全て、覚えている(5)


「……だったら、あの時私が何をして、お前が何をしたかも、全部覚えていると言うんだな?」

「はい。少なくとも私の目に見えたものは」

「――ラグドリッジ上級理官、の名も覚えているか?」

「はい。ウィルダがその名を呼んでいたので」

「そうだな。私の目の前で、お前が殺した。どうして殺した?」

 リクラフから、全く目を逸らさずに問う。

 リクラフも、私から全く目を逸らさず、正々堂々と答える。

「それは、私に対して、そして私の属する人々に対して、あなた方が明白な害意を見せたためです」

 奥歯を噛み締めた。

 私は何を訊いている。リクラフにしてみれば、それ以上の回答があるだろうか。こんなの憂さ晴らし、いや駄々でしかない。

 でも、私の中にあるのは、理屈では抑えきれない感情だった。だからこそ、私はずっと抱えて生きてきたのだ。

「お前のせいで……」

 恨みが、口を突いて出る。「お前のせいで、私は大事な人たちを、大勢喪ってる」

「はい」

「うるさい……! 何が『はい』だ!」

 目の前に眠るソフィがいなければ、きっと大声でがなっていただろう。「私は、お前を許せない。私は、お前が殺した人たちのことを、絶対に忘れない」


 リクラフは何も答えない。今の言葉が疑問形ではなかったからか。

 返事を待たずに、起こしていた上体を横倒して目を閉じた。

 憎しみを思い出すのは不愉快な気分だ。燃え始めた心が、疲れや眠気なんか吹き飛ばすほど震えている。どうにか鎮めないと、眠れないまま朝が来る。


「――私が、全て、覚えています」

 必死に眠ろうとする私の耳に、リクラフの声が届いた。「あの時のあなたの行動も、あなたの同族の行動も、全て。例えウィルダがこの先消えてしまっても、例え1000年先であろうとも。私が在る限り、全て覚えています」

 喧嘩を売られている、と私は受け取った。

 ぱちりと目を覚ます。

 さっと上体を起こして「――口を慎め!」と鋭く唸った。憎しみを込めて、怒り任せに。目の前でソフィが寝ていることも、外に蛮教徒カルトの白装束が控えていることも、考慮に入らなかった。

「いいか、リクラフ。お前は殺して! 私の恩人は殺された! できることなら、私は今すぐでもお前を壊してやりたい。私のことも、ラグドリッジ上級理官のことも、お前なんかに覚えてもらう必要はない。憐れまれる筋合いも、慰められる筋合いも――そんなもの、全部、全部、不愉快だ! それは私だけの、私だけが背負わなければいけない役割で、それが私の贖罪なんだ。それを、お前なんかに……」


 リクラフの手が、ソフィの頭から離れて、音もなくゆっくりと、私の頭に伸びてきた。

 まるで私を包むみたいにその掌が置かれた。驚いて固まった私に、リクラフはその顔を近づける。

 澄んだ瞳。

 青硝子のように煌めく、その輝き。

 心に燃え盛っていたはずの凶暴な憎悪を一瞬で鎮火させて、リクラフは言うのだった。


「あなただけが背負う必要はない、と申し上げたいのですよ、ウィルダ――」


 反駁の言葉を探して――、だけどそれは結局見つからなかった。

 リクラフの言葉の優しさが、胸の奥に染み渡っていく。こんなの、気に入らない、全く気に入らない。だってリクラフ、お前は加害者だろうが。

 もしもリクラフを壊してしまえば――私はきっとすっきりするだろうし、あの時の、ラグドリッジ上級理官を含む皆の無念だって、晴れて私だけのものにできる。でも、そんなことをしたところで、私の独占欲めいた留飲を下げる以上の意味が、果たしてあるのだろうか?

 一方、こうしてリクラフさえ存在していれば、1000年先まで皆のことが確かに記憶されると言うのなら。私だけが生き証人を気取ってか細く生きていくことに、私の矮小な自己満足以上の意味が、果たしてあるのだろうか?


 それじゃあ私は――いったいどうして、あの場から、皆を殺めたリクラフの前から、自分ひとり卑怯にも逃げ出して、生き延びてしまったのだ。

 生涯隠し通さなければならなかった“神灯”の秘密も、ハイバルに見破られて。

 地上で私しか覚えていないと信じていた恩人たちの無念と憤りも、仇のはずのリクラフ自身が覚えているのだと言われて。

 馬鹿みたいだ。こんなの、私の人生は、私の生きる意味は、いったい何のために――。


 どうすればいいのかわからなくなって、私は泣いた。

 リクラフの掌はずっと、震える私の頭に置かれていた。

 泣いても泣いても涙が出てきたが、リクラフの掌は、いつまでも私に寄り添っていた。





 夜明けの日差しを感じて、眼を開いた。

 身体を起こしてみれば、リクラフは棺の中に横たわって眼を閉じていた。ソフィも毛布にくるまって、穏やかな寝顔で寝息を立てている。

 不快な頭痛も、吐き気もない。何の変哲もない、美しくて爽やかな朝が世界を染めようとしている。

『――私が、全て覚えています』

『あなただけが背負う必要はない』

 リクラフが私にああ言った、あれはもしかすると夢だったのだろうか。

 夢にしては鮮明だったけれど、夢だと考えた方が恐らく自然だった。理甲があんなにもべらべら喋るだなんて、聞いたこともないから。


 天幕の外に出る。透き通った日差しがほとんど真横から差していて、涼しい風と共に渓谷を照らしている。

 隣の天幕では、護衛の白装束たちの半数は吐き気を堪えるような顔をして、半数は仮眠しつつも目の下にくまを作っている。しんどいだろうに、リクラフを紹介してやろうか、と労りの心情が湧いたが、リクラフを勝手に起動させているのが知られるとひと悶着あるかもしれない。やめておくことにする。


 逃げても、逃げても、朝は来る。

 その事実は捉えようによっては絶望だけれど、逆に救いでもある。

 何が、とはうまく言えないけれど、私は少し吹っ切れたのかもしれない。疲れているはずなのに、肩と背中が妙に軽やかだ。

 そして、美しい朝陽に彩られる渓谷の景色のように、これからやるべきことはクリアだ。まずはソフィのことを護る。そして実力に訴えてでも、リヴァー・リーヴスによる邪神の開封を阻止する。ハイバルとも作戦を練り直す必要があるかもしれない。



 ハイバルの消息が途絶えた。

 リーヴスからそんな報告を聞かされたのは、その日の昼のことだった。



 ◆

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