第31話 見たくなくても、見てしまう。

 引き出しの中を開けてみる。

 太くて分厚い紐がある。


 これなら、難なく使えそうだ。

 自分の首を絞めるのに。


 なのに、


「…………」


 振り返れば、仰向けで倒れている『俺』がいる。

 『俺』の身体から血が流れ、何か所も何か所も刺された箇所がある。


 怨恨か。

 それとも、単なる躊躇いによる刺し傷か。


 どちらにせよ、分かっている。

 『俺』はもう死んでいる。


 誰が見ても明らかだった。

 それで納得できればよかったのだが、


「……なんで」


 納得なんかできなかった。

 実感すら湧いてこない。


 単なる死体になってしまった『俺』を見ながら、

 つい思ってしまった。


 ――なんで?


 『俺』には自殺する動機があった。

 だから、殺されても文句はないよなと言われたら、

 そんなことはない。


 少なくとも、≪俺≫はそう思う。


「なんでだよ……」


 誰にともなく言えば、


 カチッ。


 不快で軽快な音がした。


 瞬きする間もなく、死体が消えていた。

 ≪俺≫は特に驚かなかった。


 死体も何度も見ていれば、自然と驚かなくなってしまう。

 いや、違う。

 見ているんじゃなくて、


「見せつけられているの間違いか……」


 疲れが滲んだ声は、半ば諦めの色が混じっていた。

 そんな≪俺≫なんかお構いなしに、


「ああ、疲れたな」


 二週間前の、生きていた頃の『俺』が帰宅した。

 似合わないスーツをハンガーに掛けながら、


「本気で終わるのかよ、これ……」


 げんなりとした声だが、充実している。

 そんな様子が見て取れる。


「ま、やるしかないよな」


 気分を切り替えるように、独り言を呟いた。

 そんな『俺』を見たくもないのに、見ているのは、


 二週間後に死んだ筈の、未来の≪俺≫そのものだった。

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