腐れ縁(2)

 私の人生で一番頑張った瞬間はいつかと言われれば、16歳の時分に理甲科の教練所に放り込まれ、無事課程を修了して理官に任命されるまでの2年間だろう。今では上官のカウリールだが、営舎に入ったタイミングは同じだったので、苦しい2年間を共に耐え抜いた同期の間柄でもある。

 脱いだ云々というのはその時の昔話。


 同期入営の男連中は都市市民や農民の次男三男以下が多く、騎兵科の連中のように尊大ではなかったが、粗暴で権威嫌いの者が多かった。

 その環境において、入営当初の私は一番嫌われる人種だった。お利口さんにしているが、認識も見通しも甘い上に、訓練だってろくにこなせなかったから。

 理官なら、騎兵や歩兵と違って戦闘は全部理甲がやってくれる。理甲を召使のように戦わせるのだろう。

 そんな程度に思っていると、入営した初日にそれが全くの甘ったれた妄想だと思い知った。


 集団密集戦術を採る騎兵や歩兵に比べて、理甲科は少人数ないし単独の理官で、理甲という一騎当千の強大な実力装置を統御する必要がある。大部隊を率いる場面は考えにくい反面、個々人の判断力と自律行動の求められるウェイトはよほど大きい。例え不眠不休、飲まず食わずの極限状況でも合理的判断が下せるよう、教練課程は極めて実践的で体系立ててぎっしりと。徹底的に体力と精神力を鍛え上げるメニューが甘々の私を歓迎した。


 夜明けと共に冷える山河を走り回り、体術や剣術を叩き込まれ、くたくたで営舎に戻れば座学が始まる。不意打ちで夜中に訓練が始まることも、明らかに足りない食糧を持って数日掛けて森林を踏破することもあった。


 とんでもない世界に来てしまった、と思った。

 泣いても吐いても倒れても訓練をこなせない日々が続いた。

 連帯責任ということで、同期全員が私の尻拭いに何度も付き合わされた。


――またあいつか。

――何しに来たんだ、あのお嬢様。

――さっさと辞めねぇかな。


 そんな陰口と舌打ちは毎日のように浴びせられた。私自身ごもっともとしか言いようがなかった。男連中は少なくとも理甲師団がどういうものかはきちんと知った上で、彼らなりの憧れと覚悟と共に入営していた。「こんなにしんどいだなんて聞いていないよ……」などと愚図る私がどれだけ目障りだったかは想像がつく。


 それでも、のっけから最悪の印象を与えてしまったことで、かえって私は逃げ出さなかったのかも知れない。

 見返してやる、という意識は日増しに高まった。身体が慣れて来ると訓練も徐々にこなせるようになった。座学の方はそれなりに出来ていたので、肉体面が追いつき始めると教官や周囲の評価も変化するのを感じていた。


 それでも一部の男連中からの嘲笑は粘着的に続いていた。頭に来ながらも平静を装っていた私だが、ある日ついに爆発の瞬間が訪れた。


 その日、理甲を使った模擬戦があって、私はたまたま優秀な成績を出した。

 一方、いつも私を目の仇のように罵っていたある男は凡ミスを犯してしまい、教官から大目玉を食らった。その教官はよせばいいのに「エリザを見習え!」などと私をダシにして彼にハッパをかけたので、彼は実に不愉快な気分だったのだろう。

 訓練が終わって営舎に戻った私は背後から突然蹴りつけられ、振り返ればそいつが立っていた。

「周回遅れのくせに勘違いしてんじゃねぇぞ出来損ない」「あの教官と寝たんだろ、売女が」と吐き捨てて、そいつは立ち去ろうとした。


 いわれがないにも程がある暴言だ。

 私もこいつも同じラインに立って教練に臨み、私はクリアしたがこいつはミスをしたというだけの話。なぜ私が教官に“女”を売ったなんて因縁を吹っ掛けられるのか。

 堪忍袋の緒が切れて、私は立ち去りかけたそいつに声を張り上げた。

「売女っつったか、あぁ?」

 自分でも信じられないような乱暴な声と口調で叫んでいた。訓練以外で、営舎で出した初めての大声だった。「上等だ、気安く抱けると思ってんなら抱いてみろよ、理甲にも相手にされねぇ下手くそが!」

 当然、そいつはこめかみに青筋浮かべて私に向き直った。そこから先は売り言葉に買い言葉。取っ組み合いの喧嘩になり、どこかのタイミングで私は隊服を脱ぎ捨てていた。気づけばほとんど上裸になっていても、私は全く気にならなかった。


 たまたま傍にいたカウリールら数名が慌てて間に入ってくれたおかげで、お互い大怪我をする前に離されたのは幸運だった。私も2、3発殴られて鼻血が出たぐらいのダメージで済んだ。

 別室まで引き離された後、カウリールは私が脱ぎ捨てた隊服を肩に掛けて、呆れながら「突然どうした」と言った。

 私はまだ鎮まらない怒りのままに「舐められるのはもううんざりなんだ」と絞り出した。

「確かに私は出遅れたし、皆に迷惑だってかけた。でも、最近は訓練で足手まといになることもない。私は自力で食らいついて来たんだ! それは罵って来たあいつだって見てるはずだ。なのにどうしていつまでもいつまでも“女”を使っただなんて言われなきゃいけないんだ。こっちもあいつらも理官になるって目標は同じだろ、だったら“女”なんて捨ててやる、胸だろうが尻だろうが見せてやる。そう思ったんだ。――なぁ、私の言ってること、何かおかしいか!」

 自分でも、口が動くのがもどかしいぐらいの勢いで言葉が飛び出た。

 営舎に入ってからの数カ月、それまでほとんど誰とも喋らなかったのに。

 するとカウリールは「ぷっ」と吹き出して、「お前……、ぶっ飛んでんな」と眼をきらりとさせた。

「見方が変わった。気に入ったわ」と彼は少し興奮気味に私の背中を叩いた。「俺は、お前の言ってることは間違ってるとは思わんよ。まぁ、でも脱ぐこたぁないな。誰も見たかねぇよ」

 こいつ馬鹿にしているのか、と疑ったが、次の日からカウリールは何かと私に声を掛けて来るようになった。

 彼の態度が、今まで私が受けて来たようなからかいや誹謗とは全く違っていたことは、私にもすぐにわかった。カウリールは営舎で出来た最初の友人だった。


 その一件の後、営舎の中で悪しざまにからかわれたことは一度もない。一応認められたのか、気ちがい扱いされたのかは定かではないが、元々浮いていた私にとってそれはどうでもよかった。

 どちらかと言えば、談笑したり本音で話し合える仲間が増えた。仲良くなった後でカウリールに聞けば、「無口過ぎて何考えてんのかさっぱりわからなかった」と思われていたようだ。そうして仲間が出来れば、過酷な教練も案外踏ん張れるものだった。

 始まりは最悪だった営舎生活も、卒業する時には皆で励まし合った、その輪の中にちゃんと私も居れたことは、今ではいい思い出だ。



――そんな昔話を思い出して、こっ恥ずかしいような微笑ましいような気分になったが、一方のカウリールはやや真顔に変わって静かに言った。

「――ただ、偶像アイドル全員がお前らの方に向かうぐらい、敵の狙いがはっきりしていたのは予想外だった。お互い生きて帰って来たから笑い話で済んだが、お前が死ななくてよかった、本当に」

 どこかしんみりとした空気が流れ始めたので、気まずくなる前に私は咳払いをした。

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