蛮教徒の首魁(3)
「――いやいや」
私の反問に、リーヴスとハイバルは共に首を横に振った。
「何もお2人が矢面に立つ必要はありません」と答えたのはハイバル。「リクラフ様で戦う必要すらない。指定された地点で、リクラフ様にとある請願を頂ければいい」
「その請願の中身は?」
「それはまたいずれ。何しろ具体的なことはこの後の評議で確定しますから。――継領殿下、それでよろしいでしょうか?」
伺いを立てたハイバルに、リーヴスは頷きを返した。そしてハイバルも私に一瞬の目配せをした。『今は何も言うな』とその表情は指図してきたように思えた。
私たちにそれ以上の異存がないことを確認したリーヴスは「ガンチェク、」と私の隣にいた大男の名を呼んだ。
「そちらのウィルダ殿とユリスキア殿を部屋までお連れするように。失礼のないようにな」
「継領殿下、それしきのことでしたら団長のお手を煩わせずとも、私が」
ハイバルが進み出たものの、リーヴスは「お前はいい。“骸軍”の動向を引き続き探れ」との一言で却下した。これにはハイバルもごねることなく引き下がった。
命令を受けた大男は私とソフィの方を向いて礼儀正しく頭を下げ、謁見の間の入口側へ手のひらを示しながら「こちらへ」と言った。
大男の先導で長い廊下、古ぼけている以外にさして特徴のない内装の回廊を進んで2、3度角を曲がった頃、ずっと沈黙していた彼は急に私たちに声を掛けた。
「ウィルダ中級理官、だったか。一方的にだが、あんたのことは知っている」
私は驚いてその巨大な背中を見た。
「どこかで会ったことがあったっけ?」
どれだけぼーっとしていても、こんな大男なら私が忘れるわけがないはず――と思いながら答えた私に、ガンチェクは振り向いた。
「会ったことはない。だが、会いたいとは思っていたよ」
熊みたいな巨漢が真顔でそんなことを言うものだから笑ってしまった。
「何それ。まるで求愛みたい」
「あんたはひと月前からお尋ね者だったからな。――それとも、本当に求愛の方がよかったか」
そこまで言われるとようやく合点がいった。
「ああ、リクラフ絡みということね。私たちの分隊に配備された理甲の中にリクラフがいたから」
「そうだ。ここ数ヶ月はリクラフ様をお救いせよとの命令が下っていた。あんたのことも含めて、その手綱を握っている理官と共に引っ張ってこいと」
「へぇ、理官まで」
「当然だろう、理甲は理官がいなければ動かせない。貴様らは不敬にも啓霊様をマリオネットのように扱うからな。だが、ハイバルの小僧がひとりであんたとリクラフ様を連れてくるとは驚いたよ。大見得を切ったものだと思っていたからな」
彼が口にした『ハイバルの小僧』という一言には親愛の響きが含まれているように感じられた。
「ハイバルとは親しい仲なの?」
「隊商上がりのあいつを我々の仲間として拾ったのは俺だ」
ガンチェクはほんの少し頬を綻ばせた。「そこら辺の商人にしておくには惜しい奴だった。何でも教えたよ、息子代わりにな。今じゃアリゴラ周辺で我々の密偵網の要を担うまでになった」
息子代わりに。その一言で、これは深入りしない方がよさそうな話題だと感じ取る。軍人とは因果な仕事だ。
すると、私の後ろからソフィが尋ねた。
「あなたたちは、どうしてリクラフを欲するの?」
さすがに立ち入った質問だったか。ガンチェクの顔が少し歪んだ。
「元々、リクラフ様はこちらの、連帯神団の啓霊だ。その後を継いだ我々再帰神団は、侵略者に奪われたものを取り返したに過ぎない。それがそんなに不思議か?」
「あんなに
少し挑発的に、私はガンチェクに問い詰めた。「あんたたちの信心深さなんて方便でしょう? 状況を変えるための手駒としてリクラフを扱うのなら、あなたたちだって連邦を罵る資格はないと思うけど」
「……まったくだな」
どうやら私の言葉が気に障ったらしい。「打算のために啓霊様を奪い合う、こんな罰当たりな状況を生み出した“骸軍”の軍人様の仰ることは実に筋が通っている」
神をも殴り殺しそうな筋肉で身を包んでいるのに、神様を信じているとはおもしろい男だ。
ただ、彼はそれきり喋らなくなってしまった。
どこまで連れて行かされるのかと思ったが、どうやら別の棟に移っていたらしい。少しずつ階段を上って行くにつれて、内装の雰囲気がほんの少し変わっていることに気づいた時には到着したようだ。
鍵を開いて私を室内に入れると、ガンチェクの巨体がその戸口を隠すように立ち塞がり、「ウィルダ中級理官。あんたには、当分この部屋にいてもらう」と言った。
「ソフィは?」
「ユリスキア殿は別部屋だ。時々巡回を寄越す、用があるならその時に言えばいい。給仕は担当の者からさせる。一応の衣服も支給する。まぁ、出撃までの間、部屋の中でゆっくりしてくれればいい。他に質問はあるか?」
ガンチェクに答えるよりもまず室内を見渡した。古ぼけてはいるが、間取りとしては随分広く、昔はそれなりの立場の人間が使っていた部屋かも知れない。質素な寝床と小さな机、煤けた石造りの暖炉、あとはちょっとした大きさの腰高窓がある。
「素敵な部屋ね」
ソフィが囚われていたあの牢塔のことを思い出すものの、もっと薄汚くて悲惨な場所に押し込まれるとばかり思っていた。「私、これからリーヴスの妾にでもされるの?」
「さぁね」
ガンチェクは肩をすくめた。「しかし、あんたもまさか本当にお客様として連れられたわけじゃないことぐらいわかるだろう? 我々には皆、“役割”があり、それに応じた待遇を受けている。これだってそうさ。あんたの役割が何かは、継領殿下のお考えに依る」
「そのお考えとやらをぜひ聞きたいものだけど」
「さっきあんたが自分の耳で聞いた以上のことが、俺の口から言えると思うか」
少しうんざりした様子で部屋の戸口に手をかけ、彼は嫌味を含んで言った。「あんたのご協力なくして我々の勝利はあり得ない、いくら減らず口を叩かれようと、こっちだって多少優しくもなるさ。いずれにせよ、既に賽は投げられたよ」
◆
気配を感じてまぶたを開けば、ただ月明かりが微かに照らす部屋の中で、どこかを叩く音がした。
即座に起き上がると、その音は窓――壁奥に埋め込まれた、小さめの卓ぐらいの大きさ――の向こうから聞こえていた。寝床から出て靴を履き、慎重に近づくと、窓の向こうに見知った顔が覗いている。
ハイバルだった。
まるで夜闇に溶け込むような厚手の黒いローブをまとい、肌と眼だけが白く浮かび上がっている。
そんな窓の外の彼が、口の動きだけで『あ・け・て・く・だ・さ・い』と伝えてきたのを見た。
彼の影には月明かりがまとわりついている。まだ夜更けのはずだが、何の用だ。ひとまず私は木枠のガラス窓をわずかに開いた。
彼の片腕から両股にかけては太めの縄が絡まっており、それはこの建物の屋上から伸びているようだった。つまり彼は1本の縄にぶら下がっている。
「真夜中の乙女の寝室へようこそ」
形式ばかりの挨拶をして「夜這いのつもりならそのまま突き落とすぞ」と唸ると、「そんなおっかないことはしません」と彼は笑った。
私の方は薄っぺらい寝間着と火傷隠しのサラシをまとっているだけで、あまりに無防備だ。部屋の中にこいつを入れるのは勘弁願いたい。窓を捩じ開かれないよう、窓枠を掴んだまま私は尋ねた。
「じゃあ、何の用?」
「大事な作戦会議のお願いに参りました」
ハイバルはそう言うと、自分が着ているものと同じ黒ローブを鞄から取り出して、窓の隙間からねじ込んできた。
「それを着たら、俺との夜の散歩に付き合って頂けませんか? アンラウブ城の案内をしてあげます」
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