謀略の鼓動(2)

 曰く――その伴侶亜人類プロクシーズは、村を奥へ進んだ山際の神宮に住んでいた。神宮と言っても、小さな子どもなら5分とせずに飽きてしまうほどこじんまりとした造りだ。夜に訪ねるのは無礼だとされていた(まぁ、それは人間に対してもそうだ)が、日中は誰でも出入りすることが出来た。訪ねた際にその伴侶亜人類プロクシーズが中にいれば、話し掛けてもよかった。

 一般的な伴侶亜人類プロクシーズの例に漏れず、そいつが当意即妙な掛け合いに応じるわけではないので、会話はだいたい一方的になってしまったようだ。

 それでも、どんな話も優しい眼差しできちんと聞いてくれるように感じられたのだという。


 一方、そいつは神宮に籠りきりではなかった。

 例えば、種蒔きの季節になればそいつは畑の方までやって来て、歌いながら種を蒔く村人たちを1日中眺めたり、おもむろに手伝うこともあった。

 農作業であれ、山岳での狩猟や採取であれ、そいつが進んで手伝った年には豊穣がもたらされるのだという。逆に、凶作に見舞われる場合にもそれとなく伝えてくるのだ。その年に食糧がどれだけ得られるかは水物だ、それがある程度将来の見通しが立てられるのであれば、村として食糧の備蓄や農法、狩猟手段の改良など対策が打てられる。

 そいつはどういうわけか、その見通しを立てることが出来て、村人にも知らせてくれた。村の誰もが「啓霊さんに失礼のないように」という意識を持つのはごく自然な成り行きだった。


 それで、収穫祭や新年祭といった村の祭事では、そいつは必ず主賓だった。祭壇に招かれ、その年の穀物やお酒をたんまりと供えられる。村の代表者によって一年の感謝が奏上され、深々と恭順の意を村の全員が示す。その伴侶亜人類プロクシーズは供物を少し飲み食いする素振り(口づけする程度だったという)を見せたら、村人全員で分かつよう促して、どこか微笑みながら神宮の方に帰って行く。その後は村人全員がそいつの口づけた供物を食べ、そして盛大な宴が始まる。それが毎年の恒例行事だった。

 そんな祭事だけでなく、村人の冠婚葬祭でもそいつはそこにいた。さらに、祭事や儀式を抜きにしても、途方に暮れている村人の傍にふらりと現れて、それとなく手助けしてくれることもあったと言う。


 総じて、押しつけがましさがなく、慈愛と共に必ずそこにいる――そんな存在だったようだ。

 何世代、何百年もそんな共存が続けば、村の誰もがその伴侶亜人類プロクシーズと遊んだことがあり、話したことがあり、助けてもらったことがあった。村人は1人残らずそいつのことを敬っていたという。



「……こんなことを言うのも何だけど、伴侶亜人類プロクシーズらしくないね」

 私は思ったままの感想を口にした。「理甲なんて、いくら面倒を見てやっても全然心が通じた気がしないのに」

 私が知る伴侶亜人類プロクシーズはそんなにウェットでハートフルな存在じゃない。もっと私たち人間に対してドライで、関わろうとしなくて、およそ興味らしいものも持たないように見える存在だ。

 だいたい、あんな意味のわからないものが自分の家の周りを気ままに徘徊しているだなんて、恐くないのだろうか。

「――エリザにこそ聞きたいのだけど、理甲たちは本当にそんなに冷たいの?」

 今度はソフィも驚いた顔をした。

 ちょうど私がソフィに対して向けたように。

「んー、何て言うか――こっちが命じたことに関してはやってくれるんだけど、それ以上のことをしてやっても我関せずって態度というか」

「理甲だって、わたしの言う啓霊と同じ種族のはずよね?」

「生物的にはそうだと言われてるけどね」

 あれをと呼んでいいのかは議論の余地があるとは言え。「……連邦の総力を挙げて何十年、何百年も辛抱強く拝んでいれば、あの理甲たちもあんな態度じゃなくなるということかな。アリゴレツカや、ソフィの村のそいつのように」

「わたしもよくわからないけれど……」

 むむむと唇を結んでソフィは首を傾げる。「でも、私のお父さんや先生はいつも言っていたわ。啓霊との関係がこの村の積み重ねた歴史だって。それこそがかけがえのない財産なんだって」

「財産、ねぇ……」

 それを『財産』と呼ぶ心境もわからなくもない。ただ、個人的にはどうにも釈然としないものを覚えてしまう。「……ちなみにソフィ、今はその村というのは」

「なくなってしまったわ。あの戦役で」

 ほのかに笑みを浮かべて、彼女は答えた。

 愉快だから微笑んだわけではないことは私にもわかる。こちらを、場の空気を気遣うための不本意な微笑みのように見えた。「――それで、村にいたその啓霊も今はそこにいない」

「そう……残念だったわね」

「でもね、いつかまた昔みたいに暮らせたら、どんなに素敵だろうって思うの」

 そう言ったソフィの表情は、健気さと、ほのかな悲壮さの両方を感じさせるものだった。


 気の毒だが、先の戦役ではソフィのような悲劇に遭った人もそう珍しくはない。

 それは他人事だと思っているのではない、むしろ逆。

 不用意に憐れみを言う資格が、私にないかも知れないのだ。

 なぜなら、ソフィの村を滅ぼした加害者は、私なのかも知れないから。

 あくまで確証はないけれど、当時私の部隊が進撃した中に、もしかすると彼女の村があったのかも知れない。私が斬った中に、彼女の友人や親兄弟、同郷の人々が含まれていたのかも知れない。


 いろんな人を殺した。

 いろんな人が殺された。


 だとしても、それを言い出せば私たちはそこから語り合うことは出来ない。

 私だって土着民族のせいで死にそうな目に遭ったし、大事な人を何人も亡くしている。こういう場合は「のはお互い様」ではなく、「のはお互い様」という心持ちを保つことが大切なのだと思う。

 憎悪は入れ子になっていて、絡まりをほぐすことも割り切ることも生易しくはない。それでも、割り切らなければならない時もある。

 私も彼女も今では連邦の臣民――つまり、同胞なのだから。



 そう考えた時に、ソフィの村が伴侶亜人類プロクシーズとの関係を『財産』と捉えていたことが引っかかる。

 彼女の村があえなく滅んでしまったと言うのなら、何のための『財産』なのだ。

 その『財産』は、村の存亡を救うことが出来なかった。


 だから私はこう思ってしまう。

――何をしてくれるわけでもないモノに、何世代も律儀に拝み続けることが、そんなに大事かね、と。


 あの戦役があって、あなたたちの村が滅んでしまった。

 その時、その神さまとやらは、あなたたちに何をもたらした?

 



「――エリザ?」

 呼ばれてはっとした。

 気づくとソフィは普段通りの雰囲気で席から立ち上がろうとしていた。

「もう帰るの?」と尋ねると、「少しお手洗いに」と彼女は言って、館内の奥の方へと歩いて行った。


 背後から声を掛けられたのは、ソフィの姿が見えなくなった頃合いだった。

「――少々よろしいですか?」

 振り返ると、私と同い年ぐらいの青年がにこやかな表情で立っていた。


 頭髪が黒いのでこの大陸生まれの人間だろう。そんなに長くはないが羊の毛のようにふわふわとして、少し垂れ気味の眼つきもあり、柔和そうな顔つきをしていた。贅肉のないすっきりした頬と首回りに、鼻筋が高くしっかりと通っている。背の高さも相まって、人目を惹く美男だった。


 その顔には見覚えがある気がした。でも、誰だろう、名前が全く思い出せない。不思議な感覚だった。


 それよりも、彼の一見親しげな笑みには、どこか後ろ暗いような陰があるように感じられた。なまじ彼の整った容貌と身のこなしが、その疑念を加速させた。


「何でしょうか?」

 隙を作らない表情で私が答えると、「ちょっとお話がしたくて」と青年はにっこり笑った。

 そして、彼は私の隣の席に平然と座った。許可したつもりはないが。

「あなたは誰です?」

 不快感と警戒心を隠さずに尋ねた。

「どうか、そう警戒なさらないで。俺はソフィの友人です」

 ソフィの友人を自称する青年はそう言って右手を差し出した。「ハイバルと言います。どうぞよろしく」

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