旧き守護神と旧き主(1)

 翌朝、駐屯軍本部に到着した私は、庁舎内の理甲師団大陸司令部の執務室に向かい、理甲管理を統括しているアルバント中佐を訪ねた。

 10名弱の師団本部付要員が机を並べている中でも堤防のように一際小高く書類の積み上がった机で、彼は眼鏡越しに顔をしかめながら帳簿と格闘しているようだった。


「おはようございます、中佐殿」

 後ろから声を掛けたせいで「うおお」と彼は身体を跳ねるようにして振り返った。「……なんだ、貴様か」

 日頃の苦労が偲ばれるリアクションだと思った。

「すみません、驚かせるつもりは……」

「いや、いい、こっちの話だ。最近は心臓に悪い話が多くて敵わん」

 アルバント中佐は机に広がった書類をガサガサと乱雑に整えた。そんなの読む気も起こらないが、私風情に見られるのはよろしくない書類のようだ。

「すごい量の書類ですね……」

 失礼を承知で、子供じみた感想を漏らした。何が悲しくてこんなにも紙ばかりなのだろう。

「ああ。理甲科だけだよ、こんなのは」

 アルバント中佐は愚痴っぽく言った。「兵器が強力になるほど戦いが楽になるかと思えば、そうは問屋が卸さんものだな。昔、騎士団付きで同じような仕事をしていた時分は、もう少し物事が単純明快だった気がするよ。――ああ、連中が単細胞だと言いたいわけじゃないぞ、念のため」

「その……今、心臓に悪い話と仰ったのは、理甲の管理に関するようなことですか?」

 もののついでに私は訊いてみた。この中佐はそうした雑談を持ち掛けても気分を害しない人柄に見えた。

「まぁな」

 やはり彼はあっさりと答えてくれた。「貴様に聞かせられる話ではないが」

「そう言われると気になりますね。あんまりにも中佐殿が大変そうなので」

 冗談めかして言うと、思った通りアルバント中佐も乗り気になったようで、「図々しいやつだな」とにやついた。

 裏表のない、それでいてお喋りな人なのだろう。とりあえず愚痴りたいという雰囲気は何となく私にも伝わっている。

「そうだな、俺から言えるのは、理幣はくれぐれも大切に使えということだ。『いつまでもあると思うな親と理幣』ってな。前線も地獄だろうが、そんな時は我々裏方もそれなりに地獄だ。――時に、貴様も使い終わった理幣を捨てたりしていないだろうな?」

「ははっ、まさか」

 私も笑って返した。

 まぁ、嘘だが。この間の戦闘でも捨てていたし。努力目標ぐらいのものだと認識していた。

「――ならいいが、言っても聞かない奴が多すぎる。理幣を使い捨てるなんて、1回着ただけで礼装を捨てるようなものだ。きょうび理幣の確保は本当に骨が折れるからな。各隊の帰参率を調査しようなんて話も出てる」

 ああお偉いさん、そんな余計なことだけはどうか止めてくれ。口にはとても出せないけども、唇をこれ見よがしにへの字に曲げて、私はささやかな抗議を示した。


 捨てるなと言われるのは、空になった理幣にも使い道があるからだ。理幣は伴侶亜人類プロクシーズに支払うだけの消耗品というだけではなく、逆に伴侶亜人類プロクシーズから信用を“引き出す”こともできる。

 やり方は簡単だ。既に使い切ってしまった理幣を伴侶亜人類プロクシーズに持って行く。そして、そいつに「この理幣は別の用途に使ってよい」という了承をもらい、その理幣に特有の目印を付けてもらう。それだけだ。

 一度使ってしまって効力を失ったはずの理幣を、また使って良いと認めてもらえる――これは伴侶亜人類プロクシーズからの我々に対する信用の供与と言い表す他ない。

 要は、信用が「飯」だとしたら、理幣はそれを容れる「弁当箱」のようなもの。だから使用済みの理幣を捨ててくれるなと中佐殿は言うわけだ。実際、理幣を造幣する中央信用創造局だって、供給量の1、2割はこの“引出し”が占めている。全ての理幣をイチから造っていてはとても供給が追いつかない。


 ただし、それが我々兵士にとってはの話だということが問題だった。

「せめて我々にももう少し“引出し”の裁量を認めてもらえると、こうも捨てられなくなるとは思うのですが」

 丁寧な言い回しで愚痴を述べると、中佐殿もある程度理解を示すようにため息をついた。

「現場はいつもそう言うがな、それはそれで難しい話だよ」



“引出し”という行為が可能なら、理幣を使い終わったら“引出し”て、また使い終わったら“引出し”て――と永久機関が実現しそうにも思える。しかし、この世にそんな旨い話はあり得ない。

 そもそも何を“引出し”ているのかと言えば、信用の剰余――ある種の「利息」だとされていた。それは我々連邦と伴侶亜人類プロクシーズがこれまで築いた関係性から生じ、蓄積されてきたものだ。連邦が適正な理幣を支払い、伴侶亜人類プロクシーズがそれに応じた役務を遂行する。対価と労役、発注と遂行――その繰り返しの中で、相互に信用が蓄積していく。例えるなら、一見客には渋い対応をする店主であっても、常連のお得意様には揉み手して特価廉売したりあの手この手のオマケを取り図らってくれるように。伴侶亜人類プロクシーズへの信用は、決して我々ヒトからの一方通行だけではない、というのが重要な点だった。


 ただし、そうだからこそ、連邦政府は末端の兵士が随意に“引出し”てよいとは許してくれない。連邦と伴侶亜人類プロクシーズの関係性によって蓄積された「利息」を、誰もが見境なく“引出し”すれば、それはお得意様割引につけ込んだ不特定多数の一見客が店先に押し寄せるようなもので、両者の関係性はたちまち破綻してしまう。それに、そうやって誰でも理幣が造れるようになれば、理幣自体の価値だって暴落してしまう。


 そういう事態を防ぐために、政府権力による統制が必要とされた。原則として“引出し”が行えるのは中央信用創造局だけ。

 対して、我々理官にかろうじて許された裁量とは、せいぜい個々の理官が理幣で支払った信用の内、ひとつの作戦行動が終わった後で、使い切らなかった信用分に限って引き出してよい――要は「お釣り」をもらうだけなら許す、という程度だ。

 こちとら作戦遂行の理幣が窮乏しているから“引出し”させて欲しいと言っているのに、作戦が終わった後でお釣りを引き出して良いと返されたって嫌がらせでしかない。だから兵士は使用済みの理幣を捨てることに抵抗がない。ましてや、自分たちの生死がかかっている時に、そんな実用性のないものを忘れていないかどうか点検する暇なんざあるはずもない。



「……ところで、何の用だ?」

 雑談の切れ目で、アルバント中佐が私に尋ねたので、私も本題を切り出した。

「リクラフの廃甲の件です」

「おう、その件か。首尾はどうだった?」

「ソフィ・ユリスキアは能力の限定解除に同意しました」

 アルバント中佐の動きがぴたりと止まった。

 数秒後に再び動き出すと、「本当か……」とほとんど吐息のように呟いて、掛けている丸眼鏡並に眼を丸くした。

 それから一度脇に避けた書類の山をひっくり返すようにがさがさと探り出したが、私は気にせずに続けた。

「ついては、ソフィ・ユリスキアの大陸司令部までの移送許可を頂きたく思います。小官が連れて参りますので、馬車も1台お借り出来れば。そして、彼女とリクラフとの一時的な同調が必要になるでしょうから、甲渠で構いませんので場所と警備のご手配を。そこには小官も立ち会いさせて頂きたく思います」

「あ、ああ、それはもちろん手配するが、移送は貴様ひとりで大丈夫か。貴様も病み上がりだろう? 同意を取り付けたんなら後はこちらの仕事だ、そこまで付き合う必要もないと思うが」

 顔を上げたアルバント中佐は、少し訝しげな表情をしていた。

「お気遣いありがとうございます、しかし身体の問題はありません。ソフィ・ユリスキアも女の私が傍にいることで、幾分気が和らぐでしょう。どの道、リクラフとソフィ・ユリスキアの対面には、小官が立ち会うになっていますから」

 やや強気に私が申し上げると、彼もそれ以上は追及しなかった。「……では、師団長には私から伝えておく。書類はすぐに書き上げるからしばらくそこで待て。本日の14時から事を始められるよう、事前の算段に沿って甲渠で用意を整えておく。それで問題はないな?」

「承知致しました」

「それにしても、あの頑固なお嬢さんをよく籠絡できたものだな。さすがウィルダ中級理官だ」

 純粋な賞賛の言葉だが、私は力なく笑うしか出来ない。

 篭絡できたわけではないからだ。ハイバルとか言う蛮教徒カルトの手先のせいで、話は既にややこしいことになってきている。

 だが、まだ私にも奴の裏をかく手立てはある。指を咥えて巻き込まれるがままにされる性分ではない。


「しかし困ったな……」

 自分の机に目を落とし、アルバント中佐は頭を抱えて小声でぼやいた。私に向けて言っている風ではなかった。「師団長はああ言っていたが、代わりにどいつか潰さんともう保たんぞ……」

「中佐殿、何か?」

「……ん、ああ、今のは独り言だ。貴様の聞いていい話じゃない。行った行った」

 駄犬のようにシッシされてしまったので、私は大人しく一礼して執務室を出た。

 理幣の供給が追い付かないという話は、どうやら私が何となく小耳に挟んでいる以上に深刻な状況らしいということだけは伝わってきた。



 それから少しの時間を置いて、手配された馬車に乗り込んだ私が、ソフィのいる牢塔へ着いたのはお昼時よりも少し前の時間帯だった。

 

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