万邦よ、適正たれ(2)

 松明の火に照らされる、ハイバルの表情。そこに覗く確信と、憐れみに似た一抹の色。

偶像アイドルといってもあなた方の理甲と同じで、人間の方から働きかけるには、まず信用の供与が必要です。強大なものになればなるほど、指図に必要な信用量も莫大になる。しかし、連邦軍と抗争中の蛮教徒カルトにとって、信用源は潤沢ではなかった。それこそが、“断固たる拒絶”作戦OARの発動に、大陸土着の啓霊様が――今回で言えば、リクラフ様が必要とされた理由です」

「ちょっと待って……」

 額に手を当てて考えてみる。因果があべこべに思われる奇妙なロジックだった。「それって逆じゃないの? そもそも信用源が足りていないのに、リクラフなんか連れてきても余計に信用の消費がかさむだけじゃ……」

「いえ。逆ではありませんよ」

 ハイバルは即答し、真顔になって私を見つめた。「ポイントは、という点です。最悪、リクラフ様でなくてもよかったわけですが」

「リクラフでなくともよかったなら、政治的な理由でもないの?」

蛮教徒カルトの連中がさかしらに政治のことなんか考えるわけがありませんよ、奴らの動機はもっと実際的です。啓霊様にあって連邦の理甲にないもの――それは土着民が長年の信仰を積み重ねたことによる、信用の蓄積です。ここまで言えばわかるでしょう? ――蛮教徒カルトの狙いは、信用の“引出し”なんですよ、エリザさん」

 あ。

 そうか。

 言われてみれば、シンプルな話だ。どうして気づかなかったのだろう。

「……よーやく、話が見えてきたわ」

 一度額に当てていた手を振り落として、ため息をついた。「だけど案の定、ろくでもない企てのようね」


 蛮教徒カルトの狙いとは、リクラフ自身が蓄えた信用を“引出し”て、その強力な偶像アイドルとやらを動かすためだった。

 言い換えれば、連邦軍を焼き払う『火』としてリクラフを使うのではなく、虐げられた土着民に希望を与える『光』として使うのでもない、いわば巨大な火を起こすためにくべる『蒔』として使うということだ。

 何という発想だろう。

 さすがの私も、そこまで伴侶亜人類プロクシーズのことをぞんざいに、物的に扱おうなどと妄想したことはない。それって要するに――


「――その偶像アイドルに対して『、リヴァー・リーヴスの命令を聞け』と命じるわけでしょう? そんなの前例もないだろうし、あまりに不確定要素が多すぎる。下手に第三者の伴侶亜人類プロクシーズを契約に噛ませて、話がこじれでもしたらリーヴスはどう収拾をつけるつもりだ?」

「そう、彼らは非常に危ない橋を渡ろうとしているのですよ。啓霊様を出汁にした邪神との取引、だなんて――リヴァー・リーヴスは、狂ってる」


「こればかりは私もあんたに100%同意するわ」

 同意どころか、俄然ハイバルの助太刀をしてやりたいとすら思えてくる。「――で、どうするの? 考えがあるんでしょう?」

「無論、奴らには天罰をくれてやりますよ。自ら進んで危ない橋を渡ると言うのなら、俺にとっては好都合だ」

 声を潜め、私の方へ顔を迫らせながら、ハイバルはその口元を鈍く動かした。「その危うい均衡を、我々がほんの少し崩してやれば――蛮教徒カルトの誰も、その崩落を制御することはできなくなる」

――その時、何とも言えない嫌な予感が、背筋にそよいだ。

 この閉塞した真っ暗の通路に淀む黴臭い空気と、そこに混ざる松明の脂の臭いを、私の鼻はまるで何らかの示唆のように鋭敏に知覚し始めた。

 不穏な何かを、ハイバルは口にしようとしている。

「あんたは、蛮教徒カルトの暴挙を止めさせよう、って話をしているんじゃないの?」

「いや、当面は奴らを泳がせます。我々はそれを利用するのです」

 どうやら予感は的中したようだ。「そのために、俺はエリザさんとリクラフ様、ソフィを押さえた。全ての鍵を握るリクラフ様を、蛮教徒カルト以外の人間が動かせる状態に置くためにね。紆余曲折ありましたが、どうにか俺はこの状況シチュエーションを演出してみせた」

 今まで断片的に描かれてきた彼の謀略の絵姿が、ついに具体的な形を帯び始めた。

 今のところ私に見えてきたのは、どうやらハイバルの目論見は蛮教徒カルトのそれ以上に冷酷らしいということだ。

「では説明しましょう、俺の構想を」



“断固たる拒絶”作戦OARの最終段階において、リーヴスはその忌まわしき偶像アイドルを呼び覚ます。そして、自分たちの指図に基づいて連邦軍を討滅するよう求める。だが、その偶像アイドルは縁もゆかりもないリーヴスの命令に、すんなり「うん」とは頷かないはずだ。

 そこでリーヴスは、かつて啓霊として長きに渡り信仰されたリクラフが自身の正統性を保証すると明かす。その偶像アイドルも、自分と同族である伴侶亜人類プロクシーズが「リーヴスは信用に足る人間であり従うべきだ」と保証するとあれば、「それならば」と応じることだろう。

 そこで、我々の出番である。

 いったんリーヴスが約束を交わしたものの、当のリクラフが保証に応じない状況に持ち込めば、リーヴスの面目と信用は丸つぶれだ。すると、忌まわしき偶像アイドルはできない約束をしたリーヴスに対して逆上し――。



「その結果は、いつぞやソフィのいる前でお話した、“神話”と同じ構図ですよ」

 ぞくりと、私の全身に身震いが走った。

 思わず引きつった笑みを浮かべてしまうほどに。

「――『抑止力』の発動、か」


 ある美しい伴侶亜人類プロクシーズを嗜虐の対象にした古代王朝の暴君が、どこからともなく現れた伴侶亜人類プロクシーズ偶像アイドルの大群に国ごと抹殺されたという『神話』。

 古代より大陸の為政者が伴侶亜人類プロクシーズを畏れ、共同体一丸となった信仰によって神聖不可侵の関係を結んだ背景にある、『抑止力』の脅威。

 それを利用することが、ハイバルの描く蛮教徒カルト撃滅の方策――。


「そう、俺はこの舞台で『抑止力』を発動させる」

 潜めた声で、しかし確かな質感を持って、ハイバルの言葉は響く。「俺たちやリクラフ様や連邦軍ではなく、その偶像アイドルの怒りがリーヴスもろとも蛮教徒カルトを全員始末してくれる。あとは、我々自身がその『抑止力』に巻き込まれないよう、いかにリクラフ様と共にとんずらするかどうかの話です。先ほど『信用を供与するタイミングが鍵だ』と言ったのは、そういう理由ですよ」


 心臓の鼓動が早鐘を鳴らし始めた。彼の自信に満ちた態度。しかし、彼の目論見を聞かされて、私の不安は解消されるどころか、かえってむくむくと首をもたげていた。

 ハイバルの構想は壮大で、彼なりの正義心に満ちていて、一見もっともらしいものだ。

 だが、本当にうまくいくのか、そんな危険なことが。そこに何らかの飛躍が生じてはいないだろうか? 何らかの狂気が宿ってはいないだろうか?


 冒頭に聞いた蛮教徒カルトの企みなど、すっかり子ども騙しのように見えてきた。

 危ない橋を渡るのは、蛮教徒カルトよりも、ハイバルと私たちの方ではないか。



「……ハイバル、あんたがそこまで大それたことを企てるのはなぜ?」

 私は最早そう聞かずにはいられなくなっていた。「私だって蛮教徒カルトには反吐が出るわ。連邦の軍人としてだけでなく、この大陸に――アリゴレツカに生まれ育った者としてね。だけど、偶像アイドルをわざと怒らせるように仕向けて皆殺しにしてやるとまでは、考えもしなかった。……あんたの何が、それほどまで蛮教徒カルトを憎ませるの?」

 ましてやハイバルは、蛮教徒カルトの中でもそれなりに重用されているはずなのだ。

 そんな自らの居場所を、こうも徹底的に叩き潰すだなんて。それほどの憎しみを、どうして彼らに向けることができるのか。


 ハイバルは「ふっ」と笑った。やり切れないな、といった感じで。

「エリザさんにはもうお伝えしてもいいでしょう……この間、アンラウブ城に着いた時、リーヴスが言っていたでしょう? 『兵力の乏しい我々が偶像アイドルの御力をお頼みできる、またとない僥倖をも得た』って」

「ああ、確かに言っていたわね。何のことだと思ったけれど……」

「あいつの言っていた『僥倖』と言うのは、奴らが“アリゴレツカの神灯”の”守り人”――いわば、エリザさんのお仲間を手に入れた、ってことなんですよ」

「えっ……蛮教徒カルトが、“守り人”を?」

 私は衝動的に身を乗り出していた。「じゃあ、あいつらの信用源は、“アリゴレツカの神灯”ということか?」

「そうですよ。蛮教徒カルトが決起してからのこの3年間、偶像アイドルたちへの信用供与は、全てその“守り人”ひとりが抱えていた“神灯”を消費する形で行われていたんです。……で、ここからがエリザさんの質問に対する答えなんですが、」

 ハイバルは俯き、疲れたような笑いを漏らしながら、語り掛けた。


「実は、その“守り人”というのは、俺との縁がある人でしてね。蛮教徒カルトの手から救い出してやりたいんです、その人を」

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