大転換(1)

 療養中、それなりに仲良くなった医療助手の青年がいた。ここの軍医に師事しながら医学を学び実践する彼だが、ひどい恐妻家で年上女房の尻に敷かれているとも聞いていた。

 こっそり軍病院を抜け出させてもらうため、私はそんな彼に眼を付けて、「今から1時間ほど散歩したいのだけど」と頼み込んだ。

 彼はその役職上、当然の難色を示した。

「もう10時ですよ。夜間の外出は先生の許可が要ります。……え、許可は得ていない? 困りますよ……」

 そこで私は「そう言えば、あなたは最近助手の――何ていいましたっけ、あのかわいらしい娘さん。一昨日、病院裏で随分親しげにされていましたね?」と言うと「……許して下さい。何でもしますから」とあっさり屈服できた。

 別に彼の家庭を破壊する気はさらさらないが、万が一私が面倒に巻き込まれた時のことを考えると、誰にも知られず抜け出すことも避けたかったのだ。


 ソフィだけならともかく、ハイバルという青年も交えての、人目を忍んだ話し合い。どうにもきな臭い予感がしていた。



 杖をつきながら軍病院を抜けて表通りに出ると、ほのかな橙色の路灯に紛れ込むように帽子を目深に被った青年がさりげなく近づいてきて、「どうも」と話しかけてきた。それは昼に話しかけてきたハイバルという怪しげな青年の声と一致していた。

「1時間でお願い」と告げると「わかっています。ソフィもそれほど長居はできませんから」と気さくな調子で彼は応じた。

「あなたの話では、ソフィは軟禁されているんでしょう? 連れ出して大丈夫なの?」

「もちろんまずいですよ。見つかれば」

「手馴れてそうな口ぶりね……」

「ソフィの軟禁先は辺ぴなところですが、監視自体はそれほど厳しくないんです。ところで、エリザさんもそのお身体で遠出はお辛いでしょう」

「どこまで行くつもり?」

「すぐそこの家を押さえています」

 彼の指先は、街道の反対側を少し下ったところ、路地へ入る曲がり角を指していた。

 路肩からちょっとした段差を降りて街道を突っ切ろうとした時、彼はエスコートのつもりか片手を差し出して来たが、それには乗らずに私は杖だけをしっかり掴んでそちらへ進み始めた。


 路地を入ってしばらく進んだところに、控えめの灯りがともった手狭な間口の家があった。

「ここです」

 先にハイバルが扉を開けると、中は奥まで細長い間取りで、こじんまりとした物置のように殺風景な空間。奥に置かれた角机には、子どものような人影が座っていた。卓上の蠟燭の灯火が弱くて顔までよく見えないが、見覚えのある影ではあった。

「ソフィ、連れて来たよ」

 ハイバルは和やかにその影に声を掛けると、少女はその場で立ち上がって私に会釈した。昼間とは身なりが変わっていたが、確かにソフィだった。

「ごめんなさいエリザ。わざわざ出てきてもらって」

 泳がせるようにふわふわしていた髪を、頭の後ろでさっぱりまとめてお団子にしている。机の上には帽子が置いてある。あれでお団子を隠せば、服装も相まって少年のように見えるかも知れない――が、あまりにも完璧に中性的すぎて、あれじゃかえって変態どもの倒錯的な何かを刺激しかねないようにも思えた。服1枚羽織ったぐらいの変装では押さえつけられない可憐さが際立っている。


 私とソフィは角机に着席したが、ハイバルは私たちに背を向けるようにして、かまどのある壁際の台所に立った。そして、何やらカップの方へ、かまどの炭火で温めていたらしい湯を注ぎ始めている。着席したソフィの前にはほのかに湯気立つ飲み物が置いてあるのにも気づいた。どうやら彼は、私の分を淹れてくれているようだ。


「ここはどういう場所なの?」

 どちらが手配したのかがわからないので、ソフィとハイバルの双方に疑問を投げかけた。

「空き家です」

 答えたのは壁のかまどを向いたままのハイバルだった。「元々はアリゴレツカの神聖団やアリゴラ大神殿関係者のための詰所でした。毎年の大祭礼の時なんかは、そこの表通りで神聖団が盛大なパレードをやっていますが、そのための人員供出や神具類のとりまとめは、アリゴラ内の各区画単位で担当神官が切り盛りしていたんです。その準備の際、資材置き場や集会所としてこの詰所は使われていたようです。多少埃臭いのはご愛敬ということで」

「そんなところに私らが勝手に入っていいの?」

「もちろんまずいですよ、見つかればね」

「……あなた、さっきも同じこと言わなかったっけ?」

「まぁ、俺のポリシーというか」

 ハイバルはこちらを振り返った。その顔には調子のいい微笑が貼りついている。「そう心配されなくても大丈夫ですよ。連邦が来てからは管理もうやむやになってます。関係者しか知らない、似たような詰所はいくらでもありますからね」

「そんなニッチなことを知っているあなたは、元々その関係者だったってこと?」

「いいえ。俺はただ、そんな雑学を知っているだけの放浪学生です」

 ハイバルは再び悪ガキのような笑みを浮かべた。「――それに、鍵を開けるの、得意なんですよ」

 呆れた。つまり不法侵入か。


 やがて、ハイバルが温かいものの入った2つのカップを手に、私とソフィの座る角机に戻って来た。私とソフィは対面に座っているので、私の左側にハイバルが着席した。

「クオール地方で採れた新茶です。お飲みになったことは?」

「……茶? 茶って言った? 珍しいものを……」

 カップの中を覗いてみれば、ぼんやり薄明かりの照明に照らされて、水でも乳でもない色付きのお湯が入っている。昔、まだアリゴラに住んでいた頃には口にしたことがあったが、今となっては経済的にとても手が出せない代物だ。

 一口すすってみると、香りとほのかな苦味が舌から喉をつるっと滑っていき、鼻腔からもすうっと風味が頭の方へ抜けていった。幼少の頃に飲んだクオールの茶の記憶とも一致した。これは庶民が気軽に口にしていい味ではないように思われた。

「ハイバルさん、どこでこんな品を?」

 驚きを隠し切れずに尋ねてしまった。

「以前、隊商の見習いをやっていたことがあったんです。その時の伝手で、たまにこういうものが手に入ります」

 ハイバルは少し嬉しそうに頬を緩ませた。「エリザさんこそ、クオールの茶を飲まれたことがあるんですね。連邦では馴染みのないものだと思っていましたが」


「ハイバルはね、わたしの近所に住む学生さんなの」

 今度はソフィが切り出した。「わたしは訳あって自由な外出が許されない身なのだけど、ハイバルとは外に出た時にたまたま出会ってね。1年ぐらい前になるかなぁ……ちょうどわたしとエリザと出会った時みたいに」

 その出会い、『何だか怪しくないか?』と思わなくもない。だが、ソフィがあくまで友達だと言うのなら友達なのだろう。そこまで疑いたくはないし、そもそも私とソフィの出会いだって同じようなものだ。

「ハイバルさんは、先ほど放浪学生だと仰いましたか?」

「ええ。大学目指して勉学に励んでいます。有り体に言えば根なし草ですが」

 一般的に言ってそれは他人にえばれるステータスでない気がするが、ハイバルの答えは妙に自信があるように聞こえた。「さっき言った通り、昔は隊商に入っていた時期もありましたし、転々としました。いい経験にはなりましたが、ああいう筋肉質な世界は性に合わないとも思いましたね」

「……それで今はどういったことの勉学を?」

 尋問じみた語調にならないよう抑えつつも、さっさと本題に入ってもらえるよう率直に訊いた。


「俺の関心は、この大陸にあまねく根づいている土着宗教と、伴侶亜人類プロクシーズとの関わりにあります」

「土着宗教――この大陸の連中が伴侶亜人類プロクシーズを崇拝してきたことを指しているのですか?」

「そうです」

 ハイバルはゆっくり頷いた。「ですから、失礼ながら、理官であるエリザさんとこうしてお話できるのがとても興味深いのです」

 少し気が乗りそうなテーマではあった。議論に乗ってやるのも悪くないと思える程度には。

「――確かに、私は連邦軍兵士として伴侶亜人類プロクシーズとの関わりがあります。だから土着民族とそれの関わりについても興味がなくはありません。ただ、一口に土着宗教と言っても、ハイバルさんのご関心は具体にどの辺りに?」

「ありきたりでしょうが、俺の関心の出発点はパングラフト連邦による大陸征服戦役にあります」

 ハイバルはこちらに少し身を乗り出しながら語り掛けた。「技術も文化もまるで違う海の向こうの大国が、良くも悪くも牧歌的だったこの大陸の諸国諸州を征服した。それによって、伴侶亜人類プロクシーズ――ああ、ここでは連邦の呼び名に従いますが、」

 ハイバルは許可を求めるようにソフィを一瞥した。一瞬の目配せだったが、ソフィもしっかり気づいて頷いた。「――その、伴侶亜人類プロクシーズの扱いを基軸に、支配層から民衆に至るまでの暮らしそのものが大転換The Great Transformationを迎えることになりました。俺は、あれはそのぐらい大きな出来事だったと認識しています」


 大転換。その言葉が耳に残った。


「……その、“大転換”と言うのは?」

「要するに、『啓霊』から『伴侶亜人類プロクシーズ』へ――“畏敬”の対象から“運用”の対象へと、扱いが変わることになりました。土着民族の統治と生活はあくまでも『啓霊』を中心とした信仰が根底にあった、それが根っこから掘り返されることになったのです」

「そう言えば、常々不思議に思っていたのだけど」

 私は口を挟んだ。「こっちの大陸の人は、連邦軍が言う『伴侶亜人類プロクシーズの運用』という言い回しにやたら反発することが多い気がしますが、あれはその文脈ですか?」

「その通りです。土着民族にとって、その“大転換”を受け入れることは口で言うほど容易なことではなかった、ということです」

 先日、私が斬り殺した蛮教徒カルトの少年もそんなことを言っていたっけ。彼が私を罵倒した言葉が脳裏によぎった。



――「おかげで皆、奉じていた啓霊をお前らに“調達”されて、そうやって顎でこき使われて、誇りも歴史も奪われて……あてがわれた慣れない仕事を毎日歯ぁ食いしばってこなしているんだろうが!」



 もう、あの少年の名前も覚えちゃいないが。

「俺も幼少期は啓霊の傍で育ちましたから、正直今でも戸惑いを覚えています」

 ハイバルは重々しく告げた。「ここにいるソフィは、俺以上にそうでしょう」

「……日中だけど、わたしの村にいた啓霊の話をしたと思う」

 今度はソフィが話し始めた。「わたしは生まれた時からずっと、朝も昼も夜も啓霊が傍にいるところで育ってきたわ。わたしにとっても、村の誰にとっても、その啓霊は自分の両親以上に大きな存在だった。程度の差はあるだろうけど、大陸の啓霊たちは、どこもそれぐらい重みのある尊い存在だったはずなのよ」


「――もし乱暴なまとめだったらごめんね」

 私は微妙に腑に落ちない感覚を覚えつつ、ハイバルとソフィの言いたいであろうことをまとめようと試みた。「『啓霊』という心の拠りどころだった存在が、異国の侵略者によって土木事業や戦争に使役されるのが見てられない。そういうこと?」

 ソフィとハイバルは揃って頷いた。

「……それも、戦役では多くの啓霊が破壊された」

 ソフィが再び力なく口を開いた。「戦役で破壊されずに残ったいくつかの啓霊は、まだ幸運な方なのかも知れない。でも、それも連邦に接収されてしまって……」

 ふたりとも、そこから先を口にしなかった。それ以上は連邦の批判に他ならない。


 それまで『啓霊』と呼ばれたモノの扱いが、ガラリと変わってしまった。だから土着民族は誰もが混乱している。――別に複雑な話ではない、私も頭では「そうなんだ」と理解できる。

 でも、率直に言って、私には理解はできても共感はしかねるのだ。

 ソフィたちも含め、多くの土着民族たちがそういう風に感じるのは、詰まるところ伴侶亜人類プロクシーズを“啓霊”と呼んで身も心も捧げて信仰していた側の人間だからではないか。

 私はそうじゃない。

 伴侶亜人類プロクシーズという呼び名にも、それを「運用」することについても、抵抗感や忌避感は感じない。むしろ、人間としてそうあるべきだとさえ思う。己の運命なら、己の力と選択で切り開くべきだ。私も人並みに死地をくぐってきたけれど、“神様”なんかが私を助けてくれたことはないのだから。


「――現に、この大陸の至るところに歪みと戸惑いが広がっています」

 ハイバルは話を先に進めようとした。「その最たる例は“再帰神団”――あなた方連邦が『蛮教徒カルト』と呼ぶ集団による敵対活動の展開です。先の戦役で、連邦軍への抗戦を展開した“連帯神団”の残党を中心とした連中ですが、偶像アイドルの使役によるしぶとい抵抗を続けています」

「そうね。悔しいけれど、奴らには手を焼いているわ」

「であれば、問題はその混乱と憎しみの源泉は何なのか、ということです。連邦軍が蛮教徒カルトを壊滅せしめたとしても、それは対症療法でしかありません。混乱と憎しみの源泉にアプローチしない限り、第2、第3の蛮教徒カルトは必ず現れます。その源泉を考えることが絶対に必要なはずなんです」

 ハイバルがずっと浮かべていた笑みが、気づくと消えていて、真剣な表情になっていることに気づいた。


「昨今のこの大陸の混乱の源泉は、土着民族にとっての『啓霊』と、連邦にとっての『伴侶亜人類プロクシーズ』という2つの概念――より具体には、それぞれの概念を支えるために構築された社会体制システム同士の衝突にある。――それが、俺の思う基本的な認識なのです」


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