療養
◆◆◆
眼が覚めた時は、大天幕の中だった。
それもいつも理官同士で雑魚寝している分隊の天幕ではなく、きちんと自分用の寝台がある傷病者用天幕。隣を見ると、もう3台ほどの寝台が用意されていて、少なくとも分隊のメンバーではない怪我人が横たわっていた。
傷病者用の天幕。そうだとしたら、ここはあの前線からいくらか内地側、つまり後方に設けられた場所のはずだ。
その時、全身のあちこちから警笛のように痛みが発信されて、「う、あぁっ……」と我ながら情けない悲鳴が漏れる。
たちまち目尻がぐっしょりと濡れるが、両手がうまく動かせないので拭うこともできない。
呼吸でお腹が膨らむ度に擦り切れるような痛みに襲われた。馬鹿な魚みたいに口を開けて慎重に空気を出入りさせていると、たちまち脂汗が顔中に浮かんできた。
特に痛いのは左腕の肘から少し先の辺りと、左脇腹のあたり。ぱっくり裂かれた皮膚と皮膚の断面が擦られるような、焼けるような痛みだ。
痛みと不快感に戦いながら歯を食いしばっていると、軍医殿が入ってきた。髭も髪も白くなった老齢の医者だった。
「気がついたようだな」
「せ、先生……い、痛い……た、助けて……」
こんな姿を分隊の同僚に見られるのだけは勘弁したい、と願いながらも痛みには敵わない。
「重傷だったからな。鎮痛の薬草を少し咬んでおきなさい」
軍医殿はそう言って小指ぐらいの大きさの怪しげな紙巻物を私の口に加えさせた。
言われた通りに咬む。
「う、……ううううううっ!?」
凄まじい苦味に跳び上がりそうになり、その拍子にまたお腹が動いて悲鳴を上げる羽目になった。
「気をつけな。それ、とても苦いからね」
軍医殿は私が悲鳴をあげてから呑気にそう言った。
ふざけんな、ぶち殺すぞジジイ。
――と怒鳴りたいところだが、生殺与奪を握られている状況では何も言えない。
本当にこんなもので痛みが引くのか、と思ったが、確かにしばらく苦味に耐えて咬んでいると、心なしか痛みがましになったような気がしたので、やぶ医者ではないことにいくらか安心した。
「あ、あの、せ、戦況は……?」
痛みというよりも苦味の方で眼がぐしょぐしょになりながら、私は軍人として状況確認に務めた。
軍医殿は穏やかな口調で説明してくれた。
「西方平定戦線全体としては目立った動きはない。君の属する理甲師団 第2分隊に関して言えば、君の負傷離脱も含めた戦力消耗のため、一昨日に本国への帰還が決定し、昨日には陣を引き払った。今は第4分隊と第6分隊が交代して任務に就いている」
「わ、私は何日眠っていたのですか……」
「3日ぐらい。よく目覚めたもんだ、明日になっても目覚めなければ処分しようと思っていた」
「こ、このジジイ……」
「評判通りのじゃじゃ馬さんだな。そんだけ元気なら、半月も安静にしておけば動けるようになる」
軍医殿はなかなか人を煽るのが趣味らしいが、冗談の境目もわかっているようだった。「左肘と左脇腹の裂創の他、肋骨も2、3本ほど折れている。全身の打撲に……」
「酷い怪我ね……」
「いやいや、軽傷なぐらいだ。状況から言えばな」
軍医殿が呆れたようにかぶりを振った。「君を助けた者から聞くと、君は軽巡級4体と駆逐級3体の
「た、タコ殴り……?」
当時の記憶が吹き飛んだように消えていた。どうしてそんな羽目に。「その……私と一緒にいた理甲は、どうなりました……? まさか、敵に捕らえられたりとかは……」
「ああ、“あの”リクラフだろ? 捕まってはいない。やられていた割に特段損壊もしていないと聞いている。だが、理動した君がそのまま昏睡してしまったもんだから、第2分隊と一緒に昨日アリゴラの甲渠に送還された」
リクラフが敵に捕らわれたわけではない。
それがわかっただけでも、ひとまず私は安堵した。
しかし、分隊に大きな迷惑をかけてしまったことに変わりはない。理甲は“理動”を行った理官と同調し、基本的にはその指揮下で作動するから、他の理官が扱うことになればそれを解除する必要がある。
その場合、同調済の理官の死傷によって自力解除が困難となれば、理甲そのものはぴんぴんしていても解除処理のために甲渠送りにされてしまう。
だから、理官自身が死傷するなどあってはならない。リクラフに跳び回ってもらいながら私が直接敵とやり合ったのだって、直属の上官がカウリールだったから黙認してくれたが、お堅い上官に知られれば懲罰ものの行動だ。
「……その、もう少し、私の負傷した状況を詳しく聞かせてもらえませんか……」
「そう言われても、私だって現場を見たわけじゃないから」
軍医殿はため息をついた。「詳しくは、君を救助したカウリール上級理官に聞くといい。彼は昨日、引き払い際にここに立ち寄ったよ。伝言を預かっている。恢復してから伝えてくれと言われているが」
「……恢復してから、というのは、何か意味でも?」
「たぶんあんたがへこむと思ったんだろ」
「な、なんと言ってました……?」
「……忠告はしたぞ」
そう言って軍医殿はポケットから小さな紙を取り出し、読み上げた。
“恢復おめでとう。
まず、その怪我をリクラフのせいにはするな。理甲があいつだったからそんなかすり傷で済んだんだと、現場の目撃者としてはっきり言っておく。
教練所で最初に叩き込まれる言葉を覚えているな? 『理官の死傷は、ほとんどの場合、理甲の性能不足ではなく理官自身の過失に起因する』。忘れていたなら思い出せ、そして二度と忘れるな。
あの時、お前は味方も策もないまま7体もの
冷静に考えろ、7対1だったんだぞ? しかも、攻撃できないリクラフで勝てるとでも思ったか? 何考えてんだ?
とは言え、正常な判断能力を失っていたお前をひとりで送り出してしまった俺の判断ミスでもある。
お互い助かってよかった。だが、お前もしばらくアリゴラで頭を冷やせ。その後で原隊に復帰しろ。”
「――以上だ。有り難いお言葉だな」
「うう……」
ぐうの音も出ない。
確かにあの瞬間は何とかなりそうな気がしていたが、言われたように7対1だった。軽巡級4体と駆逐級3体で、単純な戦力比は11対1。焼きが回っていたんだ、明らかに。
「半月ほどして動けるようになったら、アリゴラの軍病院へ移送する手はずになっている。焦ることはない、それまで安静にしていたまえ」
軍医殿はくるりと踵を返して出て行こうとしたが、「あ、そうだ」と私の方に向き直った。
「カウリール上級理官はああ言っていたが、君に軍務功労勲章を与えるよう推薦したようだ」
「勲章、ですか……」
飴と鞭というやつだろうか。
手厳しく叱責された直後にそんなことを聞いてしまうと、胸に沁みる。
「あの夜以前の戦いでも色々手柄があったそうじゃないか。それに、あの夜に関しても軽巡級
「前者はともかく、後者はよく覚えていないのですが……」
「第2分隊の諸君が証言者だから、君自身に覚えがなくとも詐称には当たるまい。あの上級理官、よっぽど君のことが可愛いんだろうな」
「そんなもんでしょうか……」
「その草巻きは君にやるから、苦痛になったら咬めばいい。じゃあまた検診で」
今度こそ軍医殿は出て行った。
勲章と言われても、これほど実感が持てないとどう喜んでいいのかもわからない。
鎮痛の薬草の苦味にも慣れてきたところで眠気に襲われ、私は再び眠りについた。気が済むまでたっぷり寝られるという幸せだけは、せっかくなので噛み締めたい。
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