万邦よ、適正たれ(3)
囚われの“神灯”の守り人を救いたいと告げたハイバルの言葉は、まるで新品のシーツに垂らされたスープのように、大きな染みとして私の頭の中に広がり始めた。
私と同じような“守り人”が既に
まさかそんなことが、という想いもあるが、私のことを“守り人”だと早々に看破した訳も頷ける。
「あれだけの軍が、たったひとりの“守り人”におんぶにだっこなのです。放っておいても
「だけど、半年も待てば崩壊するような状況なら、今ここで危険を冒さなくたって……」
「それはエリザさんの言葉とも思えませんね。“アリゴレツカの神灯”のことは何があっても秘匿しなければならない――それがあなたたちの宿命なのでしょう?」
くすくすと彼は笑った。「ただ単に囚われの“守り人”を救出したり、使い潰されるのを待つだけじゃ、
ハイバルは伏し目がちに言い捨てた。
「おぞましい、グロテスクな人間の強欲がもたらす消費という虚無が横たわっているだけです。そんな不毛な負の連鎖を断ち切るなら、今動くしかないと思います。――エリザさん、
生唾を呑み込んだ。
「――俺は、どうして世界がこんなことになってしまうのだろうと考えた」
悔しさなのか、諦めなのか。どこかぼんやりとした感情を噛み締めるように、ハイバルは呟いた。「啓霊様だ理甲だと言いながら人間同士が争ったり、リクラフ様を役立たずだと言って廃甲しようとしたり、
「
「ええ。ひとつは、
「あんたの構想は、とりあえず承知したわ。――賛同するかはともかくね」
どう言葉にすればいいかはわからないが、彼の目論見にはやはり何かが突っかかる。例えばソフィは、今の話に諸手を挙げて賛同しているのだろうか。
だが、ここでこいつの策動を止めさせたとしても、恐らくハイバルが懸念する通りに事態は悪化していく。遅かれ早かれ、
日和見ではなく、何らかの行動を起こし、
「……ところで、今の話、ソフィにはどこまで伝えているの?」
「“アリゴレツカの神灯”に関する部分であれば、俺の動機も含めて、ソフィには一切伝えていません」
「伝えていない? そんな大事な話を?」
「だって、べらべら喋ってしまっていいんですか? “神灯”の大事な秘密を」
確かに、ハイバルに諭されることではない。
「だ、だけど、何も知らせずにソフィを命懸けの事態に巻き込むなんて……」
「ソフィにとって大事なのは、リクラフ様が廃甲されたり
「そうかも知れないけど、私に言うぐらいだったらまずあの娘に……」
「エリザさんにこうしてお話ししているのは、あなたが他ならぬ“守り人”の当事者だからです。もちろん、ソフィと比べると年長ということもありますけどね。この件は、俺とエリザさんのふたりが対処すべき問題です。――“神灯”というのは、そうすべきものでしょう?」
彼はそう結んで、少し腰を上げた。「――話は変わりますが、こんな黴臭いところに来てもらったのは、この下の部屋が覗けるからです」
彼は自身の身体の脇、壁際にさりげなく立て掛けられていた胴体ぐらいの大きさの板をひょいと横にずらした。瞬間、そこにあった隙間から、柔らかな微光が漏れ出した。
彼に促されて私はその隙間を覗き込む。かなり広い地下室を天井から見下ろせる構図になっていた。地下室の四隅には松明が灯っているが、それが照らし出す祭壇の中央、石造りの寝台の上に古ぼけた棺のようなものが乗せられている。古代紋様のびっしりと彫り込まれた、重厚な石造りの棺だ。
今の話の流れから、あれが何なのかはすぐに察しがついた。
「あれが、その
ハイバルはそうだと答えた。
「何でも、グラン・オーのどこかにあった巨大な遺跡を掘り起こしてきたそうです」
「遺跡か……あいつの名前はわからないの? 遺跡に封じられていたほどの邪神なら、歴史にも登場しているかも」
「さぁ、名前までは」
ハイバルはどこかとぼけるように答えた。「発掘の際には数十人ほど使い物にならなくなった、とリーヴスは言っていましたね。見てもらえればわかりますが、並の奴とは明らかに違いますよ」
改めてその棺を見下ろすと、頭の中に「ぴりっ」と何かが走る感覚があった。
気のせいかと思ったが、徐々に頭痛が強くなり始める。まるで、あの棺を直視することを、自分の本能が拒んでいるかのように。
「……あまりじっと見つめない方がいいです。ヒトには強すぎて、気分が悪くなる」
ハイバルは再び割れ目に板を立て掛けた。すると、不思議と頭痛が引いていった。「――
「確かに、邪神というのははったりじゃなさそうね」
そう口にする頃には、先ほどの頭痛が嘘みたいに収まっていた。「あの棺が開けば、その封印が解かれると?」
再び松明を手にして、ハイバルは頷いた。
「彼らの計画は、連邦の大陸進駐軍の本拠地アリゴラの喉元にあたるグランカゼルの地であの棺を開封します。そこでリクラフ様の立ち合いの下で契約を結ばせ、そのままアリゴラへ差し向ける手筈です」
そのハイバルの声は諦めに満ちていた。「ただ、現時点でまだ状況は流動的です。詳しい打合せは、ソフィを交えて、その前夜にでもやりましょう」
そう言うとハイバルは立ち上がり、部屋へ戻りましょうと告げた。
静かな城内の暗がりを歩いて、再び屋根の上まで戻ってきた。ハイバルはあの塔のてっぺんから垂れ下がったロープを掴むと、自分に掴まるよう片腕を差し出してくる。
月明かりに照らされて、彼の顔半分が青白く照らされている。その表情には微かに笑みを讃えているが、どこかくたびれているような、何かを諦めているような眼をしてもいる。
「――ねぇ、ハイバル」
何でしょう? と彼は柔らかく応じる。
その顔には、やっぱり微かな見覚えがあるような気がした。どこで見たかは思い出せない。
「……その、後悔はないの?
少しの間、私たちの間に夜風が吹きすさんだ。
その風が通り過ぎてから、ハイバルは口を開いた。
「誰もいないとは言いません。ガンチェクさんとかね。でも、俺に後悔があるかどうかなんて、重要なことではないと思います」
彼が答えたのはそれだけだった。重要なことではない、という以前も聞いたような返答。「――さ、早く掴んでください。寝る時間がなくなってしまいますよ」
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