第5章

蛮教徒の首魁(1)

「旧アリゴレツカの都アリゴラより西方へ約15日。我々がこのアンラウブ城を奪還したのは今より3年前。大陸暦にして1439年秋のことだ」


 ガンチェクという名の大男以下数名の武装兵に両脇を固められつつ、私とソフィとハイバルは連れられて回廊を歩いている。

 その私たちの眼の前にはひとりの壮年の男がいて、まるで羊の群れを率いるように私たちの一団を先導している。

 ただ前だけを向いて悠然と歩きながら歴史を語りかけ、群青の煌びやかな戦装束をまとったこの男こそ、私たちの連れられたこのアンラウブという古城の主だった。


「――これに先立ち、一度は瓦解した連帯神団が、再帰神団として再び決起する契機となる出来事があった。ウィルダ殿であれば、ご存知かな?」

「“クオール騒乱”ですか。戦役終結の約1年後の」

 男の背中に向けて回答する。

 一拍の無言を挟んで、「……そうだ」との答えが返ってきたが、微かな不服の響きが含まれているようだった。

「“骸軍“に接収された啓霊様を戦列に編入する――要は、理甲師団への徴用との決定に対して抗議活動が行われた。それに対する武力を伴う弾圧――俗に言う“クオール騒乱”。ただ、クオールは私の故郷だ。同胞たちの抗議は全く正当なものであり、『騒乱』などと一方的に呼びつけられるのはフェアではないと感じていてな。だから、私たちはその件を“クオールの涙”と呼んでいる」


 連邦軍から見れば『騒乱』でも、蛮教徒カルトの頭目から見れば『涙』と。

 どんな言葉で包もうが、事実は常にそこにある。それを見つめる視角によって、正当性も真相も様変わりするわけだ。どちらの言い方がより正当で、真相であるかを証明する手立ては、今の私にはない。


 私の眼はふと窓の外を向いた。そこに広がる茫漠とした樹々の緑を捉えて、ほう、と感心の息が口をついて出た。

 美しい景色だったからだ。

 このアンラウブ城は、巨大な樹海の中に飛び抜けたようにそびえる急峻な岩山の狭間に建設されている。敷き詰められた真綿のように柔らかに揺れる樹冠は、まるで雲を見下ろしたかのようだ。渡り鳥が見る景色はこれに近いものかも知れない。

 しかし、青装束の男の恨みがましい声が、私の意識を山紫水明の光景から人間の生臭さに満ちた現実へと引き戻す。


「――クオールは連帯神団の中核のひとつであり、“骸軍”に対して最も勇猛果敢に立ち向かった勢力であった。それ故、戦後はその咎を受け、軍の解体、指導層の処刑、更には域内に鎮座する啓霊様の内、幸運にも戦火を免れた数柱も根こそぎ取り上げられることになる。クオールの民の度重なる請願は無情にも無視され、我々の営みの中心にあった啓霊様の理甲師団への編入が決定した。それもこの大陸ではなく、海を超えた奴らの本土に配置されるとな」

 いかにも悲痛そうな語り口。聞いていて白けた気分になるのを、私は必死で顔に出さないようにする。

 頑強に抵抗した敗残の連中から牙を抜くのは戦の道理として当然だろう。それを、この百戦錬磨の男が理解できないはずがないし、それしきのことで心を痛めるほど繊細なわけがない。


 まだこの男は自らの名を名乗っていない。それでも、私はこいつを知っている。

 この青装束の男こそが、再帰神団を統べる継領リヴァー・リーヴス。

 道理なき戦乱を引き起こし、大陸の人々の対立をいたずらに煽り立てる蛮教徒カルトの首魁、その人だ。


「――啓霊様の御身が傷つくようなことがあれば、我々にも大過が降りかかる。なればこそ当然の抗議活動がごく平和裏に行われたのだが、“骸軍“はそれを踏みにじった、ということだ。涙を呑んだ民草の無念、そして先の戦役で無惨に散った者たちの魂を引き受けて、いよいよ立たねばならないとの決意が私の中に生まれたのだ」


 ますます白々しい。どの口が言うか、「狂犬」が。

 前身組織の連帯神団では、こいつはクオールと呼ばれた一地方の猛将として知られていた。リクラフの陰に隠れてはいたが、敵将の中では最大の要注意人物であった。

 こいつが現れる時は決まって騎兵――それも数十から数百程度の寡兵であり、伴侶亜人類プロクシーズの類は1体も従えない。にも関わらず、こちらに理甲がいようが物ともせず、我々の陣形の手薄なところを目敏く見出しては的確に噛みつく。そしてこちらが反撃に転じるぎりぎりのタイミングで見事に退却していく。それを連日連夜、何かに憑りつかれたように繰り返し続ける戦いぶりは、勇猛果敢というよりも狂気の域ですらあった。

 後にクオールの降将が語ったところによれば、リヴァー・リーヴスはその好戦的な性格により指導層の主流派からは疎まれていた。そのため、戦役勃発後早々の時点で、わずかな信奉者と共にクオール軍を離れて下野していたという。

 それは衝撃的な情報だった。あれほど狂気的な抵抗を見せたリーヴスの部隊が、実はクオール軍の指揮系統には一切属しておらず、いわば山賊やゴロツキのような立場でありながら進攻する連邦軍に歯向かい、クオール軍のどの部隊よりも我々を手こずらせていたのだから。

 よほどの愛郷の義士か、はたまた血に狂った化物か。いずれにしても、この男はまともじゃない。どれほど落ち着き払ったしたり顔で物事を語ろうとも、それが本性のわけがなかった。


「――幸いにも、連帯神団時代に交誼を結んだ同志や賛同者が再び力を貸してくれた。そして、兵力の乏しい我々が偶像アイドルの御力をお頼みできる、またとない僥倖をも得た。挙兵の発起点は大陸のほぼ西端であるここ、アンラウブに決めたのもその頃だ」

“またとない僥倖”――それが何かはわからない。

 私は再び窓の外の樹海を見下ろす。

 前を歩くリーヴスがそうしたから。

「ここはグラン・オーの大樹海の真っただ中――と言っても、森林全体から見れば、こことてほとりに過ぎないが。この古城は最果ての山城としてほとんど打ち捨てられていた。しかし、この城こそが連帯神団を再興する起点として最も望ましい場所だった。周囲を3つの高山に囲まれ、その中腹に築かれた天険の地。――何より、」

 そこで群青装束のリーヴスは踵を返し、私たちに相対するように立ち止まった。「グラン・オーの樹海こそ、この大陸最大の偶像アイドルの策源地でもある。――ようこそ、再帰神団へ」


 敵の首魁から「ようこそ」と告げられたここまでのところでは、ハイバルの言葉通り丁重な扱いを受けていると感じられた。さすがにサーベルなどの得物は取り上げられ、リクラフもどこかへ持ち去られてしまったが、私とソフィは縄で縛られることもなく手足も自由だ。ごく普通に客人として屋敷に招かれたかのようにも錯覚してしまう。


 ただ、先ほどからこの男を見つめるソフィの顔が、妙に強張っているのが気にかかった。

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