第30話 認めてないから、否定する。

 ジョキンと、何かが切れる音がした。

 髪の毛が落ちていく。

 長い髪の毛は、何の抵抗もなく、

 下に落ちていく。


 その様を、他人事のように眺めていた。

 そして、


「あれ?」


 気が付いた。

 気持ち悪いほどに、絡みつく長い髪。

 髪の毛が1本1本へばり付く、鋏と私の手。


 絡みつく髪から視線を移せば、


「…………え?」


 人が、死んでいた。

 溺死だった。


 だけど、それは殺されたから。

 他でもない、私の手が、

 その人の頭を、抑えつけていのだ。


「…………っ!」


 分かった瞬間、絡みつく髪の毛が、

 さっきまであんなに、気持ち悪いだけだったのに。

 今度は別の意味で、怖くなった。


 声にならない悲鳴を上げかけて、

 呑み込んだ。


 理性が働いたのだ。

 しかも、打算的な考えが。


 今、悲鳴を上げたら、

 誰かが来てくれたら、


 まず間違いなく、私が疑われる。

 殺したのだと、決めつけられる。


「……違う」


 状況が教えてくれる。

 この人は私が殺したのだと。


「違う」


 言い分がある。

 主張がある。


「違う」


 私は知らない。

 覚えてすらない。


 この人を殺したのだとしたら、

 なんで、私は、

 この人を殺した瞬間を、

 覚えていないの?


「だから、違う……っ」


 覚えていないから。

 殺していない。

 

 そんなの、何の主張にもならない。

 言い逃れにもならない。


 分かっている。

 分かっているけど、言わずにはいられない。


「私は、私は、」


 ポツリと呟いた。


「何も覚えていないの」


 カチッ。


 聞き覚えのある音がした。

 瞬間、私は風呂場にいなかった。


「え、なに、これ……?」


 部屋の真ん中に立っていた。

 見覚えのある部屋の筈なのに。


 私の私物は全部、消えていた。


 代わりに、見覚えのない家具やその配置。

 私の色で彩れていたそれは、

 別人の色をした部屋になっていた。


「なんで……」


 混乱する私の後ろで、玄関が開く音がした。

 振り返れば、見知らぬ誰かが帰ってきた。


「ああ。疲れたな」


 ため息交じりで、その誰かは呟いた。


「本気で終わるのかよ、これ」


 ――ああ、そうか。


 相手の顔を見た瞬間、私は分かってしまった。

 ここはもう、私の部屋じゃない。


 この部屋は、


「まぁ、やるしかないよな」


 『俺』の部屋になっていた。

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