第11話 自己紹介をしよう

「名前がない」


 それは誰が言ったのか。


「覚えがないっていうより、名前がない」


 『俺』だった。


「人を刺した。殺した。それより前の記憶がない」


 なんで思い出さなかったのか。


「自分に名前があったのか。それすら覚えてない」


 逃げたい。

 消えたい。

 ここから出たい。


 その一心で、そればかり考えていて、

 ――自分の名前。

 そんな当たり前のことでさえ、すっかり忘れていた。


「『睡眠薬』で、思い出した」


 そして、ようやく思い出した。


「俺には、名乗る名前がない」


 三人共、自分の名前を名乗っていないことを。


「お前らはどうだ?」


 確証はない。

 だけど、確証のない確信があった。


「ない」

「ないよ」


 それはほぼ同時だった。


「『睡眠薬』は覚えてるのに、自分の名前は覚えてない」

「覚えてないっていうより、輪郭があやふや」


 『私』は気持ち悪そうに顔をしかめ、『僕』は深いため息をついた。


「これじゃあ、自己紹介は無理だね」


 今更な話だった。

 言いながら、恨めしげに『睡眠薬』を見た。


「これは覚えてるのに」

「そもそも、なんでこれが『睡眠薬』だって分かったの?」

「それは、あれじゃないか」

「どれよ」

「えっと、そうだな……」


 言いながら、『俺』は苦し紛れに捻り出した。


「家主と知り合い、とか……?」

「知り合い?」

「僕が?」

「私が?」

「あり得ない話じゃないだろ」


 我ながら穴だらけの説明だった。


「家主と知り合いなら、家主がこれを使ってたことぐらい知ってても不思議じゃないだろ」


「言われたら確かにそうかもしれないけど……」

「なら、家主はどこに行ったの?」


 ここには、三人の死体が転がっていた。

 そんな場所にいた筈の『家主』は、一体どこに消えたのか?


「それは……」

「そもそも、ここがどこかも分からないのに……」


 言葉を濁す『俺』と、ぼやく『私』に向かって、『僕』は言った。


「なら、家探ししよう」

「は?」

「家探し?」

「家中探せば、何か出てくるかもしれないし」


 ここがどこなのか。

 『家主』は一体誰なのか。

 ――家主はどこに消えたのか。


 全てじゃなくてもいい。

 なにかしら出てくれば儲けものだ。


「手分けして探してみよう。まずは――」

「いいの? 勝手に探して」


 『私』の言葉に、『僕』は肩をすくめた。


「何かしてた方が楽だし、暇じゃないし、それに……」

「それに?」

「今更でしょ? 冷蔵庫、勝手に開けたんだから」


 至極もっともな意見だった。

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