ソフィ(2)
「照れるなぁ、そんな大層なものじゃないです」
と言いつつ、いたいけなお嬢さんからきらきらした目線を頂戴すると、あんまり悪い気がしない私もゲンキンなものだ。「ソフィさんは……」
「あ、呼び捨てで構いませんよ。敬語もいりません、私の方が年下ですから」
「そうですか。ちなみに、おいくつ?」
「17歳になります」
「そりゃお若い」
雰囲気通り、いやそれよりもむしろ上に思える年齢だった。15歳と言われても疑わないかも知れない。「――私はもう23歳なので、そんじゃお言葉に甘えて。ソフィは、どこのお嬢さん?」
「場所で言えば、ザイアン地区に住んでいます。ここから裏手にしばらく進んだところですね」
どこの、というのは「どこの貴族さんの」という意味合いだったが、彼女は場所の方を答えた。それも妙な場所を。
「ザイアン地区ねぇ――あまり立ち入ったことがないな」
「ええ、普通に暮らしている分には、用のないところだろうと思います」
そりゃそうだ。
あの辺りにあるのは牢獄、監獄の類。あそこに住んでいるなんて罪人か、連邦に楯突いた政治犯か、さもなくばそこに勤める刑吏の関係者ぐらいではないか。
虫も殺さぬような顔して、意外とアウトローなのかな。でも、罪人にしては身なりがちゃんとしているし、ひとりで図書館に来る程度の自由と教養もあるようだし。
「――この図書館には、よく来るの?」
藪蛇を避けるため、なるべく自然に、私は無難な話題へ切り替えた。
「ええ、よく来ます」
「本が好きなんだね」
「もちろんそれもあるのですが……」
ソフィは私を少し手招きする仕草をした。顔を近づけろと言っているらしく、少しかがんでみると耳元にそのつぼみみたいな唇を近づけて、ひそひそと囁いた。「実は、わたしあまりあちこち出歩くことが出来なくて、限られた時間と場所にしか外に出られないんです。今もお目付の付き人が近くにいるんですよ」
不意にこちらを見つめる視線のようなものを感じて、私は眼球だけをそちらへ動かした。
目立たない場所に座って本を広げている男が見えた。直感に過ぎないが、たぶんあいつだろうとぴんときた。私たちの会話が聞こえる距離ではないが、こちらの様子を伺っているように見える。
ソフィの方へ顔を戻すと、彼女は私の勘付きを悟ったように頷いた。
「……ここは数少ない、私に許可された外出先のひとつですね」
「限られた場所にしか行けない、か。このご時世に随分不自由なことだね」
どうやら訳ありの娘さんらしい。
出歩く先を制約されていて、見張りの付き人もいる。何を仕出かせばそんな待遇になるのかは見当もつかなかった。
「でも、安心して下さいね」
なおも私の耳元で、ソフィは言った。「わたし、決して罪人とかではないですから」
「ん? いや、別にそうとは……」
実は、若干ぎくりとしていた。
「ふふ。今そう思ったんじゃないかなって感じたんです」
私が戸惑うのをからかうように、彼女は耳元から顔を離した。
「ウィルダさんは――」
「ああ、私のこともエリザでいいよ。敬語もいらない。普段無精な男どもを相手してるから、お行儀が良いのは逆に性に合わなくてね」
「すみません……では、エリザは、」
「――ちょっと、適当な席に座ろうか?」
私はソフィに提案した。もう少しこの娘と世間話をしてもいいかと思ったこともあるし、松葉杖に身体を預けているのが少し痛くなってきた。
ソフィは快く応じて、傍の適当な机に私たちは並んで腰かけた。
「――その、エリザは、今はお怪我の療養でアリゴラに?」
「そう。表の通りを下ったところの軍病院で当分寝泊まりしている。怪我が治り次第ここを離れると思うけど」
「名誉の負傷というやつですね」
「ん、まぁそうなるか……」
負傷の原因が私自身の無謀であったことに眼を瞑れば、名誉の負傷を自称しても間違いではない。カウリールに聞かれたら何を言われるかわからないが。
もっとも、今の私は理官を代表して善良な市民のお嬢さんに接しているわけで、こういう場合は些末な事実よりも堂々とした態度と面子こそが大切。ということで特に訂正はしない。
「ところで、エリザの方こそ図書館にはよく来るの?」
ソフィは小動物みたいに小首をかしげて、柔らかな微笑みを浮かべた。
一体どう育てられればこんな可憐な娘に育つのだろう。そんな聞き方をされたら、お姉さん張り切って何でも答えてしまいそう――だが、大人らしく顔を引き締めて答える。
「軍人の分際で図書館なんて不釣り合いだと思う?」
「いいえ、まさか、そんなこと全然思わないわ。さっき書棚を眺めていたエリザを見たら、軍人だっていう方が意外だったもの」
「ふーん、そう見えたんだ」
いつもじゃじゃ馬だとか言われてばかりだからか、少し照れた。照れ隠しに鼻を思わずこする。「……好きなんだよね、こういう場所」
「素敵ね。ご家族が学者さんだったとか?」
「学があるわけじゃないよ。ただ、昔よく通っていたから」
「へぇ……」
ソフィは何かに勘づいたように呟いた。「エリザって、少なくとも連邦本土の人ではないだろうなと思っていたけど、もしかしてアリゴレツカの“いいとこ”の人? そもそも文字が読めることもそうだし、ここの図書館が市民に開かれるようになったのは連邦の治世になってからで、それまでは限られた人しか出入り出来なかったと聞いているけれど」
「……あなた、本当によく気がつく娘ね」
思わず苦笑してしまった……が、正直あまり笑えない。私の出自、それは誰彼構わず言っていい話ではなかったから。
ソフィ――この娘は賢い子どもだと思った。
それはもちろん良い意味でもあるが、さっきからこの娘が見せる妙な察しの良さに、私は少し空恐ろしいものを感じていた。私のことを理官だとノーヒントで言い当てたこと然り、私の心を先読みしたように「自分は罪人じゃないので安心して欲しい」と告げたこと然り。今のところ、彼女の態度や仕草に敵意や悪意は感じないことが幸いだが。
ただ、今のやり取りに関して言えば、彼女の聡さではなく、うっかり軽率な発言をしてしまった私の方に非がある。
「――そうね、出入りできる程度の家柄はあったわ」
ごまかさずにそう白状した上で、ソフィに頼んだ。「ただ、このことは秘密にしてるの。誰にも言わないでね。それこそ、罪を犯した没落貴族ってわけじゃないから」
「そうなんだ……」
ソフィは眼をぱちくりさせた。いささか驚いているようだった。
「でも、貴族だったとは言っても昔の話。色々あって、家出したのよ。今はこの通り軍人勤めをしているだけの一般庶民。せっかくの家柄パワーだけど、私の人生では使う間もなかったわ」
「それにしても不思議な巡り合わせね。アリゴレツカの貴族令嬢だったのが、今では連邦軍の理官だなんて。……これ、あんまり尋ねない方がいい?」
ソフィはその丸い瞳で私の顔を覗き込んだ。
「まぁ、人の世は複雑怪奇ってこと」
私はにこりと笑みを作った。もう尋ねてくれるなという牽制のつもりでもある。「私も連邦軍に入隊なんてしていなければ、今頃は着飾って社交場に出かけたり、毎晩お行儀よくフルコースを堪能したりしていたかもね。あるいは、どこぞのボンボンに嫁がされて、朝も夜も『世継ぎはまだか』といびられてノイローゼになっていたかも」
「それはそれで大変そう……」
「そんな窒息しそうな人生もあり得ただろうけど、私はたぶん今の方が性に合ってるのよ」
本当にそうだといいけれど。
本音を言えば、そこに関しては私もまだ半信半疑だ。さすがにそこまでソフィに打ち明けるつもりはないが。
「――ねぇエリザ、少し聞いてもいい?」
ソフィは少し真剣な眼差しと声音で、意を決したように私に尋ねた。「そういう、有り得たかも知れない未来について、あなたならどう思う? 例えば……ええと、連邦軍のあなたにこんなことを言うと気分を害してしまうかも知れないけど」
「いいよ、別に。連邦軍の悪口なら私も大好き」
冗談を言って見せると彼女はふふっと笑った。安心したようだった。
「……こう考えることはない? 『もし、あの大陸征服戦役がなかったら、こうなっていたはずなのに』、とか」
それまでの会話のように、お互い興味本位の世話話、という雰囲気でもなかった。
「……えらくスケールの大きな話ね。あなたにはそういう悩みでもあるの?」
確認のためにソフィに尋ねると、彼女はこくりと頷いた。
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