断固たる拒絶(1)

 アリゴレツカの首都として栄えた旧都アリゴラは、山々に抱かれた街と言えた。その郊外四方を天然の城壁が囲い、特にその西側には南北方向に伸びる急峻な山脈がそびえている。その山頂は季節を問わず爪先のように白く染まる高山地帯で、誰でも登れるような生易しい山ではない。今回のように、蛮教徒カルトの大軍の通行路としては尚更だ。

 歴史的にも、この山脈によってアリゴラという街は護られてきた。外敵のほとんどはこの険しい山を前にたじろぎ、迂回路を探す。アリゴレツカの民にとって、この山脈は横たわった巨大な龍の背のようだった。

 迂回する者にとっては幸いなことに、この山脈には1カ所だけ切れ目がある。北と南からそれぞれ山岳が迫る、“蜂の腰”のようにか細い空間。そこだけは平原と地続きの緩やかな峠になっており、東西方向に街道が通じるほとんど唯一の場所となっていた。

 旧都アリゴラへの唯一にして最大の玄関口――グランカゼルとはそういう場所だ。

 蛮教徒カルトは当然のようにここを決戦の地と見定め、連邦軍も当然のように防衛線を敷いた。アリゴラを攻めるにせよ、守るにせよ、ここを通らないという選択肢はない。


 そうした要衝だからこそ、先の戦役でもこの地は大会戦の舞台となった。

 南方の海岸から北上した連邦軍を撃滅するため、蛮教徒カルトの前身にあたる連帯神団は、ここに10万人近い軍勢を集めて、手ぐすね引いて待ち構えた。“蜂の腰”の前に蓋をするようにずらりと並べられた人馬幾万の諸国連合軍は、大陸の歴史上類を見ない壮大な光景だったと聞く。

 ところが、彼らは相手が悪かった。理甲師団の打撃力の前に為す術なく一敗地に塗れ、グランカゼルはあっさりと失陥。歴史の流れは、その直後のアリゴレツカの降伏とアリゴラの無血開城、そして各勢力の掃討戦と啓霊たちの戦線投入、果てにはリクラフやリヴァー・リーヴスの抵抗を踏み潰し、連邦軍による大陸鎮定へと、連綿とつながっていく。


 私はそうした歴史の果てに、こうして今、朝を迎えるグランカゼルの草原地帯に立っている。

 運命の歯車などという、胡散臭いものの存在を感じずにはいられない。

 先の戦役では、ここは土着民族の誇る絶対防壁だった。それが今や、あそこに立て籠もっているのは連邦軍だ。私自身、今も昔も敵のはずのリヴァー・リーヴスに庇護されて、土着民族の遺児であるソフィとリクラフと共に、この地に戻ってきた。

 こうして役者は入れ替わっても同じ顛末が繰り返されるというのが、歴史という性悪な存在の常なのだろう。あの時、土着民族の大軍が理甲師団に一蹴されてしまったのと全く同じことが、リーヴスの呼び覚ます邪神によって引き起こされようとしている。

 それを阻めるかどうかは、私とソフィ、そしてリクラフにかかっている。歴史の轍が私たちなのではなく、私たちの轍が歴史であるべきだ。

 いよいよ今日、邪神を覚醒させる儀式が行われる。数日前に失踪の一報を聞いたハイバルは、ついに姿を現さなかった。



 山脈を前にした、なだらかな草原の一角に寄り集まった蛮教徒カルトの天幕群。そこからいささか離れた場所に、私とソフィ、そしてリクラフの眠る天幕は置かれている。

 早朝から目が覚めた私は天幕の外に立ち、ざわめく心を抱きながら朝の風に吹かれていた。

 背中から、ソフィの小さな声がした。

「……変な手紙が。エリザの枕元に」

 振り返れば、ソフィはほとんど顔だけを天幕から出すようにしている。手紙? と思い、私は中に引き返す。

 ソフィの言う手紙とは、掌よりも小さな1枚の紙切れで、微かに文字が読み取れるものだった。


――本日12時 東へ駆けろ 案ずるな。


「寝ている間に置かれたのかな……」とソフィは気味悪そうに呟く。

 眠る前にはなかったので、そうだとしか思えない。ぞっとする。眠っている間に誰かが出入りしていただなんて。すぐ傍には白装束たちも見張っているはずなのに、どうやって。

――もしかして、ハイバルだろうか? 

 それぐらいしか心当たりがない。昨日には戻ると言っておきながら、どうやら生死すら定かでないあの男。メモをこっそり枕元に置く前に、顔を見せるのが礼儀だろうに。

 ただ、これを書いたのは、どうにもハイバルではない気がした。不気味な怪文書のようでいて、どこかで見知った筆跡のようにも。

 東へ駆けろ、案ずるな――。


「入るぞ」

 天幕の外から急に男の声がして、私は急いでメモを懐に入れる。

 ほとんど同時に入口の布がめくられる。朝日の日差しを背負った白装束の兵士が、私とソフィをじろりとにらんだ。

「継領殿下がお呼びだ。出ろ」

 面布で隠されていない顔の上半分は、いよいよすさまじい隈と脂汗で気の毒なほどの疲労が見て取れる。それでも意地で気張っている様子で、彼は私たちに退出を促すのだった。



 2名の白装束の馬の背にそれぞれ乗せられ、私とソフィは本陣の方へ連れられた。

 本陣の傍、とある小高い丘のてっぺんでは真っ白な幕が張られていて、木組みの祭壇が建設されている最中だった。その先にはまるで見下ろすようにグランカゼルの峠が見えている。連邦軍の迎撃部隊が集結し、数千から数万もの大軍が鼻先を揃えて行手を阻んでいる。


 そんな様子を眺める内に、馬はリーヴスの豪奢な天幕の前に辿り着く。

 白装束に促されてその中に入れば、奥の卓にリーヴスひとりがあぐらをかいていた。まだ夜が明けたばかりだというのに、その右手には酒杯があり、湯気立つ料理も並んでいる。

「よい朝だな、最高の朝だ。ウィルダ殿、ユリスキア殿」

「おはようございます」

 手短に社交辞令を返して、「私どもをお呼びと伺いましたが?」と訊ねた。

「なに、段取りの確認と、戦勝祈願を行おうと思って」

 リーヴスは私たちの両脇の白装束に「下がれ」と粗雑に手を払う仕草を見せると、彼らは一礼して退出した。

 象1頭放り込んでも余裕があるほどだだっ広い天幕の中に、私とソフィは取り残された。

「両名とも、近く寄れ。朝餉を用意している」

 仕方がないので、リーヴスの求める通りに奥へ進み、料理の並ぶ大きな卓を挟んで着座した。

 杯を取るよう顎先で指示されたので、私もソフィも目前に置かれていた銀色の輝かしい杯を手にする。

「さて、」

 口の中のものを一度呑み込むと、彼は右手の杯を掲げて告げる。「いよいよ今日こそは“アレス”を呼び覚ます。不敬の輩は神罰を受け、我々の雪辱は晴らされる。大陸の民全てが望んだ勝利の日だ。――聖賢なる明日へ、乾杯」

「か、乾杯」

 気乗りはしないが、断るわけにもいかない。その酒をひと口含む。

一気に目が覚めるようだった。まろやかな甘みが舌に広がり染み渡ったかと思えば、恥じらう貴婦人のようにすぐに喉奥へ滑り落ちていき、後には思い出のように果実の豊かな香りが鼻腔を吹き抜けた。まるで幸せな夢から覚めた直後のような、ひどく爽やかな気分が口の中に残っている。

 素晴らしい酒だ。こんなものを朝っぱら呑めるとは、継領殿下様は大した御身分で。

 悪口めいた感情を抱いていた時、密かにリーヴスの顔から笑みが消えたことに、まもなく気づいた。

「貴殿らをここに連れてきたハイバルについてだが」

 そう切り出したリーヴスの眼光が、えぐるように私たちを捉えた。「奴には叛意ありと認められた。兵たちが追っている。以前から疑わしい奴だったが、よりによってこの忙しい時に、全く不愉快な奴だ。――さて、貴殿らに接触はなかったか? 何か知っていることはないか?」

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おかえり、リクラフ。 文長こすと @rokakkaku

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