第29話

 井上香子いのうえたかこ喜久よしひさは父の姿に怯えている。

 今日の昼間にあった飯塚家との話し合いだ。

 リビングに家族で食卓に囲んで団欒だんらん……集まってるものの無言だった。

 父の機嫌がいつも以上に悪い。

 眉間に皺を寄せて、中指をトントンと叩く。

 リビングには梅雨前線ばいうぜんせんがいつまでも抜けないそんな空気だった。

「おい、喜久! 何であんな女と仲良くやってるんだ。お母さんを苦しめた奴の娘と」

 あんな女とは飯塚明珠香いいづかあすかのことだろう。

 喜久は答えない。

「お父さん最初に言ったよな。覚えてるか?」

「そんなの覚えてないよ」

「じゃぁ、もう一度いう。――お前は井上家本家長男として引き取ったんだ。俺はあいつと違ってお前に好き勝手させない。付き合う友人も今までのように自由にとはいかない。本家長男として相応しい友人関係を築け。よく考えて選べ」

 喜久が井上家に引き取られた時、友人関係に関して厳しく言われた。

 本家長男になる以上、それ相応の重責を背負うと共に友人関係に干渉する。井上夫妻のおメガネに叶う人間でなければ容赦ようしゃなく妨害する。縁切りさせる。

 実際、喜久の小学校時代の同級生と縁が切れた。

 井上夫妻によって連絡先を消された。

 そして喜久の両親の思い出の品を極力きょくりょく見えないところに隠すように言われた。

 井上家跡継ぎになるのなら、そのようなものは必要ない。実両親じつりょうしんのことは忘れるようにしなさいと。

 井上邦広・朝子夫妻を「お父さん、お母さん」と呼ぶように言われた。

 墓参りも最低限のみ。仏壇は申し訳程度に小さく喜久の部屋に置かれている程度だ。

 仏壇に両親の遺影(小さめ)が並んでいる。

 喜久はその仏壇に毎朝挨拶するのが日課である。

 ただでさえ中学入学前に両親が交通事故で亡くなって受け入れるのに時間を要するという時に、井上夫妻に引き取られて「実両親のことは忘れろ」と言われ、井上家跡継ぎ教育というものを叩き込まれてた。

 これだと気が滅入っても仕方ない。

 学校や塾の試験で上位に入らないと言われる。

 少しでも成績下がると「井上家跡取りがこんなので情けない」と邦広に言われる。

 中学生で歯医者の跡取りを問答無用で決められている。

 かと言って歯医者に興味あるわけではない。

 今この段階で「将来の夢は?」と聞かれても答えられる自信ない。

 理系は苦手ではないが、井上家だから云々で歯医者目指せということに納得していない。

 そんな辛い日々に、喜久の心の光を差し込んでくれたのは明珠香だった。

 明珠香を支えに学校生活をエンジョイしよう、学業と部活の両立を努力してきた。

 彼女と一緒にいると、話していると晴れる。

 喜久の心の雨に傘をさしてくれるのが明珠香だった。

 従姉いとこである香子は、どこか違う世界の人だと思っている。

 高校生とは思えない大人びた言い方。まるで上品な年配の女性のような。

 仕草もきっちり叩き込まれているのか上品だ

 歩く時だろうが座るだろうが背筋を伸ばしてるし、些細ささいな時も気を抜いていない。指先まで神経質になっている。

 一つ一つの動作が丁寧で物をもつ時は必ず両手で、一定の動作だ。

 香子の通学鞄教科書やワーク以外にはハンカチやティッシュやソーイングセットはもちろん、お懐紙かいしが入っている。筆記用具は万年筆だ。

 同級生の女子や部活の先輩はスマホカバーにプリクラを挟んでいるし、鞄にゲームセンターの景品のぬいぐるみつけているし、筆箱の中はカラーペンだホッチキスだはさみ付箋ふせんだ色々入っている。

 正直言って香子の持ち物は女子高生とは何か違うと思う。どちらかというとおばあちゃま……。

 会話するときも従姉同士なのに、どこかよそよそしいというか、常に敬語でまるで部活の先輩と話している感じがする。

 緊張感を強いられているというか。

 ああいうのを育ちのいいというのだろう。

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