第33話 疲れてしまったから、振り下ろす。

 飽きたなんて、語弊がある。

 単純に、疲れてしまったのだ。


 この状況に。

 だって、そうだろ。


 自分の死に受け入れられない状況下で、

 自分の死に様を、

 犯人が誰かも分からずに、

 毎日毎日見せつけられる。


 『俺』は死んで、≪俺≫になったのだ。

 だから、こんな状況に追いやられているのだ。


 そんな風に言われているような気がしてならなかった。

 正直、気が変になりそうだった。

 なりたくても、なれなかったが。


 いっそおかしくなれたら、どれほど楽だったか。

 それでも、状況が許さない。


 次第に、≪俺≫は気付いていった。

 自分の死に様に慣れていくのに。

 辛くて耐えられなくて、

 それでも、≪俺≫は気付けば探している。


 ――なんで?


 あの「なんで」の答えが知りたい。


 ほとんどそれだけのために、動いている自分に、

 恐怖心すら抱いた。


 『俺』の疑問を解決するために、≪俺≫がいる。

 ややこしくても、認めざるを得ない。


 だけど、過去に縛られて、≪俺≫がいる状況は、

 ≪俺≫にとって嫌な感覚を覚えた。


 これではまるで『俺』の操り人形じゃないか。


 疲れているのに、休みたいのに、

 泣きたいのに、叫びたいのに、


 そう思っているのは確実に≪俺≫自身なのに。


 考える時間も、放棄することさえできないなら、

 

 いっそ、根元を断ち切ってしまえばいい。

 その根元は、今も≪俺≫の目の前にいる。


 そう思えば、行動は早かった。


 台所には見覚えのない包丁やまな板があった。

 『俺』は基本、自炊はしない。


 買ったはいいが、使わない。

 そうなるのかもしれないから、あえて購入しなかった。


 なのに、何故あるのか分からない。

 分からないまでも、ちょうどよかった。


 人を殺したいなんて、思ったこともない。

 今も、何故か手が震えている。


 それでも、その手を、

 振り下ろした。



* * *



 最近、首を絞められる。

 夢かと思ったが、眠ろうとすれば、

 首に圧迫感を覚え、

 息苦しさに目を覚ます。


 誰もいない。

 気のせいかと思ったものの、

 次第に気のせいじゃない。


 殺されそうだ。

 そんな恐怖心が芽生えていった。


 極めつけが、今朝のことだった。

 朝起きれば、はっきりと、首に縄で縛られた跡がある。


 ぞっとした。

 その縄の跡に、見覚えがあったからだ。

 急いで引き出しを開ければ、分厚くて太い縄があった。


 引っ越しや古紙回収で役に立つかもしれない。

 そう思いながら、結局使わずじまいだった。


 あれからずっと触っていない。

 なのに、結び目が違うのが分かった。


 震える手で、縄をほどき、

 鏡の前で、首に残った跡と照らし合わせてみる。

 

 手が震えているせいで、同一の物か確認できなかった。


「なんでだよ、勘弁してくれよ……」


 今日は書類選考が通って、

 やっと面接に辿り着けたのだ。


 下手な字で、何度も自分なりに綺麗に見えるように、

 努力したのに。


 こんな格好では、何事かと思われてしまう。

 断わざる得ないだろう。


「……っ」


 頭を掻きむしりながら、鏡の前に立ってみる。

 もう一度、首に紐を通して見ようとして


 怖くなった。


 このまま、うまく行かないままだったら、

 

 いっそ、


 そう思ってしまう自分がいたからだ。

 引き出しを開け、紐を隠すように仕舞った。


 その後、気分を変えるために、

 顔を洗い、髭をそり、

 断りの電話をいれようと、

 

 固定電話が置かれた棚に行こうとして、

 背中に衝撃が走った。


「……っ!」


 何が起きたのか分からなかった。

 熱と共に、じわりじわりと痛みを自覚する。

 咄嗟に逃げようとして、


 また刺された。


 背中、肩を立て続けに刺され、立っていられなくなった。

 何故か刺されたのだと分かった。

 なのに、足音どころか、気配すら感じない。


 混乱する暇もなく、また刺される。


 ――殺される。


 流れる血に耐えながら、固定電話に手を伸ばす。

 面接どころではない。


 助けを呼ばないと、


 いつも数歩で手が届く場所が、今は酷く遠く感じた。

 その上、目が霞み、

 休む暇もなく、刺されていく。


 ようやく受話器が手に収まった。

 だけど、ボタンを押せない。

 押す気力がもうない。


 壁にもたれながら、そのままずるずるとその場に崩れ落ちた。

 もう虫の息だった。


 自分でも死ぬと、分かってしまった。

 瞼が重い。

 意識が朦朧としていて、

 

 幻覚でも見ているのだろうか。

 『俺』の首に包丁を突き刺そうとする、


 ≪俺≫がいた気がした。

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