第4話

香子は喜久の部屋に向かっていた。

 気づいたら香子はダイニングテーブルの上で突っ伏して寝ていた。

 リビングの時計が十五時半を指していたので、急いで弟の部屋に行ってお茶菓子を回収しにきた。

「失礼します」

 といっても部屋から声がなかった。反応がない。

 いつもなら喜久は返事をするのに。

 礼儀に則って喜久の部屋に入ると、明珠香が机に突っ伏しして寝ていた。

 部屋には規則正しい寝息しか聞こえない。

 

 ――部屋に喜久がいなかった。

 お茶菓子はそのまま。

 お客様が机に突っ伏して寝ているだけ。

 このまま起こしていいのかしら。

 緊張で疲れたにしても他所の家で寝るなんて随分育ちの悪い子なんだ。

 音を出さないようにお茶菓子を回収しようと瞬間、お客様が目をこすって起きた。

「……あっ、えっ、わ、私、ここで寝ていたんだろう!?」

 お客様はキョロキョロと部屋を見渡して香子と目が合った。

「あ、あの、申し訳ございません! 人の家で寝ているなんて……!」

 顔から火が出る思いだった。

 寝顔を見られて恥ずかしいのか、それとも自分がした行動に恥じているのか。

 どちらにせよ、恥じているので香子はこれ以上彼女に何か悪く言おうと思わなくなった。

 それにしてもお客様をほっといてどこへ行ったのだろうか。

「……喜久は……どちらにいらっしゃいますの?」

「わかりません。一緒にお茶を飲んでいたんですけど、だんだん眠くなってそしたら今目が覚めて……いないことに気づきました」

 そういえば自分もお茶を飲んだ後に寝てしまった。

「あら、そうですの」

 香子の顔が一瞬歪んだ。

 母が入れたお茶が原因なのか?

 そういえば、母の様子が今日はいつも以上に機嫌がよかったと思う。

 まるでこの世の幸せを手に入れたかのように。

「お茶を下げましたら、一度私から喜久にお電話致しますからお待ちください」

 はいと彼女は小さく頷いた。

 一階の台所にお茶を下げた後、香子は二階の自分の部屋からスマートフォンを取りに行って、喜久の部屋に来た。

 彼女の前で電話することで安心するだろうと考えたから。

 自分のスマートフォンのディスプレイを見ると、志津子からのメッセージが来ていた。

 メッセージを見た香子はすぐに志津子に電話をかけた。

『香子さん、ご機嫌よう。やっとつながったわ!』

 電話越しの志津子はいつもと同じく声が高い。

「こちらのメッセージはどういうことでして?」

『書いているとおりですわ。喜久さまといらっしゃるの。喜久さまから事情お聞きしましたので、今、そちらに向かっていますわ。後、五分程で着きます。ではご機嫌よう』

 と電話が切れた。

「喜久、後五分で戻ってきますわ。それまで一緒にお話しましょ」

「は、はい……」

 とはいえ、何を話したらいいかわからない。

「明珠香さん、でしたわね。いつも弟がお世話になってまして。どうですか、学校では?」

 何保護者のような口調になっているんだろう。

「井上くんは、いつも明るくて、頑張り屋で、部活で勝負してもなかなか勝てなくて。それでも、一緒にいると楽しいんです。いつからか私は井上くんのことを意識するようになりました。なんというか、ついつい彼の方へ視線いってしまうというか……」

 家に帰った後、毎晩ささやかな楽しみにしている。彼と連絡することを。

 メッセージアプリを使って、今度どこかで行こうよとか、学校や親の愚痴などを。

 たわいないやりとりをすることで、何か心が満たされるような気がして。

 胸に幸せの花束を抱えている。

「まだ、想いは伝えてないないのですか?」

「は、はい……」

 明珠香の顔が紅潮した。

 まだ言えていない。

 言いたいけど言えない。

 いつ言おういつ言おうと毎日もどかしさがある。

「あの、井上くんの家はお母様が厳しい方と聞いてまして。私のような人でも受け入れてくれるか心配で」

 と言った瞬間、家の玄関ドアから鍵を開ける音が聞こえた。

「喜久が帰ってきたのかしら、少々お待ちくださいませ」

 香子は玄関に向かった。

「ごきげんよう、香子さん。お連れしましたわ」

 玄関には制服姿の志津子と喜久がいた。

 二人とも少し疲れきったような顔つきだ。

「まぁ、なんで志津子さんと喜久が! 飯塚さん心配されてたのよ!」

「とりあえず、俺の部屋で話するから。飯塚さんにも説明しないといけないし」

 三人は喜久の部屋にすぐに来た。

「い、井上くん、なんで制服なんか着て! それに知らない女性がいるし……井上くん他の女子と遊んでたの!?」

 彼氏彼女の関係でもないのに、隣にいきなり知らない女性と一緒にいたとなると嫉妬したくなる。

「いやいや、ちがうから。こちらの方、姉ちゃんの同級生なんだ」

「ごきげんよう。私、井上香子さんの同級生の羽岡志津子と申します。あなたのことは喜久くんからお聞きしましたわ、よろしくお願い存じます、飯塚明珠香さん」

 香子と明珠香からするとなんで二人が一緒にしかも制服姿でいたのが不思議だった。

「香子さん、私のお見合いの件はご存知ですよね?」

「ええ」

「――そのお見合い相手、あなたの弟さんだったの」

 志津子の話に隣で喜久が強く頷く。

「えっ、井上くんがお見合い!? お、お見合いって?」

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