第31話

「引き取ったのはいいが、騒ぎを起こしやがって。井上家の名前に傷をつける気か!」

 邦広が力強く机を叩く。

 その音に香子の心臓が跳ね上がった。

「……そもそも飯塚さんのお母さんとお母さんが同級生であることを知らなかったし、確執かくしつあるなんてもっと知らなかった。そんなこと言われても困るよ」

 子どもたちである喜久や明珠香はもちろん香子には関係のない話なんだから。

「騒ぎを起こすのや自分の意思を強くもっているのは雅典まさのりに似ているな。所詮しょせん下々しもじもの夫婦の家の子だ」

 邦広は嘲笑ちょうしょうした。

 喜久が唇を噛み締めている。

 ここまで邦広と朝子に見下されていると自分の存在を否定されている。

 喜久の両親が亡くなった時、有紗の実家から引き取りたいという申し出があった。しかしそれを一蹴したのが井上邦広・朝子夫妻だった。

『これからは井上家として喜久を育てます。井上歯科院長及び将来の議員として。なに、崎田さきた様はご心配することはありませんよ。育った環境がちがいますし』

 遠まわしに有紗の実家である崎田家に対し「喜久のことを忘れろ」と言っているようなものだった。

 井上邦広・朝子夫妻には男子がおらず、このままだと香子が婿養子むこようしを取る予定であった。しかし、邦広としては長男がいて欲しかったので、喜久を引き取った。

 喜久としてはいきなり自分の意思を完全無視する形で井上家に引き取られたものだ。

 事故で亡くなったとはいえ、相手側の損失によるものだった。

 信号無視した相手の車が青になって歩いていた雅典・有紗夫妻を引いたのである。

 しかもかなりのスピードだった。

 事故後すぐに病院に運ばれたが亡くなった。

 喜久は細かいやりとりについて知らないが、事故の損失の支払いを邦広が払っていたことを最近知った。

 ちなみに運ばれた病院は邦広が勤めているところだった。

 喜久は加害者の名前ぐらいしか知らない。

「お前を引き取った理由は本家長男もあるけど、罪滅ぼしなんだよ。――上野うえのの」

「うえの」と聞いた瞬間喜久の顔に冷たい汗が流れた。

「上野は私の右腕なんだ。俺の大学の同期なんだ。ゆくゆくは俺が経営しているクリニックの副院長になってもらうんだ。そんな未来ある人が加害者なんて可哀想じゃないか。だから、俺が事故の処理を内々うちうちでした。支払いも俺がした。上野にはでいてほしいから。あいつにも家族がいるんだから」

「お前を生かしたのは井上家に長男がいないから。井上家の本家は基本血筋のある長男が継ぐのが決まりだから。でも俺たちの家には娘しかいないから。雅典の子であるお前を本家長男とした。朝子の許嫁は選挙後援会の代表になってもらうから」

「お前の両親がいると邪魔なんだよ。井上家のトップは俺だから。本当はお前も殺したかったけど、親がいない子どもを引き取って育ててるアピールしたかったんだよ。そしたら選挙の時に多少は投票してくれるから」

「俺は昔から、雅典が嫌いだったんだよ。世渡り上手で人気者で。調子乗ってたからさ。事故で死んで清々したよ。あの下々の女も朝子が嫌ってたからな」

「崎田のおばあちゃんに言わないでいたのは、どこで話をされるかわからないからな。あの家はうちと違って下々だから、お金積んどけば、同意してくれたよ。あの女の学費で結構苦労したらしいな。薬学部だっけ? 通うの六年間だし、高いからな、下々の奴が見栄はっていくから……身の程知らずだ」

 次々と出てくる邦広の言葉に喜久は怒りしかなかった。

 一方香子は父の言葉に空いた口がふさがらなかった。

 父のエリート意識や「自分たちは特別だ」という態度が日頃から薄々感じていた。

 香子は目の前にいる家族に対しても侮蔑の言葉を投げつける父に軽蔑するだけだった。

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