旧き守護神と旧き主(2)
牢塔を遠巻きに囲む外柵の入場門で、私は一度馬車から降り、門番の警邏に命令書を掲示。ソフィ・ユリスキアを移送したい旨を伝えた。
その場でやや待っていると、担当の警邏に連れられたソフィが牢塔の入口から現れて、ゆっくりと私のいる門の方まで歩いてくる。
近くまで寄って来たソフィの顔は少し疲れているように見えた。私の会釈にも伏し目がちに鈍い頷きを返しただけだが、大人しく馬車に乗り込んでくれた。
警邏に礼を述べて、御者に「出して」と伝えると、馬車はゆっくりと歩き出す。
ソフィは硬い面持ちで、少しずつ離れていく窓の外のぽつねんと佇む牢塔を、そしてザイアン地区の山林を眺めている。その横顔に、名残惜しそうな様子は一切見えない。どちらかと言えば、これから向かうのが決して穏やかな場所ではないことを悟っていて、緊張しているようだ。
あまりのどかな心境でないのは、私も同じだ。これから何が待ち構えているのか、どんな企みに協力させられるのか。
そして、私はハイバルの――
「怪我は大丈夫?」とソフィが私の方を向いて、気遣うように尋ねた。
沈黙の気まずさに堪えかねたところもあるのかも知れない。
「大丈夫よ、心配しないで」と手短に答えると、また少し沈黙。
そして、ソフィは意を決したように言った。
「エリザ。わたしたちのこと、怒ってる?」
目線だけを動かして、私はソフィを見遣った。再び目線を前に戻して、「……とっても怒ってる、って言ったら、どうする?」と答えた。
「そうだよね……」とソフィは少ししょげた。「せっかく、エリザの方から友達になろうって言ってくれて、わたしのことをいろいろ気遣ってくれたのに、こんなことに巻き込んでしまって。『裏切られた』って思うのが自然かも知れない。こんなことを言うのは虫がいいのもわかってる、でも――わたしを信じて欲しいの。リクラフをあんな風に扱うのは、何かが間違っている」
信じて欲しい、か。
その時、昨夜のソフィの姿が脳裏に浮かんだ。
一瞬とは言え、短刀を私に向けたソフィ。
あんな出来事があったのに、今でもこの娘を突き放す気にはなれないのはなぜだろう。
私が甘いだけなのかも知れない。しかし、あれほどまで自分の決意をきっぱりと知らしめることが、生涯にどれだけあるだろう。それほどの強固な決意を抱ける人間が、この世にどれだけいるだろう。
ともあれソフィは、勇気と決意を振り絞った行動に出た。しかし、それがこの世界の掟から逸脱するものであるのなら、私はどう振る舞えばよいのだろう。
ソフィへのうまい返答が思い浮かばないまま、答えの出ない、液のようにとろとろした思索に溺れている内に、馬車はまもなくアリゴラの中心街へ差し掛かろうかという時だった。
「――リクラフとは、その、何があったの? あの戦役で」
再びソフィが尋ねてきた。気まずさから逃れるための、場つなぎの質問ではなさそうだった。聞いておく必要があるから訊ねた、というような迷いのなさがソフィの声からは感じられた。
「……どうもこうも」
私はソフィの真っ直ぐな視線から逃れるように答える。「まともにやり合った連中の中で、私だけが生き残った」
「エリザだけが……?」
「そう、私だけだった。その件で、師団の中でもちょっとだけ有名人なのよ、私」
そして全く無感動に、私は忘れもしないリクラフの大活躍ぶりをそらんじる。「リクラフ討伐に差し向けられた理甲師団2個小隊の計6個分隊。そこに配備されていた28体の理甲は全壊ないし部分損壊、私以外の23名の理官は名誉の戦死。――知ってる? 理甲って、連邦軍にはせいぜい300ぐらいしかいないのに、30体弱もの理甲がリクラフ1体にやられてしまったのよ。理官だって皆、何年も教育を受けて厳しい選抜を通過して、何度も死線をくぐってきた選りすぐりの人たちだったのだけど。皆、リクラフに
ソフィは何の返事も発さなかった。
彼女の顔を少し見たが、驚きと悲しみがないまぜになった眼をしていた。唇が少し震えていて、でも言葉が出て来ないようだ。何と言っていいかがわからないのだろうか。
あの戦役はそれほどの戦争だったんだ、こんな話は雑草のように転がっている。
だけど、今になっても私の中では、色褪せた過去にも、乾き切った瘡蓋にもなってはいない。
「――だからねソフィ。私には、あんなものが神様だなんて、とても思えないのよ」
ひとりきりのふとした瞬間に甦るのだ。
リクラフを誘い込んだあの林の、うんざりするような深緑が。
出撃直後、責任感を漲らせて私たちを振り返る上官の面影が。
ざらざらした砂塵を含んだ煙たい風が。
それに乗って辺りを舞う、骸の血肉が放つ臭いが。
断末魔のほんの刹那に、私の眼と合ったいくつかの視線が。
時に白昼夢のように。時に亡霊のように。
永遠に腐ることのない瑞々しい悪夢が、私を弄ぶように
断片的に甦るそれらのイメージ。そのひとつひとつの
そういった感覚の
そんな目に遭っても、私がどうにか自暴自棄にならずに済んだのは、「神灯を守らなければ」という役割が――私に託された役割が、曲がりなりにもあったからだ。例えそれが、父ラインエル・パストゥーダを始めとするアリゴレツカのお偉いさんが、一方的に投げて寄越した無礼で身勝手なものに過ぎなくとも。
――ところが。
今、それすら砕かれ、崩れる危機に瀕している。何の因果か、これもリクラフを欲する輩の謀略に巻き込まれて。
リクラフめ。あの戦場から生き延びた私に、とどめを刺しにきたつもりなのか。だが、私だってもう5年前のひよっこではない。今度こそ、お前の呪縛に蹴りをつけてみせる。
私たちの間に再び流れる沈黙。馬車の車輪と蹄鉄が路面を鳴らす、かぽかぽとした音と振動が、それをごまかすように響いている。
窓の外を見る。もうそろそろアリゴラ中心部の大神殿のそばまで来ていた。
ソフィが、再び口を開いた。
「エリザは、その、どうしてそこから、生きて帰ることができたの?」
その問い掛けに、私の心がぴくりと動いた。
「……生きて帰らない方がよかったかな?」
ごまかしがてら、そんな意地悪を言ったら、ソフィはとんでもないと言う風に顔を横に振ったので、私はようやく少し笑った。
どう返事すべきか考えている間に、馬車は進駐軍本部の門を通り抜け、本館の前で止まった。到着だった。タイムオーバーだ、私は正直に答えることにした。
「……甘えてしまったのよ」と扉を開きつつ、私は答えた。
「何に?」とさらに訊ねたソフィに、「自分の業に」と言い残し、馬車から降りた。
◆
進駐軍本部の玄関前には、アルバント中佐ともう1名の若い大陸司令部要員、それから4名の警護兵が整列しており、馬車から降りた私たちを出迎えた。
「ご苦労」とアルバント中佐が声を掛けてきたので、敬礼を返す。
すると中佐はさらに私に近づき、「配置は完了している」と耳打ちした。
「承知致しました。このまま甲渠へ向かえばよろしいでしょうか」
「ああ。案内する」
私は背後にひとり立つソフィのところへ戻り、「ついてきて」と声を掛けた。
私とソフィの前後両脇を固めるように警備兵が配置され、その前をアルバント中佐らが歩いていく。
進駐軍本部の石造りの館の中には入らずに、周りをぐるりと迂回するように進む。
その端まで行けば、お隣にそびえるアリゴラ大神殿のお膝元だ。伸びやかに天まで届こうかという高さの大神殿。ただし、ここから直接アリゴラ大神殿に入れるわけではない。その根元と私たちの間には、せり出したように直方体の構造物が横たわっている。燃え盛る焚火の根元にぎゅっと押し込んだひとつの煉瓦のようだ。それが私たちの目的地である甲渠だった。
黒く物々しい柱の骨組みに支えられ、左右対称に窓の配置されたファサードの前では、優に10人を超える警邏が固めている。連邦を支える数多くの
進入しようとする私たちを取り囲むようにして身元確認を行った上で、彼らはその重厚な鉄扉を開き、私たちを内部へ通した。
今では甲渠として活用されているこの建築物は、元々は礼拝のための広間とされていた。風が吹き抜けるような高い天井のヴォールトをちらと見れば、両側面の窓から外界の光が潮のように流れ込み、あたかも自分が小人になって世界を見上げているような錯覚を抱きそうになる。
ここでは理甲を含む
甲渠の中はあの図書館にも少し似ていた。建築様式の話だけではなく、眼の前にはこちらに側面を向けた3列の巨大な棚が並んでいるから。ただ、図書館と違ってその棚に収められているのは書物ではなく、棺桶状の木箱がほとんど隙間なく立て掛けられているというところ。
その木箱は、もちろんここで調整中の
「こんなにたくさん……」
ソフィはおぞましい何かを見ているかのように呟いた。
なるほど、博物館みたいに津々浦々の神様がコレクションされていると思えば、ぞっとするものかも知れない。それが武力と権力で収集されたものであるのなら、尚更金持ちの醜悪な道楽のように見えるのだろう。
アルバント中佐以下、私たちはさらに奥へ歩みを進めた。
「来たか」と私たちを出迎える声があった。
冬の河に横たわる石のように冷たい表情を浮かべたランドール副官と、彼に付き従う護衛2名がその広間で待っていた。彼らは敬礼し、私たちに労いの言葉を発した。「ご足労お掛けします、アルバント中佐殿。準備は整っております。……ウィルダ中級理官もご苦労」
「師団長は?」
アルバント中佐が尋ねると、「所用のため立ち合いはされません」とランドール副官は答えた。
私は敬礼を返しながらも、広間の間取りをそれとなく観察した。
これぐらいのスペースがあれば、
「リクラフはそこに用意している」
アルバント中佐が広間のやや隅を指差す。その指が差した直線上に立っていたランドール副官とそのお供が脇に退くと、ひとつの箱が立て掛けられているのが見えた。
射し込む陽光の向こう側に覗くその姿。箱の中に眠るように収まっていたのは、確かにリクラフだった。
「リクラフ……」
そう言ってソフィが思わず駆け寄ろうとしたのを、2人の警護兵が即座に立ち塞がって制止した。ソフィも引き下がるしかなかった。
私とソフィが広間の中央に立ち、警備の4名が数歩分の距離を取って私たちを取り囲む。
アルバント、ランドールの両将官とその護衛数名は広間の端へ。私たちを遠巻きに見守っている。
準備は整ったと見て、私はソフィに語り掛けた。
「――それじゃソフィ、これからリクラフの能力を解除してもらう」
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