何かが間違っている(3)
「俺の正体ね、――別に、それは重要ではありませんよ」
突きつけられた切っ先を物ともせず、ハイバルはつまらなさそうに答えた。
その言葉と表情に、私はまた奇妙な既視感を感じた。同じようなやり取りの中で、同じように答えられたことが、随分昔にあったような気がした。
どちらにせよ、今この状況では少なくとも場違いな感情だ。言い聞かせるように、その思いを振り払う。
「俺はあなたの敵対者ではありません」
ハイバルはやけに落ち着いて告げた。「そして、ソフィをたぶらかしているつもりもありません」
「そんな口上を『はいそうですか』と信じると思うか」
ずい、とむしろ突き出すようにサーベルの切っ先をこの男の顔面、その正中線に据える。
ハイバルは大きくため息をついた。
「……ソフィ、君からも何とか言ってやってよ。俺がいつ君を口車に乗せた?」
「エリザ、ひとまず剣を納めて」
私の短気を諫めるようにソフィは言う。「ハイバルの言っていることに間違いはないわ。わたしはわたしの考えでここにいるだけ。ハイバルにたぶらかされたんじゃない」
「どうしてこいつの肩を持つの、ソフィ」
もちろん、まだ剣は納めない。そうするに足る信用を、まだこの男に対して持ち得ていないから。「……ハイバル、もうひとつ訊ねる。リクラフが廃甲されることを、なぜ知っていた?」
「俺が知っていたのがそんなに不思議ですか?」
そのとぼけた返事が更に私を逆撫でした。
「――どの理甲がいつ廃甲されるかなんて、部外者は知り得ないはずだ。それを事前に知っていた貴様のことを怪しむのは当然だ」
「廃甲がどこでどうやって行われるかさえ知っていれば、誰にでもわかることですよ。失格の烙印を押された理甲が、どのように処分されるのか。――もしやエリザさんはご存知でない?」
悔しいことに私は知らなかったので、首をほんの少し横に振った。
「理官なのに知らないんですか。全く、連邦の連中は仕方ないですね」
呆れ声でため息をつくと、ハイバルは静かに告げた。「――炉で焼くんですよ。煌々と燃える炭に埋めるようにして、鉄を作るでもないのに何日も何日も、あの頑強な理甲が再生出来ないほど消し炭になるまで。いかに理甲や
ソフィが顔をしかめるのが、視界の端に見えた。
私は苛立ちを覚える。『痛ましい』だの『かわいそう』だの、お涙頂戴ならうんざりだ。
「だったら、いらない理甲はそこら辺に転がしておけばいいとでも言うのか」
ひとたび理動すれば、人が1000人束になっても到底敵わないほどの兵器を。
「それはまた別問題だと思います」
ハイバルはなおも澄ました様子で答える。「でも、ソフィの言うように、ほんの5年前までここは連邦の国じゃなかった。今じゃ
そして、その笑みが不意に消えた。「――用が済んだら軍の都合で消し炭にすればいいだなんて、誰もがそう簡単に呑み込めるものではないんですよ」
そこには微かな怒りの響きが含まれている気がした。
「……話を戻しましょう。要は、廃甲炉の傍にある貯炭場を見ればいいんです」
「貯炭……?」
「廃甲する時は何日もかけて炉で焼くのですから、それだけのまとまった燃料炭を置いておく貯炭場が傍にあります。廃甲はそう頻繁にあることではないので、炉が稼働しようとするタイミングで炭が搬入されてきます。『次はどいつの廃甲を何時やるか』なんて馬鹿正直に尋ねても誰も答えてくれないでしょうが、『廃甲はどこで行われるのか』『どのようにして行われるのか』という程度の質問だったら教えてくれる人がいるわけです。あらゆる物事の遂行には必ず痕跡が残る、それを掴みさえすればいい。あとは時々貯炭場を覗きに行けば、子どもでも気づきますよね」
「そんな情報を、お前はどこで……」
「手段なんて何とでも。関係者を尾行することも、知人に探ってもらうことも、盗み聞きすることも、呑み屋でお会いしてそれとなくお尋ねすることも、何だって。今回で言えば、ちょうどエリザさんがその怪我をされた直後から貯炭場へ炭が運び込まれました。それに、理甲としてのリクラフ様の評判が散々で、いつ廃甲が決定してもおかしくないとは既に軍の中でもっぱらの噂だと聞いていました。だから廃甲されるのは十中八九リクラフ様だろうと踏んでいた。まぁ、俺がリクラフ様のことばかり考えていたからこそ、そうやって気づけたんでしょうけど」
「……リクラフのことを、いつから狙っていた?」
「個人的には2年前から。
ハイバルの白状はあっさりとしていて、躊躇いがない。「――俺の目的のためにはリクラフ様が必要だと気づいたのが、そのぐらいの時期でした。いろいろ調べて、情報を集めて、ソフィと出会えたのもようやく去年でした。ただ、正直そこから先は手詰まりになって、どうしたものかと考えあぐねていたんですけどね。しかし、ひとつの僥倖がありました」
「僥倖?」
「このところ、
いつか病室に見舞いに来たカウリールの台詞が甦る。
――“ただでさえ
ああ、この男の正体が、私にはようやくわかった。
怒りがこみ上げ、毛が逆立つ。
「……お前、
問い詰めた私に対して、ハイバルは頬を吊り上げた。ようやく気づいたかと、隠れんぼで鬼を弄ぶのに飽きた小利口な子どものように。
「はい。その通りです」
「――だったら、敵か」
踏み込みと同時にその身体へ刃を振るった。
ハイバルは見事な反応で後方に跳び退き、初撃は空を切った。
すぐに詰めて二撃、三撃――と行くべきところ、できなかった。急激な動作のせいか、脇腹の傷口に鋭い痛みが走ったからだ。
足がそこで止まり、口の端から小さな悲鳴が漏れた。
「気の強い人だ」
間合いを確保したと判断したのだろう、彼はゆっくりと私に向き直った。シャツの襟を直す余裕も見せながら。「あまり動くとお身体に触りますよ。まだ完治されてないのでしょう?」
「……お前は、ここで殺す」
「無理です。今のあなたには」
「ソフィ、私の後ろへ……」
彼女の方に振り返ると、私は眼を疑った。
ソフィが、私に刃を向けていた。
瞬きを2、3度したが、ソフィの右手には確かに刀剣が握られている。
護身用の短刀で、私のサーベルよりも細く短い。
そんなの、闘う得物としては充分じゃない。
が、ソフィがその刃を私に向けているこの現実こそが私の胸に突き刺さる。
硬直したまま、たっぷり3秒ぐらい考えた。それでも心当たりなんか出るはずもない。
「……ソフィ、どういうつもり? その剣は」
さすがに口の中が渇いた。
私のサーベルは当然ひとつきり。ハイバルに向ければソフィに向けることはできないし、逆も然りだ。
詰所の小窓から溢れた月光を受けて煌めくソフィの瞳。
狂っているとしか思えないその行動――にも関わらず、その眼はひたむきで、冷静で、ごまかしがない。ソフィが発狂したわけではないことに安堵しても、その行為に彼女なりの道理があるのなら衝撃だった。
「……あなたこそ剣をしまって、エリザ。ハイバルと殺し合うなんて止めて」
ソフィは命じるように言った。「さっきもハイバルが言ったけれど、私たちはエリザの敵じゃない、ただ協力して欲しいだけなの。それに、ハイバルはあなたの思っているような人じゃないわ」
「へぇ……理官に向かって、
「いいえ、それは違う。わたしもハイバルも、
「――ごめん、さっぱりわからない、さっぱり理解出来ないわ」
利腕でない左手で、私は頭を抱えた。くしゃり、と髪の束を揉み潰すように。「ソフィ、どうしてこんな男と――」
「……言ってもわからないのなら、いっそやりますか、エリザさん?」
その声と同時に、ハイバルは自身の長刀を腰から引き抜くや、こちらへ滑るように動いた。
ソフィに向けていた顔を、即座にハイバルの方へ。彼は水面に飛び込むように姿勢低く私の懐へ、そのかがんだ体勢から横薙ぎの剣筋が一閃。
首の微かに手前、私のサーベルがそれを弾く。かろうじて、だ。こいつの斬撃は速く、精確で、強い。
次の瞬間、左脇腹に衝撃が走った。炸裂する激痛。
視界が真っ白に弾け、膝が吹き飛んだように支えを失い、身体が崩れ落ちる。
ハイバルの鞭のような平手打ちが傷口に命中したのだ――と気付いた時には、膝を着いた私の眼鼻の先に、ハイバルの長刀の切っ先が突きつけられていた。
立たないと――そう思っても、痛みが横腹を捻り上げ、意思の力ではどうしようもなく顔が歪む。蹴られた脇腹へ手をやると少しの湿り気を感じた。出血したのかも知れない。
「遊ぶのはせめてお身体を治されてからにしましょう。今のあなたに殺られるほど俺も怠惰じゃありません」
かん、とハイバルの靴が私のサーベルの刀身を蹴りつけた。
激痛の中で、私の右手がかろうじて握っていたサーベルは敢えなく私の手を離れ、部屋の隅へ転がっていく。
得物を失い、前後からそれぞれ剣を突きつけられ、情けなくも私は観念する他なかった。
「……殺すなり何なり、好きにすれば」
必死に息を整えて強がりを言うと、ハイバルは「殺しませんよ」と答えた。
「あなたには協力してもらいたいことがありますし、俺としてもこんなところであなたに死なれるのは望みません」
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