旧き守護神と旧き主(7)
一見、リクラフはフェリックスに対して互角に組み合っているように見える。フェリックスの両手の長刀がまさに振り下ろされようとしているところ、その2つの掌底をリクラフは下から捕まえ、全力で阻んでいる。ぎりぎりと両者は一歩も譲らない。
よく堪えているものだった。精悍なフェリックスと相対するリクラフの、あまりに華奢な身体つきには改めて驚かされる。あたかもフェリックスのことが、美しい婦女に襲い掛かる暴漢のように見えさえする。身にまとう装甲を足したって倍半分ほどの体格差があるのに、それでもリクラフはその細い腕と身体でどうにか食い下がっている。
――が、やはり微かではあるが、力負けしているのはリクラフの方で、僅かずつ押し込まれつつあった。
フェリックスの真価はやはりその極めた二刀流にある。長身の男の背丈ほどある2本の長剣をつむじ風のように振り、例えば紙にペンで引いた1本の線を、寸分の狂いなく切り裂けるだけの筋力と技術がある。得物を振るう自由さえ得られれば、さしものリクラフも素手で勝ち目はない。
だからこそリクラフは、自身の両手を取られようとも、ソフィとハイバルの前に身体を晒してフェリックスの両手を塞いでいるのだ。
勘のいい警護兵のひとりは、その状況を見逃さなかった。我々の遂行すべき命令はリクラフの破壊よりも、まずは間諜の疑いがかけられたソフィとハイバルを始末すること。今なら、厄介なリクラフの両手は物理的に塞がれている。
彼は手にした短槍を担ぎ上げ、後ろに引き絞るとソフィの後ろ頭を目掛けてしなやかに投げた。空気を裂いて真っすぐ槍は飛ぶ。リクラフのすぐ背後にいるソフィの死角から、その後頭部へ一直線に迫る。
しかし、彼女の後頭部のすれすれ手前で、槍は何かにぶつかって弾かれた。ソフィ自身、その打音で初めて自分が狙われていたことに気づいたぐらいだ。
ソフィを護ったもの――それは、リクラフが目一杯伸ばした右腕の装甲だった。
彼女の瞳が驚きと共にリクラフを捉えるのが、妙にスローに見えた。
フェリックスを押し留めるための貴重な片腕。それを離してまで、あいつはソフィを護った。
――その行為は即ち、フェリックスとの危うい均衡を自ら崩すことを意味する。
伸ばした片腕に槍が弾かれたのとほぼ同時、がら空きになったリクラフの右肩へ、自由を得たフェリックスの一刀による斬撃が一閃。
それはリクラフの肩部装甲をも叩き割り、肩から鮮血が噴き上がる。
「あぁ、リクラフ!」
ソフィが悲鳴を上げる。
「畳み掛けるぞ!」
絶え間なく理幣を供給するカウリールの咆哮が飛ぶ。
均衡は崩れた。リクラフの肩部は損壊。後は押し切るだけだ。
フェリックスは即座にリクラフの肩を砕いた刀剣を抜き戻し、とどめを刺しにかかった
――が、その動きががくんとつっかえたように見えた。刀身がリクラフの右肩に埋まったまま、だ。ならば、とフェリックスはもう一度勢いをつけて引き抜こうとする――その一瞬の逡巡、今度は待ち構えていたようにリクラフが動き出す。
そこから勝負はあっけないほど早く、そして驚愕すべきほど速く決する。
まさに刀身を引こうとしたフェリックスの片腕を、リクラフの右腕が蛇のように巻き付いて固縛する。そのまま懐へ決然と踏み込み、身体ごとフェリックスの左腕を巻き込むようにして、思い切り外側へ捻じった。自身の右肩で、剣を咥え込むようにしたまま。
フェリックスの左腕――まずその肘が、次に肩が連鎖的に破裂音を上げ、
速やかに立ち上がったリクラフの涼しい顔と、硝子細工のような瞳は微塵も曇らない。自分の右肩に食い込む長剣を無傷の左腕で引き抜くと、それを用いてフェリックスのもう片方の手首をぴゅんと切断し、拳ごと刀剣を切り離してしまった。これでフェリックスは2本の得物を失ったことになる。
さらに、そのままくるりと刀剣を逆手に持ち変えて、全身の体重ごと垂直方向に突き下ろした。倒れたフェリックスの片手をその切っ先は貫通し、甲渠の地面、敷石の紙一重の隙間に刀身の半分が埋まるほど深々と突き刺さった。
まるで兎を捌く熟練の狩人のように鮮やかな手際で、相手の戦闘能力を奪い、その場に封じてしまった。
これを遠巻きに見ていたランドール副官ら、そしてその対角にいるカウリールの分隊からは、驚嘆とも悲鳴ともつかない複雑な声が湧いた。
まさに、肉を切らせて骨を断ってしまった。それも、フェリックスのような上位種を相手に。とても並の理甲にできる芸当ではなく、しかも理官の指示を何も受けずにこれほどの格闘機動を見せた。
こんなの、あり得ない。だが、私は改めて思い出しもする。あの戦役で、このリクラフは累計30体弱もの理甲をことごとく破損させた個体だ。30体弱もの理甲を、だ。
――それを、わずか3体で沈黙させようなどと、余りにも……余りにも、見通しが甘かったのかも知れない。
そこには不運と誤算がいくつもあった。フェリックスがやられたのも紙一重の差だったわけで、もしシュガとオーガスの2体が先に各個撃破でやられていなければ。
もしこの場で見世物のようにハイバルたちを処刑するなどという選択をしなければ。
しかも、その処刑人によりによってリクラフを指定などしなければ。
「お、おい、立て、フェリックス!」
カウリールが叫ぶのは、諦めが悪いわけではない。
例え両手が断たれようとも、理甲ならまだかろうじて継戦は可能だ。フェリックスも早速、杭のように突き刺さった刀剣から手を引き抜こうともがいている。
問題は、フェリックスが行動を再開できる時間までに、ハイバルらがこの場に留まるかどうか。決して長い時間ではないが、この状況下では瞬発的に対処できなければ有効ではない。
と、リクラフは興味を失くしたようにフェリックスから離れて、ソフィの元へ歩み寄った。そこでソフィの口元が微かに動き、リクラフに何かを呟いたのが見えた。
するとおもむろにリクラフは、ハイバルの両手に掛けられた縄を指先でひと断ちしてみせた。ほんの小さな仕事だが、しかしやはり私の指示など何もなく――。
そしてリクラフはソフィを抱き抱え、ハイバルに無傷の左肩を掴ませると、私の方を向いた。
未だ数名の警護兵に捕縛され、背中に膝や腕を入れられて、地面に押し付けられている私に。
「連邦軍の皆さん、そこのエリザさんを貰い受けたく思います。大人しく解放してください」
ハイバルが堂々と呼び掛け、私の方へ手を差し伸べた。私にのしかかる警護兵たち、そしてランドール副官がたじろいだのを見て、ハイバルはもう一言付け加えた。
「一応、エリザさんの名誉のために言っておきましょう。リクラフ様が“暴走”したのは、この人のせいではありませんよ」
「……おい、
リクラフの背後から唸ったのは、カウリールだった。怒りに燃えた面付きでハイバルを睨む。「なぜ、そいつまで連れて行く? リクラフとそのガキが目当てじゃねえのか。何が目的だ?」
ハイバルは面倒そうに振り返った。
「目的なんて、あなた方にホイホイ言う訳がないでしょう」
「――ウィルダ中級理官は俺の部下だ! 戦友でもある」
闘犬のようにカウリールは吠えた。「リクラフの背に隠れやがって。降りてきて闘え、軟派野郎!」
「軟派だなんて。3体もの理甲を伏せておきながら、返り討ちにされた側が言えることですか」
ハイバルはせせら笑いを返しただけだった。
カウリールもただ感情的に負け惜しみを言っているわけではない。目的は時間稼ぎだ。フェリックスはもう少し、ほんの1、2分もあれば片手を引き抜くことができそうだが。
当然、ハイバルも悠長に余裕をかます時間がないことは理解しているだろう。挑発には乗らないことが最善手であることも、然りだ。
ソフィたちがしがみついたままで、リクラフは私の眼の前までひとっ跳びで接近。そして、ハイバルは私を取り囲む警護兵に、再び慇懃無礼に依頼した。
「そのウィルダ中級理官を、我々に引き渡して下さい。こちらもこれ以上の無駄な殺生は望んでいません。あなた方の理甲は全て損壊している。もうこの場の勝敗は決しました」
「こ、こいつ……」
ハイバルの舐めた警告に逆上した警護兵のひとりが、にわかに接近したリクラフへ槍を振るって応戦した。ソフィとハイバルの2名がしがみつく今のリクラフになら、あるいは……と判断したに違いない。
だが、リクラフはその刺突を悠々と見切って躱すや、片手でその柄を捕らえてぶんどると、後ろへひょいと投げ捨ててしまった。
その警備兵はなお諦めず、サーベルを抜いて猛然と斬りかかったが、やはり半歩の移動だけで躱された挙句、胴体に強烈な横蹴りを食らう。オーガスのように壁際まで吹き飛ばされた彼は、1、2度呻きをあげると沈黙してしまった。死んではいないだろうが、半殺しではあるだろう。その様子を見て、残りの警備兵たちも生唾を呑み込んだ。
ハイバルの宣告した通り、この場での勝負はもう決してしまった。
右肩を損傷しソフィとハイバルがしがみついている状態でさえ、リクラフには兵卒をあしらうことなど朝飯前の実力がある。手を出したくとも、師団側の取り揃えた理甲は3体とも早急な再起は不能。
ランドール副官やカウリールがいくら歯ぎしりしたところで、打つ手はない。
結局、倒れる私を取り押さえていた警護兵たちは揃って後ずさり始めた。その場に残された私は縄で縛られていて、動くこともできない。
だが、私がここでなおも暴れて、ハイバルたちを拒んだとして。
既にこの場にいる誰もが、このリクラフが暴れ回った一連の責任は私にあると言わざるを得ない。
一歩、一歩と後ずさって行く兵士たち。遠巻きに眺めるしかできないランドール副官。傷ついたフェリックスら理甲たちの再起を図りつつ、さすがに生身では二の足を踏むカウリールたち。
私が属していたはずの場所が、確実に離れていく。
今、この瞬間、私はひとりぼっちだった。
邪魔者がいなくなったところで、リクラフは静かに近づき、悠々と私の身体を担ぎ上げた。ソフィが背中の方に回って、私が赤子のように抱き抱えられる形になる。リクラフは無傷の片腕だけで私を抱えているが、その力は万力のように力強い。ただでさえ縛り上げられているこの身では、多少もがいて身をよじったところでこじ開けることは難しい。
「――それでは皆さん、ごきげんよう」
ハイバルの勝利宣言。
「ま、待て!」とカウリールが叫んだ。
今度の声には、時間を稼ごうという冷静なハッタリや計算は感じない。彼はただ、必死で叫んでいた。
「ウィルダ中級理官、すまない――すまないが、待っていろ! 必ず貴様を助け出す。諦めるなよ!」
そして、ソフィが何かを耳打ちした瞬間、リクラフは私たち3人を抱えたまま、軽やかに直上へ跳躍。カウリールたちの声も瞬く間に遠ざかる。
リクラフの頭部を覆う装甲は、甲渠の天窓をそのまま派手に突き破り、そのまま屋根の上に着地した。
甲渠の屋根の上。
すぐ隣には、雲まで届きそうなほどに高くそびえる大神殿。その壁面に彫り込まれた、旧アリゴレツカの国章を表す龍の巨大な彫刻を間近に目の当たりにする。そして、肌を刺すほどの強い風の吹きすさぶ中、アリゴラの街が一望できた。
四方を山脈に囲まれたアリゴラの巨大な街。各方面の山の裾野まで、大小様々な屋根の連なりが、海面に立つ波の揺らぎのように続いている。
「陽が落ちるまでに距離を稼ぎます。――ソフィ、リクラフ様へ依願を」
ハイバルは西の方角を見つめ、私と、そしてソフィに告げた。
陽はまだ明るい。しかし、時刻的にはまもなく夕方に差し掛かる。「さぁて、ここからは逃避行です。西の果てのアンラウブまでの約1週間、頑張りましょう」
ソフィが何かを耳打ちした途端、リクラフは西方へと跳躍を開始した。
屋根から屋根へ。蚤のように、あるいは蝗のように跳びながら、その跳躍の1回ごとに甲渠が、進駐軍本部が、図書館が、軍病院が、アリゴラ大神殿が離れていく。
もう何かを考える気力を失っていた。ただ無感動に、身を切るような寒風に吹かれながら、遠ざかっていく街の姿を眺めるしかなかった。
次に、この地に帰ってくるのはいつになるのだろう。
いや、またここに帰ってこれるだなんて、そんな期待をするだけ、もう無駄なのかも知れない。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。私はこれからどうなってしまうのか。
何度か涙が浮かんだが、すぐに荒れる風の中へ吹き散らされ、遠のくアリゴラの街に落ちていった。
◆◆◆
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