おかえり、リクラフ。
文長こすと
序章
ユリスキアの啓霊(1)
リクラフがこの宿営地に帰って来たと聞いて、わたしは天幕を抜け出して、伝令のひとの示した方向へ走った。
わたしのいた天幕から少し離れた広場には、泥だらけの傷ついた兵士たちが膝を付いたり、地面にへたり込んだりしていた。リクラフはその中に真っすぐ立っていた。何十人、何百人に囲まれていたって、その姿は探すまでもなく一目でわかった。
大人の男にまじっても背が高く、何十年も生きた海えびの殻みたいにごつごつとした、いかめしい銀色の装甲を全身にまとった
リクラフは、わたしの守り神。
わたしたちユリスキアの村の守り神。
森の中に住む弱い人間のわたしたちを、わたしが――いえ、わたしのお母さん、お祖母ちゃんが生まれるよりも、もっともっと昔から見守ってきてくれた、強くて綺麗で優しい
恐ろしい悪霊たち――
まずは、リクラフが生きて帰って来てくれたことが、飛び上がるぐらい嬉しかった。
傷ついた兵士のひとたちの小脇をすり抜けて駆け寄ったわたしは、リクラフが右腕にひどい怪我を負っていることに気づいた。啓霊のまとう銀色の装甲は、斧を持った大男が力任せに切りつけても紙1枚分もへこまないはず。それなのに、ひじから先が、その装甲ごとトマトを握りつぶしたみたいにぐちゃぐちゃにねじれている。
その様子があまりにも痛ましくて、わたしは悲鳴をあげてしまった。
リクラフがかわいそうで、なみだがあふれてきた。
でも、リクラフに戦ってほしいと、ユリスキアの村のみんなを代表してお願いしたのはこのわたし。だから、強くて綺麗で優しいリクラフがこうなってしまったのは、わたしのせいでもあるんだ。
心の奥をとても乱暴につねられたような気分だった。
「リクラフ、リクラフ……痛くないの? 悪骸にやられてしまったの?」と恐る恐るたずねた。
頭の装甲の隙間の目元の暗がりにきらめくリクラフの黄金色の瞳が、少しかげって見えた。それから、リクラフは答えた。
「安心下さい、私はまだ戦えます。片手はしばし使えませんが」
そう言って、リクラフは少しうつむいた。「しかし、形勢は厳しいと言わざるを得ません」
その時、後ろの方で、隊長らしきひとに報告をする兵士の声がぼんやりと聞こえてきた。
「……街道を北上し、我々を追撃してきた連邦軍は……その戦闘で我が方は敵悪骸の破壊3体、大破3体……我が連帯神団に残るは啓霊……人馬約……絶望的で……」
わたしは戦争のことはよくわからないけれど、わたしたちの兵団がほとんど壊滅してしまっていることだけは、何となく分かってしまった。
「――そういうことは、後で軍人さんに言えばいいんだよ……」
わたしはすがるように、リクラフのつぶれてしまっている方の手を握ろうとしたけれど、痛々しくてとても触れなかった。「こんな……こんなにめちゃくちゃになってしまって……次の戦いは休ませてもらおう……ね?」
けれど、リクラフは気にも留めないで、「ソフィ、」とわたしの名前を呼んだ。
「先刻、私たちが叩いたのは先遣隊に過ぎません。その後続から新たな敵部隊が迫っている。今の連帯神団にはわずか6柱の啓霊と200に満たない将兵が残るのみですが、連邦軍には悪骸だけで数百体が控えます。このまま継戦する限り、私や、村の皆が休める余裕はなく、この宿営地もまもなく戦場になるでしょう。私は速やかに戦線に復帰する必要があります」
「無茶だよ、そんな怪我で……」
「常々申し上げておりますが、
「あのね、そういうことじゃなくて!」
わたしは再度リクラフの潰れていない方の手をしっかりと掴んで、引っ張った。
そして、あふれてくる言葉を、あふれてくる勢いそのまま、わたしは叫んだ。
「もう勝ち目はないでしょう? だいたい、一番『連帯』『連帯』って言っていたアリゴレツカの軍団が真っ先に降伏してしまって……もう、わたしたちだけで戦ったって、どうしようもないよ!」
「ソフィ様!」
背後から、爆発したみたいな怒鳴り声がわたしをつんざいた。「――首長の娘ともあろう方が、そんな気弱でどうします。リクラフ様の仰る通り、戦いはまだ終わっていない」
背筋が凍りついたわたしが振り返ると、テグサ先生――いえ、今は“テグサ団長”が、恐ろしい形相でわたしの方へ歩いてきていた。そして、わたしの目の前まで歩いてくると、耳元で言った。
「すぐそばに兵がいるのです。今ここにいる者は皆、傷つき、恨み辛みを抱えています。それを必死に抑え込み、どうにか貴方のためにここに踏み止まっているのです。時と場所をわきまえなさい」
わたしが「ごめんなさい……」と声をしぼり出したのを見て、先生は周りの兵士たちに「離れろ」と合図を送った。兵士たちは声が届かないぐらいまで離れていった。
テグサ先生は、わたしのお父さんの先生にあたる人。
わたしも、先生から学問や村の歴史、護身のための武術の心得など、いろんなことを教わった。普段は厳しかったけれど、本当に困った時には優しく助けてくれる人だった。
ちょっと前までは輝いて見えるほどだった、先生の白と真紅の軍装。今はそれも、土や血にまみれて汚れている。顔の深いしわには、汗とあぶらがじっとりにじんでいる。目元だって、何日も徹夜したいみたいに落ち窪んで、痣みたいに大きなくまが出来ている。先生も疲れ切っているように見えた。他の兵士の人たちと同じように。
この何週間かの戦いで、わたしたちは村の人々ほとんど全員そろって、戦場をあっちこっち動いて野営していた。
戦いの度に村の人々は減っていき、村長だったわたしのお父さんとお母さんまでもどこかへ行ってしまった。それからはこのテグサ先生がわたしたちの村を取りまとめてくれている。
「村長もご婦人も、すぐに戻って来るよ」と村の人たちは説明してくれたけれど、たぶんそれはただの気休めで、お父さんたちも戦いで死んでしまったんだろうな、とわたしは感じていた。どうしてかと言うと、誰も「いついつには戻って来ますよ」ときちんと答えてくれなかったから。はっきり「死んだよ」って言ってくれたなら、わたしだってきちんと泣くこともできると思うのに。
そうして村長だった人がいなくなってしまったせいで、テグサ先生にはきっとその分の疲れもあるのだろうと思う。
そんなふうに、村の誰もが大変なんだ。
だから、わたしもテグサ先生の言うことはちゃんと聞いて、村の代表としてリクラフにいろいろなお願いをしている。お父さんとお母さんがいなくなってしまった時、リクラフにお願いできるのはわたしにしか出来ないことだったから。
兵士たちが遠くに離れたのを確認したテグサ先生は、わたしとリクラフの前に静かにひざまずいて、わたしたちにしか聞こえないぐらい小さい声で言った。
「――リクラフ様、ソフィ様。もはやここまでです。次に接敵した時が、連帯神団としての最後の戦いになりましょう。争いの仕舞いに入らねばなりません」
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