第41話
「喜久くん、香子ちゃん。今日は朝早くから来て疲れただろう。一緒にお茶飲もう。じーちゃんこだわりのお茶があるんだ。飲んでみてよ!」
早く来てといわんばかりに、喜久と香子は源三についていく。
リビングでつゆ子がダイニングテーブルでテレビを見ながらお茶を啜っていた。
テレビには朝の情報番組で芸能人のコーナーが始まっている。
「あら、荷解き終わったのかしら? 一緒にお茶飲みましょ。このお茶、おばあちゃんの知り合いから頂いたもので、美味しいのよ」
二人はつゆ子に促され椅子に座る。
「この人私最近ハマってるのよー。きゃー可愛い」
乙女のようなはしゃぎぶりのつゆ子。
画面にはアイドルグループのメンバーの女の子が今度放送するドラマの宣伝をしている。
髪を一つにまとめてねずみ色のパンツスーツを着ている。ドラマの衣装だろう。
この女の子はクールな刑事役で未解決事件を次々と解決していくという設定。
「あっ、ヤマザクラのえーりんじゃん。可愛いよなぁ」
「でしょ! でしょ! 去年の総選挙では二位だったから、次はセンターをとって欲しいわー」
「えーりんって、この方の愛称ですの?」
「うん。
「……うーん、存じ上げませんわ……なんで喜久はご存知ですの?」
「クラスでファンの子がいるんだ。えーりんについて語ったら止まんないだよな、あいつ。……たかねえこういうの疎いんだよな? これからどんどん知っていったら楽しいよ」
「そうかしら……でもあちらの女の子可愛いですわ」
香子は真剣に観る。食い入るように観る。
「そうでしょ? えーりん、去年の総選挙は二位だったから今年はセンターをとって欲しいわー」
それからつゆ子による「えーりんの良さ」を孫たちに語る。
「ここでは自由にテレビみていいよー。おとうさんおかあさんがいるとなかなかゆっくりみれないでしょう」
台所で源三がせっせとお茶を入れている。手馴れた様子だ。
「はいはいー、おじいちゃんが入れたお茶よー。……おかあさんは、えーりん好きだもんな。じーちゃんも好きだ。それよりさぁ、お茶のんでのんでー」
喜久と香子は一口つけた。
「まぁ、美味しゅうございますわー!」
「うわぁっ、ちょっと熱い……でも美味しい!」
「さすが、俺が入れたお茶は違うぜ!」
とドヤ顔で満足気な源三。
「まぁ、おじいちゃまったら」
小さく笑う香子。
「たかねえが笑ったとこ久しぶりに見たかも……」
ボソッと呟いた喜久は「そうかしら?」と香子に突っ込まれる。
香子は常に冷静で愛想よくいるように両親から言われてきた。
歯をみせて笑うのはみっともないと。
せめて口元を隠して笑うようにと。
香子が人前で笑うのは家の外だった。
学校で親友やクラスメイトと談笑しているときだ。
家にいるときは常に緊張感を持つように強いられていたから。
冗談を言い合うことなんてなかったから。
夕飯時に家族揃って食事するが内容が事務的なものである。
会話があっても、政治・経済の話や美術の話や歴史の話など、教養を求められる内容ばかりだった。
学校の話をしても成績や勉強について聞かれるだけで、試験の成績や順位が一位でなければ両親から怒られるだけだった。
友達の話をしても、親の職業や学歴を聞かれる。親だけでなく、兄弟・姉妹もだ。相手の家が政治的なつながりがあればその子と仲良くしなさいと言われる。絶対縁を切るなと。
おメガネに叶えば、家に呼ぶように言われる。ひどいときはその両親も呼ぶように言われる。
――友達はお父様とお母様のつながりのためのものではないですわ!
娘の友人関係を利用してまでも自分の利益に結びつけようとする両親にうんざりしていた。
香子としては家族でも普通に冗談を言い合って、たわいない話をしたいと思っていた。
喜久と話すときぐらいだろうか。冗談を言い合うのは。
「そういえば、そうかもしれない。香子ちゃんは大人たちに囲まれてたからなぁ。思い切って笑う機会がなかったのかもな……もっと邦広に言えば良かった……」
源三がため息をつく。
「お父様に言っても無駄ですわ」
香子が苦笑しながら返す。
いや実際そうだ。
思い切って笑おうものなら「行儀が悪い」だ「はしたない」と言われる。
もっと言うと両親に怒られて泣くと「涙を見せるんじゃない、見苦しい」と追い詰める。
そのため香子は常に冷静で感情を抑え込む癖がついた。
人前で自分をさらけ出す習慣がないのである。
せいぜい本心をさらけ出すのは喜久か志津子の前である。
それに対し、喜久は納得いかなかったらすぐ言い返す。怒るとこは怒るし泣くときは泣く。ただ泣くときは人前ではなく部屋でこっそりだが。
――自分を出せる喜久や志津子さんが羨ましい。
でも、もう自分を抑え込む必要がなくなるかもしれない。
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