第6章

全て、覚えている(1)

 何かを選ぶことは、何かを手放すことでもある。

 何かを得ることは、何かを支払うことでもある。

 純粋な選択という行為には、それを支える意志があるはずだ。その選択に伴う責任や影響が自他にとって大きなものであればあるほど、それだけの強靭な意志が。


 ハイバルは、蛮教徒カルトの構成員の生命と引き換えに、連中に囚われた“アリゴレツカの神灯”の守り人とその秘密、そしてこの大陸の安定そのものを取り戻そうとしている。

 ソフィは、自身の身の危険を承知で、リクラフとの平穏な暮らしを取り戻すために行動を起こしている。

 では今の私に、そんな意志はどこにあるだろうか?


 ハイバルの陰謀とソフィの悲願、それらに流されるがままの自分。そのどうしようもない収まりの悪さにいじめられている内に、出撃前夜の夜闇は更けた。

 翌朝の日の出と共に、予定通り蛮教徒カルトの主力部隊はアンラウブ城より出撃を開始した。



 これに先立ち、ハイバルはひとりアンラウブ城から離れていった。本分である間諜としての役目を果たすためだという。とすると、例の邪神を呼び覚ます儀式がどのように行われるのか、私たちがどのように立ち回るかは、こちらから蛮教徒カルトの連中に探らなければならなかった。

「お傍にいられないのは申し訳ありません、儀式前日には必ず戻ります」

 昨夜の別れ際、塔の窓から私の身体を部屋に戻したハイバルはそう口にした。

 不在の間に私やソフィの身に何かあれば、どう落とし前をつけるのか。

 そう問い詰めると、彼は落ち着いて答えるのだった。

「エリザさんたちの身柄は安全です。この数日のリーヴスを見ていて確信しました。邪神を呼び覚ます計画が立ち消えにでもならない限り、多少の不興を買ったとしても殺されることはあり得ません」

「あの狂犬に身を委ねろと……」

「案外、俺が下手に探るより、エリザさんの方が話を聞き出せるかもしれないですよ。当日まではどうか暴れないでくださいね」



 私たちを置いて離れていったハイバルに苛立ちを覚えつつも、彼の見立てに狂いはないことはすぐにわかった。

 出陣後、私とソフィはリーヴスのすぐ側にいるよう、1台の小さな幌つき馬車に乗せられた。座席もふかふかに柔らかい。まるで妃か姫かと錯覚しそうな扱いだ。例の邪神を起こすまでは、こうして扱われるのだろう。


 行軍が始まって半日が経とうとした頃、ご親切にもリーヴスは軍容をわかりやすく語ってくれた。曰く、アンラウブ城から出撃した部隊規模は兵数約800、そして大小様々の偶像アイドルが約50余りだと。

「主力という割に兵が少なく思うだろうが、同志は各地に散らばっている。おいおい集まる」

 芸術的に美しく引き締まった黒馬にまたがるリーヴスは、幌つき馬車に揺られる私とソフィへ解説してくれる。その様子はお節介な教師のようだった。


 彼の講演は続いた。

 蛮教徒カルトの全兵力は全部で30ほどの軍団に小分けされ、中でも偶像アイドルの配備された15グループほどが「神撃集団」と呼称される。1個集団につきおおよそ2〜10体弱の偶像アイドルと、数十から数百名の兵士から構成される。各部隊を統制するのは、このリーヴスに付き従い数多の戦場を駆け抜けた鋼鉄のような最精鋭の兵たちだという。

 リーヴスが直率する第1神撃集団は、戦闘級1、重巡級2、軽巡級4、駆逐級5の計12体から成る最大の部隊だった。まともに殴り合えば理甲師団さえも堪えられるかわからない。もっとも、それだけの数の偶像アイドルを駆動させる信用源があれば、の話だが。

「当然、これだけの部隊を動かすのは容易ではない。自分たちの足で歩かせるだけでも信用を食ってしまう」

「……だから、ああして牽引しているのですね」

 私とソフィの乗る馬車のすぐ背後では、昨夜城内で見かけた戦闘級 偶像アイドルのうずくまった熊のような巨体がそりに乗せられ、4、5頭の輓馬たちが軋りをあげて牽引していた。山道は比較的よく整備されているが、高低差もあるし、時には路上にせり出す枝葉や岩を押し広げるようにして進む箇所もあるので、その苦労は相当だろう。勇壮な出陣というイメージに対して、あまりにも泥臭い行軍の様子。

「――その通り。あまり格好はつかないが」

 ごまかしも取り繕いもせず、リーヴスは認めた。「だが、信用にせよ偶像アイドルにせよ、使い時は見極める。その判断こそは我々が下す責務があろうよ」

「てっきり、もっと偶像アイドルを酷使しているものかと思っていました」

 代わりに人馬は酷使されているようだが。

「それは事実と異なるな。そうした依存は莫迦のやることだ」

 リーヴスは自慢げな微笑と共に、馬上から私を見つめた。「子どものなぞなぞのようだが、敵を斬るのは剣ではなく、その使い手だ。偶像アイドルであろうと何だろうと。それは変わらないだろう?」

「まぁ、ええ、仰る通りだと思います」

 不思議にも、リーヴスの口走ることは我々理甲師団とも表面的にあまり違いはないように聞こえるのだった。


 その時、前方から早馬が駆けてきて、リーヴスに「報告、報告!」と叫んだ。

 私たちの手前で慌ただしく急停止すると、その伝令は握りしめた書状を読み上げ始めた。

「先鋒の第7神撃集団より、沿オー街道ロードの約10km先、田園地帯に敵影確認との報アリ。軽騎兵約100、辺境警戒のための小部隊と目され、周囲に“悪骸”の姿は認めず。進軍を一時中断しています」

「ご苦労。思ったより遭遇が早いな。――参謀長、早速“骸軍”のお出ましだ。踏み潰すが、よいな?」

 リーヴスが私たちの馬車とは反対側を振り返ると、太った髭面の騎兵がその馬を寄せながら「ええ、殿下」と応えた。アンラウブ城で見た覚えがある。確かサウガとかいう参謀長。

「各地の友軍は、一両日の間は陽動を仕掛けます。いかな“骸軍”とて直ちにこちらへ“悪骸”を集中投入することはできないでしょう。と言っても、発見されないに越したことはありませんが」

「常ならそうだがな、時間も惜しい。今の我が軍の陣容でコソコソする必要はあるまいよ」

 傍で聞いている限り、リーヴスの判断はあながち蛮勇にはあたらず、妥当なものだろう。

 生身の兵士が何人寄ってたかろうと、超常的存在の偶像アイドルを打ち倒すことは困難だ。それに唯一対抗できる理甲師団も、最大50体もの偶像アイドルを迎撃できる編成なんて「そもそもできるのか?」という話もあるし、できたとしてもそれなりの日数を要する。

 であれば、少なくとも短期的な局面では、下手に隠密行動や迂回を選んで貴重な時間を浪費するよりも、速攻の方が得策のはず。どうせこれだけの部隊が移動すれば、連邦軍に発見されるのは時間の問題だ。

「――伝令、」

 リーヴスは馬上で速やかに文書を殴り書きし、伝令の青年にそれを手渡しながら告げた。「先鋒の第7進撃集団長に伝えろ。『到達目標地点と日時に変更なし。進路上の敵部隊あれば漏れなく蹴散らし、進路を確保せよ』と。それから今一度『敵の“悪骸”を確認するまで偶像アイドルは最小限の使用に留めろ』と伝えておけ。いいな?」

 伝令は凛々しく応答すると、渡された書物を手に、馬の鼻先を取って返し、今来た道を再び駆けていった。

 指示を終えたリーヴスは再び私たちを振り向き、余裕の笑みを浮かべた。

「――安心なされよ。お2人は引き続き、ゆるりと休まれるがよい」



 私たちの馬車からリーヴスが充分に離れたことを確認してから、舌打ちした。

「……馴れ馴れしくしやがって。気色の悪い」

 同意を求めようとソフィの方を向けば、隣に座る彼女はぼんやりとリーヴスの背中を眺めているだけ。気になるぐらい、何の反応もない。

 リーヴスが傍にいる時、ソフィはずっとこんな態度だった。

「……あなた、あいつと何があったの? 面識があるような素振りだけど」

 私が声を掛けてもソフィは「いえ、まぁ」と煮え切らない苦笑いでごまかそうとする。

「何かあったんでしょう?」

 もう一度追い打ちをかけると、彼女は何とも複雑な表情を浮かべつつ、ついに観念して口を開いてくれた。

「何もないわ、わたしとはね。でも、わたしの両親とは面識があったのかも。昔リーヴスがいたクオールという国は、わたしたちの村のお隣だったから。確かなのは、それだけ」

「……ソフィのご両親には、リーヴスと何か因果が?」

 ソフィは口元にごまかすような笑みをのぞかせて、肩をすくめてみせた。「だめね、嫌なことばかり考えてしまう」



 幌馬車からいよいよリーヴスの背中が見えなくなった時、「――それよりも、」とソフィは言って、再び私にその眼を向けた。

「エリザは、ハイバルの考えをもう聞いた?」

 何だか急な話の振り方だと思いつつ、「……昨日ようやくね」ととりあえずの事実を答えた。

 するとソフィはその小さな眉間をはっきりと寄せながら、私に訊ねた。

「――エリザは、どう思う?」

 意図がわからず、思わず「何が?」と訪ね返すと、ソフィは小さくも明瞭な声で言った。

「ハイバルのについて」

 最初は、ただ単純に私の聞いた内容を確認しているだけなのだと思った。

 だが、彼女の張りつめた表情に、そんな気さくなことを訊ねているのではないことに気づいた。

「封印されていた邪神を起こして、逆上させて蛮教徒カルトを滅ぼすだなんて、わたしもきちんと聞いたのは最近だった。――でも、あんな話がすんなりいくとは思えなくて」

「確かにね。やるならやるで、やり方をしっかり詰めないと……」

 そうじゃないわ、とソフィは首を弱々しく振った。

「――ハイバルは、何か重大なことを見落としている気がするの。もしかすると、わからないふりをして隠していることがあるのかも……それがわたしの思い込みならいいのだけど」


 ソフィの眼に浮かぶのは、ハイバルへの不安と、わずかながらも確かな不信感。

 どきりとした。この数日間を経て、私はハイバルという人間のことを少しは信じてもいいのではないか、と思いかけていた。

 しかし、ハイバルと一蓮托生のように見えたソフィが、違和感を覚えている。その状況自体が不穏で不気味だ。


「できるなら、リクラフと話したい」

 おもむろにソフィは呟いた。「リクラフなら、何かを知っているかも。ハイバルの言っていた邪神のことを」

「リクラフか……」

「たぶんわたしたちは、これから何を呼び覚まそうとしているのかを知らないといけないのだと思う」

 私は前髪をぐしゃりとかき上げてみる。

 どうすればリクラフに会わせてもらえるだろう。この行軍のどこかにリクラフはいるはずだが、今のところ私たちの視界には入らないし、気軽に会える保証はない。すぐに妙案は浮かばなかった。



 路面の両側にそびえていた樹木がいつの間にか消えていた。私たちの一団はグラン・オーの樹海を抜け出し、街道に差し掛かったようだった。



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