第5話

 今から一時間前の話である。

 休みどきのホテルのラウンジには多国籍の宿泊客で賑わっていた。

 赤い絨毯と白を基調としたアンティークの椅子。

 エレガントさを引き出している。

 一番端の窓際に親子二組が向かい合ってラウンジのソファに座っていた。

「では、よろしくお願いします」

 お互い挨拶をする。

「こちらは息子の喜久よしひさです」

 学校の制服を来た喜久が小さく頭を下げる。

 不満げな顔を出さないように堪えるので必死だった。

 なんでいきなり「お見合い」に行かなければならないんだ。

 自分はクラスメイトを家に呼んで遊んでいたはずなのに。

 気づいたら車の中。

 母から「今から制服に着替えなさい」と言われた。

「なんで制服なんだよ! どこに行くつもりなんだ!」と聞いても母は「とにかく着替えなさい」の一点張りだった。

 理由を聞いても教えてくれなかった。

「こちら娘の志津子です」

 母に紹介された志津子は母にならって頭を下げた。

 こちらも学校の制服を着ている。

 胸元に紫色の桜が刺繍された白の半袖ワンピース。黒の細いベルト。そして紺色のリボンを首元に着けている。――紫桜しおう学院の制服だ。

「……まさか、今日のお見合い相手、喜久くんでしたの……!」

 志津子の母の顔が強ばっていた。

 お見合いの話が出たのは、一ヶ月前。

 志津子の母が「そろそろ娘にお見合いをさせようかしら」と香子の母に相談したのがきっかけだった。

 香子の母が「親族にちょうど年齢の近い子がいる」と言って、それ以上詳細を教えなかった。

 確かに喜久は「年齢の近い親族」であるが。

 志津子の母は娘に「今度お見合いがある。ただお見合い相手に関しては先方の意向で伏せている」と説明した。

 しかし志津子も志津子の母も詳細がわからない以上断ろうかと考えたが後戻りできないと思って黙っていた。

 ほとんどが母親同士で話しているだけで、喜久と志津子はずっと無言だった。

 喜久はとにかく家に戻りたかった。

 人を呼んどいて自分が外に出てたら意味がない。

 母親同士同じ学校の出身なのか話が長引きそうだった。

「では、私たちは二階のレストランにいますので、お二人でゆっくりお話なさってね」

 と母たちはレストランに向かった。

 さて、置いてきぼりにされた二人は無言のまま。

 むしろチャンスなのでは。

 このまま母親同士仲良く喋ったままで、その隙に逃げられる……!

「今日のお見合い相手、まさか香子さんの弟さんでしたの……お母様も驚かれた顔していましたわ……」

 志津子は深く息をついた。

「僕もまさか姉の同級生とお見合いするとは聞いてなくて……」

 お互い何がなんだかわからなかった。

「母があなたのお母様にお見合いの相談をしていたみたいでして。すると親族にちょうどいい人がいるというお話になりまして。でも私は、自分の好きな人と恋をして結婚したいのです……」

 志津子の声が徐々に弱々しくなっていく。

「紫桜学院って子どもの頃から許嫁がいるっていう人が少なくないって聞いたんですけど本当ですか? 姉がそうでして」

「うーん、なんともいえないですわ。人それぞれですから」

 

 ――好きな人に恋をして結婚をしたい。

 

 そもそも高校生でやれお見合いだ結婚だと言われてもいまひとつピンと来ない。

 その上今は恋愛結婚が主流だ。

 高校生に親が決めた結婚相手なんて言われても反発したくなるのだと思う。

 現に自分だってそうだ。

 好きな子を家に呼んで「お家デート」をするのに密かに憧れていた。

 実行できたはずだったのに。

 誰が仕組んだかわからないけど一言文句言いたくなる。

「僕、今日お客様を家に呼んで一緒に遊んでいたのですが、いきなりここに連れられて」

「まぁ、それは早くお家に帰らなければなりませんね」

「そのお客様というのが、女子なんです」

 志津子は喜久の「女子」という言葉に反応して「ねぇ、どんな子? おいくつですの? お付き合いなさってるの?」と矢継ぎ早に質問しだした。

「あ、いや、その……」

 脳裏に彼女の顔が浮かぶ。

 ピンクのスカートに白のブラウス。

 セミロングのウェーブがかかった髪型。

 似合っている。

 笑ったときの顔がまた可愛くて。

 喜久の頬が緩んだ。

「彼女のことが気になるのね」

 否定できない。事実だから。

 このお見合いが本気だったら、あの子とは別れなければならない。

 そんなのまっぴらゴメンだ。

 子どもを家同士のつながりのために利用されているみたいで。

 自分たちの意思はどこへ。

 このお見合いで得するのは一体だ誰なんだろうか。

「――では、今から出ましょう。そして家に戻りましょ」

 志津子の提案に思わず「えっ」と情けない声で返した。

「今からタクシーを呼びますので。あと香子さんにも連絡しなければなりませんね」

 志津子はタクシーを呼んだあと、香子に電話をかけた。しかし全然繋がらない。

 電話が無理ならとメッセージを残した。

『今、あなたの弟さんと一緒にいますの。彼から事情を聞きまして、今からそちらに向かいますわ』

「後三十分でタクシーが来るそうです。そして香子さんには連絡いたしましたわ。でも繋がらないみたいで……」

「えっ? 姉なら家にいるはずです」

 お客様にお茶を持ってきてくれたのは姉だったのだから。

 それに今日は外出する予定がないと聞いている。

「まぁ、どういうことでして!?」

 二人はますます訳がわからないままでいた。

「姉はレスポンスが速い方だし、それに今日は出かける用事がないって言っていたので、ますます変ですね」

 喜久は内心苛立ち始めた。

 気になる女の子を家に呼んで「お家デート」を楽しんでいたのに、なぜか姉の同級生とお見合い。

 やっぱり納得いかない。

 何より彼女を置いてきたままにしたことに罪悪感がある。

「さぁ、タクシーが来ましたわ」

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