第9話 『心中』と書いて、

 赤が広がっていく。


 じわり、じわりと床一面に。


 赤を広げていく先を、僕は見た。

 二体の死体があった。


 殴られた箇所がある。

 刺された箇所がある。

 だけど、どれもこれも致命傷には至らない。


 分かっているのは、ただ一つ。


 衝撃を受けすぎてしまったから。

 血を流しすぎてしまったから。


「ああ、これだと二つ分かったことになるのかな……」


 ――いや、あと二つある。


 二体の死体は、『私』と『俺』。

 立っているのは、この『僕』だけだった。


 ――殺し合いである。

 

 理由はない。

 何かしら取ってつけたような理由があった筈だけど、

 忘れてしまった。


 ともかく『僕』と『私』と『俺』は殺し合い、生き残ったのは『僕』だけだった。

 とはいえ、『僕』も全く無傷とは言えず、立っていられるのがやっとの有様だった。


 このままだと、『僕』もいずれ死ぬ。

 ――だけど、それでいいのだ。


「えっと……」


 『僕』は赤に染まった鋏を手に取った。

 得物を手に、僕は自分の首にかざした。


 プツリと音が鳴ったが、大して気にならない。

 ――確かめたいことがある。


 たったそれだけのために。

 『僕』は、自分を殺した。


 その直後だった。


 カチッ。


 あの耳障りな音が、耳に届いた。


「――飽きたな」


 『俺』がポツリと呟いた。


「そうね」


 『私』も同意した。


 ――何事もなかったのように二人は生きていた。

 床一面に広がる赤もない。


 そして、『僕』もまたポツリと呟いた。


「殺し合いって飽きるものなんだね……」


 ため息交じりの言葉だった。


 ――合意の上での殺し合い。

 ある意味、心中に近いのかもしれない。


 この部屋で死ぬのは不可能だ。

 それは三人ともよく理解していた。

 死んでも、また同じ時点に戻ってしまう。


 ――少なくとも、一人きりで死んでしまうのは。


 ならば、複数では?


 一人きりじゃない死に方は、死んだままではいられないのか。

 そんな発想から生まれた、殺し合いだった。


「ある意味、理由にはなるのか……」


「何か言った?」


「ううん、別に」


 結局、死んだままではいられなかった。

 三回試して、三回失敗した。

 立っていられたのは『俺』、『私』、『僕』の順番だった。


 そもそも一回失敗したなら、止めておけばいいのに。

 それ以前に、何故そんな発想に行き着くのか。


「それで、どうする? この後」

「やることなくなったしね……」

「そうだね……」


 狂うのも、死ぬのも、殺し合いも。

 全部、無駄だった。


 なら、他にやることがない。

 やることが――


「あ……」


 不意に思いつく。


「一つやってないことがあったんだった」

「何? やってないことって」

「話し合い」


 『僕等』はまともな会話をしていない。

 思いつきもしなかった。


「そんなの、何の意味があるんだよ」

「だけど、やることがない」


 閉じた部屋で脱出を試みる。

 それはもう、諦めた。


「暇で仕方がない」


 狂うのはおろか、死ぬことさえ許されない状況で。

 叶うのは、会話だけだった。


「だから、話さない? 何か」

「何かってなんだよ」

「なんでも」

「くだらない話でも?」

「なんでも」

「……天気の話でも?」

「なんでも」


「――この状況についても?」


 『僕』と『俺』の視線が一斉に向く。

 向けられた先は、『私』だった。


「いいよ、なんでも」


 この場にいる全員、知りたいのはただ一つ。

 それは分かっている。

 分かっているけど、今だけは――


「その前にくだらない話をしない? ――落ち着くためにもさ」


 普通の会話がしたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る