謀略の鼓動(3)

 見覚えがある、と思ったのはただの勘違いだろうか。

 ハイバル。その名前に聞き覚えはなかった。

「俺はソフィの家の近所に住むただの学生です。あなたのことは、勝手ながらソフィからお伺いしています、エリザ・ウィルダさん」

 彼の方から手を差し出しているが、得体の知れない男の手を握るわけにもいかない。こちらの名前を知られているのも気持ちが悪い。

 彼の手は完全に無視して、私は問うた。

「用件をどうぞ。私と何の話を?」

「落ち着いて下さいよ。別に謀議しようってわけじゃありませんから」

 ハイバル――と名乗った青年は、諦めたように右手を引っ込めたが、笑みは絶やさない。「俺が伝えたいのは、ただ感謝の気持ちです」

「あなたに感謝されるいわれはないと思いますが」

「俺にはあるんです」

「何が?」

「ソフィとお友達になってくれたことについて」

 怪しい青年は再びにっこりと笑みを作った。こいつが何を言っているのか一瞬わからなかったが、数秒考えて、さっきソフィの友人だって自称していたか、と思い出した。


「――と言うのがね、彼女はひどく不自由な立場に置かれているんです。友達を作ることも苦労するほど」

「そうなんですか。それは知りませんでした」

 完全にぶっきらぼうに答えた私に、

「知らなかった? ……本当に?」

 彼は少しうたぐるように私の顔を覗き込んだ。「あなたはこの数日ソフィとやり取りされたようですが、薄々お気づきだったのでは? 監獄しかないザイアン地区に住んでいて、見張りを付けられ、お昼過ぎには門限のために連れて帰られる。この娘は少し特殊だな――と感じたことは、一度たりともなかったですか?」

「いや、それは……」


 何も思わなかったと言えば、嘘になる。

 それよりも、水が流れるように彼女の境遇をぺらぺらと喋るこの男への不信感の方がよほど強いのだが。


「ソフィはね、箱入り娘で過保護されているからああなっているわけではないんです。……ああ、まぁ箱入りというのはある意味正しいかも知れないですが、人質のように、と言った方がいいですね」

「人質のように、って……」

 私は少し彼の話に身を乗り出した。「あんないたいけな娘に、一体誰がそんなことを。もし犯罪なのであれば――」

「連邦軍――それも理甲師団ですよ、彼女を捕えているのは。あなたの所属する、ね」

 ハイバルの眼が刃物のように青白く光った――ように見えた。私の気のせいかも知れないが。

「彼女はあの戦役の後、ずっと軟禁されているんです。虐待されることもなく過ごしているのがせめてもの救いですが、理甲師団の思惑次第で、それもいずれは……。俺も友人として、心が痛んでいるんです」

「どうしてそんな、軟禁なんて……あの子が何をしたの?」

「それを言うには時間がありません――ソフィがもう戻って来ますから」

 ハイバルは私の肩越しにお手洗いの方を見詰めて言った。そちらを見ると、中から出て来るソフィの姿が見えた。「俺も白昼堂々、軟禁中のソフィと会うわけには行かないので、いったんこれで」

「ちょ、ちょっと待って」

 彼がそそくさと席を立とうとしたので、私は引き留めた。彼は少しだけ足を留めて、ぼそりと言った。

「今夜、ソフィも交えて3人で、ぜひお話しましょう、エリザさん。それでは」



 彼が館内から出て行った頃、ソフィが元いた席に戻って来た。

 ソフィが離席した瞬間にハイバルという青年がやって来て、彼が去った瞬間にソフィが戻って来る。まるでスイッチのように。

「お待たせ、エリザ。――どうかしたの?」

 ソフィが不思議そうに私に訊いて来た。

 私の胸の奥にひとつの疑念が湧いた。まさか、グルじゃないだろうな、と。

「ねぇ、あなたの友達にハイバルって青年はいる?」

「え、ハイバル?」

 ソフィは嬉しそうに顔を綻ばせた。「どうして知ってるの、ハイバルはわたしの友達よ。急にどうしたの?」

「ああ、そうなんだ……ちょっとね」

 正直、少しショックを受けた。

 あの胡散臭い青年が、ソフィの友人だと語ったことは、少なくとも嘘ではないようだ。

 言葉を濁そうか、とも考えた。でも、やっぱり変な遠慮はいらないか。幸か不幸か、私とソフィはもう友達なのだし。

「――今、そのハイバルって奴がここに来たわ。すぐにどこかへ行ったけれど、今夜3人で話したいと言われた。何か聞いてる?」

 包み隠さずそう言うと、ソフィは「今来てたの?」と少し眼を丸くしたが、辺りを少し見渡したからと思うと落ち着きを取り戻した。

 私の方に顔を寄せて、ソフィはこう耳打ちした。


「エリザ、今夜病院を抜けることはできる?」

 


 ◆

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