯る。ぼう、と浮かんだ橙色の光。
まるで救いを差し伸べるようにその火は私たちに近づいた。でも、それは見せかけだった。
いきなり、とある子どもの絶叫が鋭く響いた。輪の外側にいた子どもたちから、波が迫るように、順番に悲鳴が上がる。その出どころは徐々に私へ近づいてくる。すぐに私の番が来る。
意識がはっきりしない。それでも膝ががくがくと震え始めた。
暗闇から手が伸びてきて、私の全身を隠していた装束を手早く引き剥がしたと思うと、その火はついに私の目前まで迫って、そして――
◇
身体を揺さぶられ、眼を開けると、私の眼の前にソフィの顔があった。
「エリザ、起きて」
彼女の声に緊張したものを感じ取り、ぱちりと眼が覚めた。額に少し汗が滲んでいたので、さっと拭った。
取り急ぎ雨風と虫を凌ぐために張った手狭な天幕の中で、帆布を透過した微かな月明かりではソフィの表情まではわからない。
「どうしたの?」と聞くと、「外で気配がする」とソフィは怯えた様子で言った。
ソフィの背後、天幕の帆布の向こう。確かに枯草を踏む音がしている。こちらに向かって一歩、一歩と近づくように。
何人かの足音も聞こえるが、人の足音にしてはずっしりしたものも聞こえる。
「――ハイバルは?」
ふと、狭い天幕の中に彼の姿が見えないのに気づいた。「……ともかく、外へ出ましょう」
ソフィとふたりで天幕から抜け出すと、すぐ近くの大きな倒木にリクラフが腰かけていた。両眼を閉じて居眠りしているようにじっとしている。
理幣を使うのも仕方がない、リクラフを起こすか――と考えたその時、物音のする藪の闇から現れたのは、ハイバルだった。
「あ、起きたんですか。お疲れでしょうから、寝ていてもよかったのに」
彼は少し驚いたように言った。
こっちは死を覚悟したのに、その緊張感のないとぼけた声にはむっと腹が立った。
「“起きたんですか”じゃないでしょう。何処へふらふらと?」と責めかけたところで、ハイバルは「しーっ」と唇に一本指を立てて制止した。
「アンラウブの傍まで来ていたので、お迎えを呼んできたんです。2人ともここからは虜囚ですから、それらしく振舞ってくださいね」
すると、ハイバルの出てきた藪から、羆ほどもある巨大な
3体の
その大男は私たち2人の姿を認めて、この静謐な夜の森を震わすハスキーな声で告げた。
「ソフィ・ユリスキア、それからエリザ・ウィルダだな?」
私とソフィはそれぞれ大人しく頷くと、大男は続けてリクラフを指差した。「……そこの倒木に座っているのが、あのリクラフ様か?」
そうよ、とソフィが答えると、大男は意外にもその場で両膝を着いて跪き、リクラフに対して深々と頭を下げた。当のリクラフは、なおもじっと眼を閉じているが。
顔を起こして立ち上がると、大男は再び私たちを見た。意外にも紳士的な立ち振る舞いだった。
「――先刻、貴殿らの再帰神団への投降と受け入れが裁可され、アンラウブ城への入城が許可された。形式上は虜囚としてであるが、我らが継領リヴァー・リーヴスより、くれぐれも丁重にお連れするようにと仰せつかっている。我は第3神撃集団 団長ガンチェク。継領殿下の命により、アンラウブ城まで護送つかまつる。夜明けには着こう」
ガンチェクと名乗った大男は自身の後ろに控える
ハイバルの顔を見ると、和やかな表情をしている。ここは言われた通りに従うしかなさそうだ。
「あくまで私とソフィは一時的に
ハイバルは小さく頷き、冗談めかして呟いた。
「端から守れないような約束はしないのが俺のモットーです」
月光がハイバルの瞳を照らした。「――が、すんなり行く保証はありません。手は尽くしますが」
「ここまで来たのに、保証はできないなんて聞きたくないわ」
「俺が途中で死ぬこともあるかも知れないじゃないですか」
ふわふわと癖のある彼の前髪の奥で、その輝きが静かに瞬いた。「何しろここからは毒蛇の巣を裸足で歩くようなもんですから」
考えてみれば、保証の有無はそれほど問題ではなかった。私だって今さら手ぶらで連邦軍に逃げ帰っても自殺行為でしかない以上、この乗りかかった舟には付き合ってしまうしかない。
命を掛けてでもやりたいことがある、と言ったこの男が、わざわざ「守ります」と宣言したのだ。
「……信じてもいいのね、あんたの言葉を」
脅しのつもりで私は言ったが、ハイバルは少し違う受け取り方をしたようだ。嬉しい誤算であるかのように眼を丸くして、柔らかく答えた。
「――ええ。ご随意に」
そうして彼の微笑みが、お湯に入れた氷の欠片のように、月光の向こうに溶けた。
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