全て、覚えている(3)
「――理甲たちが怯えるほどのものがある。本当にそんな場所が、“最も安全な場所”なのですか?」
「もちろん安全だよ、この上ないほどに」
白装束たちに元の持ち場に戻るよう手ぶりで指示しながら、リーヴスは私たちに告げた。「ここは今、ある種の神域だ。“骸軍”も、下衆な盗賊も手出しはできん。それ故に兵士たちの消耗を避けるため、こうしてこそこそと護送する羽目にもなっているがな。――ウィルダ殿、あそこに棺が見えるか?」
彼の指先がふわりと持ち上がり、ふたつ並んだ天幕の間の、さらにずっと奥の方を指した。そこには燭台もなければ見張りもいない、ただ真っ暗の岩場だ。眼を凝らして、その闇をほじくるように見つめれば、微かにその輪郭が視認できる。
「……棺のようなものがあるのは見えますが」
「あれこそが、
アンラウブ城の地下で見たあの棺の輪郭とも一致する。
例の邪神、あそこにあったのか。城を出てから見かけないと思っていたが。「――先ほどの“悪骸”どもは、あれを恐れてこちらに突っ込むことができなかった。何十体もの
「だとすると、あなたの仰る『安全』と私の想像するそれは、異なるのでしょうね」
こんなおぞましい気配のする場所が、すぐそばにあんなものが置いてある場所が、安全なものか。
頭痛が少しずつひどくなる。私は額を抱えた。
「――何をもって『安全』とするかは、比較と選択の問題だ。我々再帰神団にとっての最大の脅威は“骸軍”であり、その“骸軍”の恐れる代物がここにある。敵の敵は味方だろう?」
「しかし……あの棺に入っているのが、連邦軍よりもよっぽど恐ろしい化物だとしたら?」
「結構なことではないか。それほどの化物が、我々の手中にある」
リーヴスは鼻息荒く、笑みを浮かべながら言い放った。「今、我が軍の重要な資源のほとんどが、この棺の傍にある。先ほど戦闘を行った連中は私の誇る精兵10名で、理甲に対しても打撃を与え得る“筒”も配備している。この過酷な環境で歩哨に立てるのは彼らしかいない。そして手前の天幕には、貴殿らの連れてきたリクラフ様もあるし、我々の信用源もここにある」
「リクラフも……?」
ソフィがわずかに上ずった声を出した。彼女も気分が優れないようだ。額にびっしりと脂汗を浮かべて、肩を上下させながら何とか息をついている。
私もソフィほどではないにしろ、すぐにでもここから離れたい。頭がどうにかなりそうだ。
あの白装束たちは、この呪われた棺の傍で、毎晩夜通し警護か。体力気力がいくらあっても足りないだろうに、それを承知で押し通すのが、恐らくリーヴスという男なのだ。
「……あの、これ以上はソフィも私ももちません」
わたしは今にも倒れそうなソフィを思わず抱き寄せた。「もう連邦軍の脅威が去ったなら、ここを離れても?」
「それは許可できんな」
返ってきた反応は素っ気のないものだった。「貴殿らは、我々の逆襲になくてはならない存在だ。いつ再び奇襲があるかもわからない。行軍中は私の傍にいればよいが、夜間はこの棺の傍にいてもらおう」
「しかし、この場所では、ソフィも私も疲弊するだけです……!」
語気を強めて反駁したところ、腕の中からソフィが語り掛けた。
「エリザ、わたしなら大丈夫」
ソフィはそっと私の身体から離れて、自分の足でそこに起立し、リーヴスに対して胸を張って主張した。「――ここにいなければならないのなら、せめてリクラフの傍にいさせてくださいますか?」
急な、しかし正々堂々とした要求に、リーヴスもわずかに迷う素振りを見せたが、返事は早かった。
「まぁ、よいだろう。そこの左の天幕で寝るがよい。ただし、右の天幕に立ち入ることは絶対に禁ずる。貴殿らであっても、おかしな真似をすればただではおかんぞ」
右の天幕――そちらには白装束たちがぐるりと周囲を取り囲み、ぎらぎらと眼を光らせている。なるほど、あちらが信用源――“神灯の守り人”の寝床ということか。
リーヴスは白装束のひとりを呼びつけて何かを言い含めると、「では明朝」と言い残し、宿営地の方へ馬を走らせていった。
白装束のひとりに案内されて、通された天幕――その中にはいくつかの荷物の間に埋もれるようにして、ひとつの棺が横たわっていた。
「何かあれば言え」と告げて、白装束は天幕の外へ消えていった。彼も私たち同様、やはり気分が優れなさそうな様子ではあった。
後に残ったのは、静寂と不快感。
物音のない天幕の中にいるのは、物言わぬ荷物たちと、私と、ソフィだけ。
足音が離れていったのを確認すると、弱々しい月明かりと松明の光を頼りに、ソフィがその棺の蓋を開けた。
中に収まっていたのは、やはりリクラフだった。眠るように眼を閉じているその姿に、私は声を掛けた。
「起きろ、リクラフ」
リクラフは速やかに反応した。
眼をぱちりと開いて、ゆっくりと上体を起こす。
「何か、ウィルダ?」
澄んだ瞳で私を直視して、指示を請うように訊ねる。
――その姿を見た時、頭痛が引いた。悪寒も、吐き気も。そこでぴたりと。
私とソフィは顔を見合わせて、互いに肩をすくめた。不思議なこともあるものだ。
「……教えて欲しいことがあるのだけど」
私の方からそう言った。ソフィから話し掛けると、彼女の信用を変に消費するのももったいない。「この場所のすぐ傍にいる存在を感じるか? 恐らく、あんたと同種だろうと思うのだけど」
「ええ。感じています」
端的にリクラフは応える。それで、次の質問に進んだ。
「あれはグラン・オーの遺構から発掘されたものだと聞いた。
「――その、遺構にあったということは、」
私の横からソフィが付け足した。「人為的に封印されていたということ。それって、過去によほどの何かがあったのだと思うのだけど。――リクラフなら、きっと知っているんじゃないかと思って」
リクラフの瞳が、水面の揺らぎのようにぬらりと煌めいた。
そして、「知っています」と答えた。
思わず前のめりになる私とソフィに、告げる。
「あそこにあるのは、大きな争いの果てに、1000年の古き時代に封じられたものです。それをあなた方は、“アレス”と呼び習わしていた――」
“アレス”――。
聞き間違いか、と願わずにはいられない名を、リクラフは口にしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます