廃甲(4)
幸いにも大陸司令部から馬車が手配されたおかげで、私は身体に負担を掛けることなくザイアン地区まで向かうことができた。
日は既に暮れかけている。夕焼けがアリゴラの街に飴色を塗りたくり、帰路を急ぐ人々とすれ違いながら馬車は進む。
目的地は隔離牢塔。美しいアリゴラ中心地からしばらく離れただけで、殺風景でどこか薄着味の悪い寒々とした山間地に辿り着く。向かって遠くは、郊外とアリゴラを隔てる山脈がそびえている。木々もまばらなその山岳の中腹に、赤銅色の角ばったレンガ造りの巨大な建築物が見えるのが目立つ。あれがアリゴラ監獄だった。
隔離牢塔は、どうやらあそこまで山側には行かないらしい。もっと手前の裾野に、池と呼ぶには少し大きなぐらいのささやかな湖がある。そこをぐるりと広範に取り囲むように小高い柵が立てられ、立派な門が目前に見えている。まるで私の乗る馬車を丸呑みにしようと待ち構えているかのように。
その門の奥、湖を取り囲む背高の樹木の少し手前、ぽつんと低めの石造りの塔が建っていた。路上の死体を取り囲む野次馬の大人たちと、その後ろで見たそうにしている子ども――何だかそんな風にも見える。それが隔離牢塔の姿だった。
門の傍、それから塔の周りには警邏が点在している。人数はそれぞれ2、3名ずつぐらい。広さの割には人数が少ない印象だ。塔の周りはそれなりに見晴らしが良さそうなので、多数の警邏を配置する必要はないのだろうか。
馬車は門の前で一度止まった。久しぶりに着用した軍装とサーベルをもう一度確認してから、私は馬車から下りた。
入口の警邏に誰何されたが、先ほど大陸司令部で受け取った命令書をかざすとあっさりと門が開いたので、再び馬車に乗って塔の前まで進んだ。
塔の入口で馬車から降りてからは、2人の警邏が案内を買って出てくれた。
警邏の背中について石造りの塔の中へ入り、螺旋階段を上がり出す。石塔の中はアリゴラ中心地のそれとは違い、建築的意匠だとか機能性といった面では全く素っ気がない。
「どんな人間がここに?」と案内役の警邏に尋ねると、
「さぁ……知ったところで気分のいいものではないですよ」
そう彼は答えた。僻地で人知れぬ職務を担う中年男性らしい、てらいのない、この世の全てに失望しているかのようなぼそぼそとした喋り方だった。「罪人はあっちのアリゴラ監獄に送られます。こっちにいる連中は、法律とは違った理由で、裁判もされずに送られてくる。保護とか静養とか逗留とか教育とか、名目は異なりますが……まぁ、お察し下さい。ここは罪を犯したわけではないが、外にいられちゃ都合が悪い人間を押し込めるための場所です」
そう言われてみると、薄気味の悪い場所だった。警邏の持つ松明の橙色の光だけが頼りだが、そんなものでは照らし切れない闇に、無数の何かが潜んでいそうだ。
こうして螺旋階段を上っていくだけでも感じる。「人が住む」ということに対する思いやりのなさ。
足元と壁を構成する石材は、死人の肌のように冷気を放つ。ここに老人を放り込めば、恐らく半日と持たず体調を崩してしまうだろう。階段途中には猫がどうにか出入りできる程度の窮屈な小窓もあるが、隙間風を無秩序に通すくせに、陽光を取り込むには役立たない。
面倒な輩を生かさず殺さずまとめておくための容器――そんな圧迫感に、私は胸が詰まりそうになった。
螺旋階段をぐるぐる上り続けてやや目まいを感じ始めた頃、「ここです」と警邏が告げた。
階段途中のちょっとした踊り場から塔の中心側へ、木製の古ぼけた扉が蓋のようにはまっていた。この先にソフィの部屋があるということのようだ。
「すみませんが、規則ですので私どもも同席させて頂きます。半時間を超える面会は許可されておりませんのでご留意を」
警邏のお断りに対して私がすんなり頷くと、彼はその扉の鍵を開けた。
中に進むと鉄格子があって、警邏はそこの鍵も開けて中に入った。
さらに先にまた木製の扉が見える。
「ユリスキア様、面会です」と警邏がそこをノックすると、中からちゃんとソフィが出て来た。
「あれ、エリザ?」
私を認めたソフィは、驚き半分、嬉しさ半分といった様子で笑った。「どうしてここが分かったの?」
「ご機嫌よう、ソフィ」
私はひとつも笑わずに応えた。「……あなたの言っていた啓霊って、リクラフのことだったのね」
私の軍装と、にこりともしない顔つきを見て、何かを察したようだった。
ソフィの顔からみるみる笑顔が消えた。
「……ええ、そう。リクラフは、わたしの村の守り神だったわ。エリザ、それがどうかした……?」
憎きリクラフの飼い主。あの悲惨な戦場の、私の恩人殺しの首謀者。そういう色眼鏡でソフィの姿を見てしまう、もうひとりの自分がいる。
鉄格子の内側の空間には私と警邏が1名、そしてソフィ。鉄格子の外側には松明と共に警邏がもう1名配置された。
「今日は軍の――理甲師団の使いとして来たわ」
「理甲師団の……?」
「ここへ座って」
眼の前の丸椅子を指差し、彼女に命じた。捕虜にそう命令するように、乱暴に。
私とソフィは向かい合うように丸椅子に腰掛ける。足下から冷気が這い上がり、足首を冷やしていくのを感じる。ソフィはいつもこんな寒いところに閉じ込められていたのか。それを哀れに思う気持ちも弱々しく湧き上がった。
「――あなたにとっては残念なお知らせよ。リクラフの廃甲がほぼ確定した」
ソフィの眼に動揺が走った。
「エリザ……反対は?」
「なぜ私に反対する理由があると? 私も理官としての良心と理性に従い、それに賛同した。……言っておくけど、仮に私が反対したところで、結果は変わらなかったそうだ」
最後にそう付け加えたのは、せめてもの慰めのつもりだった。
愕然としているソフィの様子には見て見ぬふりをし、なおも私は告げる。
「ただし、廃甲を撤回させられる条件がひとつだけある。それが何かは、あなたならわかるでしょう?」
「え……な、何のこと?」
「リクラフの能力を解放して」
きっぱりと宣告した。「ソフィ・ユリスキア。あなたは連邦に投降する直前、酋長としてリクラフに何らかの命令を行い、その能力に一定の制限をかけたはず。その後、リクラフは我が軍が接収し理甲として運用していたが、未だに理官の指示を適切に遂行せず、廃甲も止むなしとの判断が下されるに至った。リクラフをあのようにできたのは、当時酋長だったあなたの両親、もしくは戦役中にその役目を引き継いだあなたのいずれかしか考えられない。――ここまでで、反論はある?」
「し、知らない……」
その否定はどこか弱々しい。
印象だけで決めつけるなら、心当たりがあるとしか思えない態度だった。
「じゃあリクラフは、戦役が終ったらひとりでにああなっていたわけ? それとも戦役の最中からああだったの?」
「そ、それは……」
「そんなわけがないでしょ」
びくり、とソフィの肩が震える。「私は先日の戦闘で、理甲としてリクラフともタッグを組んだ。でもね、リクラフは何でか知らないけどひとつも攻撃しようとしないの。おかしいわよね、5年前に戦場で出会ったリクラフは、連邦の理甲や兵士を壊して、殺して――全くあんな風ではなかったのに。それに、リクラフ自身も『理幣よりも信用強度の高い契りがある』から自分は攻撃ができないんだと言っていた。そんな契りを交わせるとしたら、村にいたあなたかあなたの両親を置いて他にいないんじゃないの?」
「エリザは……その、戦役で、リクラフと闘っていたの?」
「ええ、とっても恐ろしい、憎むべき相手だった。……それで、あなたの答えは? ――これは友人としても訊くけど、本当に心当たりはないわけ?」
ソフィはそれ以上反論出来ないようだった。ただその唇を結んで、俯いた。
「黙秘するも拒否するも、あなたの自由。だけど大陸司令部は断言したわ、これが最後の機会だと。この機会にリクラフの縛りが解かれないなら、リクラフもあなたももう終わり。“終わり”ってどういう意味か、わかるわよね?」
「そ、そんな……ちょっと待って」
「理甲師団はあなたが応じるのを5年も待っていた。まだ時間が必要だなんて理屈は通じない」
ソフィは再び押し黙った。「――でも、あと1日だけ猶予をあげる。明日、進駐軍本部に出頭してもらうから、その場でリクラフの能力を解除するか、本当に知らないと言い張るか、あなたの答えを聞かせてもらう。考える余地はないはずよ、あなたもリクラフも、まだ生きたいのであればね」
ソフィの硝子玉のような瞳が潤んでいくのがわかる。その瞳には、私はひどく冷酷に見えているのだろうか。
例えほんの少しの間でも、ソフィが私を好意と信頼を持って見つめていたことは疑わない。『わたしと似ている気がする』とソフィが言ったあの瞬間を、私も忘れられるわけじゃない。だから、こんな態度を取るのは胸が痛まないと言えば、それは嘘になる。
「用件は以上よ。賢明な答えを期待しているわ」
「ね、ねぇ、エリザ、」
丸椅子から立ち上がった私を、彼女は震え声で引き留めた。「……また、その、お茶が飲みたいわ。また、飲めるわよね?」
「お茶?」
私は少しその言葉の意味することを察して、「いいわよ」と応じた。
「ところで、今夜は月もきれいだわ。風邪をひかないよう、夜は暖かくなさいね」
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