砂の上で、星の下で(2)
「自分のしたことを正当化するわけじゃないですが、俺はエリザさんに訊きたいことがあるんです」
そう、ハイバルが口を開いた。ついさっきまで申し訳なさそうにしていたのに、ひとつの区切りを付けたように、その声には張りが戻っている。
訊きたいことなんて……と少し顔を上げると、ハイバルと目線が合った。紅い波がたゆたうように、焚火に照らされた彼の瞳。そして彼は言う。
「あのまま連邦軍に潜り込んで、“アリゴレツカの神灯”という絶対の秘密をたったひとりで背負って。あなたは何処まで行こうとされていたのですか?」
認めたくはない
――が、その一言に核心を突かれた気がしたのは、残念ながら否定できなかった。
動揺が走った私の表情を捉える、ハイバルの眼差し。それは彼がよく見せる、薄笑いで煽ってくるような眼つきではない。ソフィのあの強い眼差しを思い出したけれど――、なぜだかハイバルのそれはもっと柔らかで、よりこちらを思い遣るかのような。
(――いやいや)
慌てて頭を振った。こいつが私を思い遣る、だなんて。どうしてそんな印象を受けてしまうのだ。
「……知らない、何処へ行くかなんて」
私は逃げるように眼を逸らした。「時が来るまで、“神灯”のことは私の胸の奥に仕舞っておく。私がそれ以外のことを考える必要はない」
「――あのね、エリザさん。そんなのは絶対に無理がありますよ」
こいつ、そうも断言するか、と思った。そして腹が立った。子どもじみた反発かも知れないが、何も答えず、聞き流すことにした。
そんな私の様子を見かねたように、ハイバルはなおも言った。
「“アリゴレツカの神灯”はね、アリゴレツカの連中にとっては一国の至宝で、
「……そんなこと、言われなくたって」
「いいえ、わかっていません。エリザさんもそうだし、エリザさんにそんな無理を託したアリゴレツカの連中も」
ハイバルの言葉に熱が入り始めた。「冷静に考えてみてください。表向きにはこの世から抹消されたはずの“神灯”です。
「やってみせるわよ、それぐらい……」
「――ですから、そんなことは無理だ、と言っているんですよ!」
強い口調で彼は言い切った。「現に、こうして10年も経たない内に俺なんかに尻尾を掴まれているじゃないですか。そんなザマで『やってみせる』だなんて、口先だけでしょうが!」
「な、何を……あ、あんたなんかに何が――!」
かっと怒りがこみ上げ、立ち上がってハイバルを睨みつけた時、彼のその堂々とした眼に気づいた。『文句があるのか? 反論できるのか?』と突き返すように私を見つめる、その眼に。
確かに、ハイバルの言うことは何ひとつ間違ってはいないのだ。私はほんの10年でさえ隠し通すことができなかった。それは否定しようのない事実で、どんな言い訳をしても正当化はできない。
悔しさ、そして情けなさに押し戻されるように、私は再び砂地に腰を下ろした。
「――俺は、エリザさんを責めているわけじゃないんです」
ハイバルは語り掛けるように断った上で、私の顔を覗き込む。「いいですか? ヒトは弱い。
声こそ抑えているけれど、彼の唇はどこか怒りに震え、その眼は焚火とほとんど同化するように燃えている。
私には、彼がそこまで熱を込める訳がわからなかった。もしや、そこまで私の身を案じているのか? ――いや、まさかね。では、他に何か理由が?
「もし、今までの日常が続いたとしても、いずれは破綻したと思いますよ」
彼は、私の方へ身を乗り出した。「俺から見れば、エリザさんが居着こうとしていた“日常”は、そもそもが歪みの上にあった。それをたったひとりで堪え忍び、見て見ぬふりでいることが強さだと思っているなら、何かが間違っているんですよ、そんなことは」
「……話をすり替えないでよ」
私は精一杯、抗弁する。それを呟いた唇はわずかに震えていた。
そう恨み節を漏らしつつも、私はこの男の言葉から救いを受け取っているのかも知れない。
表に出さないように努めてきた、“理不尽”への想い。誰にも言うことのできない機密を保持するが故の悩み。それを自分以外の人間が初めて受け止めてくれている。代弁し、憤ってくれている。そんな状況にらしくないほど心が揺らいでしまって、だけどそれをこの男にされたことが悔しくもあった。
この男は一体何なのか。私の人生を滅茶苦茶にしたと思ったら、こんな妙に優しい惑わせるようなことを言う。こいつに対して、私はどんな感情を抱くのが正しいのだろう。
ハイバルはそのままゆっくりと星空を見上げて、「ソフィも最後まで悩んでいたんです、この行動については」と静かに言った。
「でも、リクラフ様のことでのらりくらりとやり過ごすのは、時期的に見てもう限界だった。リクラフ様の廃甲を座して待つか、一縷の望みを賭けて今回みたいな大立ち回りをするか、はっきりさせないといけない時期でした。そんな時に、エリザさんに図書館で言われた言葉が最後の決め手になったと彼女は言ってましたよ。もしあの時、あなたが『そんなことは割り切りなさい』とでも忠告していれば、もしかしたら俺たちは今こうしていなかったかも知れませんね」
「……私がこうなったのは、自業自得だとでも?」
「まことにすみませんが、案外そうかも」
彼はふふっと笑った。「実を言うと、俺もソフィ伝いにあなたの言葉を聞いて、それは少し響きましたから」
私が睨みつけたのに気づいて、「……今のは、本心ですよ?」と彼は微笑んだ。その時の笑みは、どこか寂しげにも見えた。
「だって、あなたの言ったことは、たぶんあなた自身の強い後悔に裏打ちされている。だから、強い言葉だ。そんな気がしたんです」
どうも、本心はよくわからないが、今、この男は何かしらの本音を進んで打ち明けようとしている。そんな雰囲気があった。
「……本当のところ、あなたとソフィはどういう関係なの?」
そう尋ねると、彼は苦笑いで首を横に振った。
「何だか含みのある言い方ですね……少なくとも恋仲じゃありませんよ」
「でも、ソフィはあなたを信じて、こんな大それたことをやろうとしているのでしょう?」
「そう、ソフィね、」
噛み締めるようにハイバルは呟いた。「――あの娘はね、俺のことなんか、なぁんにも信じちゃいませんよ。ただリクラフ様のことで頭が一杯なだけ。どこまでも純粋で、目的に対して濁りがないし、妥協もしない。そこが凄いところでもあり、少し恐ろしく感じるところでもある。――正直言って、俺はソフィよりもあなたの方が、人としての親近感を覚えているぐらいですよ」
勝手に親近感を覚えられても。
けれど、私にもこの掴みどころのない、憤りに近い情熱と微かな諦観とが奇妙に同居するハイバルという男の側面が、徐々に見えつつある気がしていた。
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