第19話


「――法的な措置も示談金も避けて頂けないでしょうか……すべてなかったことに」

 話し合い早々、朝子あさこの夫、井上邦広くにひろが土下座をする勢いで床に頭をこすりつけた。

 横から「あなた、何こんな人に頭さげてますの?」と朝子が口出しをする。

「避けて欲しいですって? お宅の奥様が何をなさったかご理解されてますか!」

明珠香あすかをはじめお宅のこどもたちを巻き込んでまで、そのうえ、睡眠導入剤飲まして娘を小屋に閉じ込めたんですよ! それでなにを許せと」

 秀清しゅうせいが顔を真っ赤になっているのに対し、邦広は「まぁまぁ……」とどこか他人事。


「今度市議会議員に立候補する予定ですので、醜聞がでますと私の出馬に影響が出ますので……それに、お宅の奥様もテレビに出られている方なので、今後の活動に影響が出るのではないでしょうか……」

 邦広は帳消しにする気満々だった。

 これで表沙汰になったら、選挙の出馬に影響がでるのは確実。

 週刊誌に書かれたら一発でアウトだ。

「ほう、妻はネットで事実無根のことを書かれて追い打ち書けるように娘がおたくの奥様によって小屋にとじこめられるというのに……それでも選挙出馬や周りからの評判のことしか考えない……さすが地域の権力者は言うことが違いますね」

 井上家は明治時代からこの地域で続く歯医者。近隣への顔も効くのと、邦広の父の祖父の代からは市議会議員になっている。

 今回のようなことが表沙汰になると、評判がガタ落ちするのは確実。

「頼みますから、この件はなかったことにしてください。子どもたちにも影響しますので。妻の朝子にたいしては、それ相応の措置をとりますので!」

 ひたすら一方的な要求しかしてこない邦広に、飯塚夫妻は言葉が出なかった。

 飯塚夫妻も子どもたちに影響でることを避けたいと考えている。

 

 この件が表沙汰になったら、子どもたちがいじめられるかもしれない。


「――飯塚光咲いいづかみさきが早く浄土じょうどの世界にってくれたらよかったのに。こんなことにはならなかったのにねぇ」

 朝子の口角がつり上がった。

 光咲は朝子の姿を見て背筋が凍った。


「朝子さん、今なんておっしゃいました?」

 すかさず光咲は聞き返す。

「えっ? 『飯塚光咲が早く浄土の世界に逝ってくれたらよかったのに』と。あらぁ、お耳が遠くなったのかしら? いい補聴器屋ご紹介しましょうか?」

「そうだな。そもそも飯塚光咲の存在が腹立たしい。だいたいあなたのお母様は妻の父と不適切な関係になったんでしょう。それであなた嫌がらせされるのも仕方ないのでは? 最近人気が出てるし調子に乗っているからブログで誹謗中傷されるの避けられないのでは」

 邦広は続けた。

「うちの喜久よしひさは井上家の跡取りです。この家は明治時代から続く由緒正しいエリートの家系なんです。だからそれ相応の相手として、妻は羽岡はねおかさんとこのお嬢様を喜久のお見合い相手にして将来結婚させようと考えたのでしょう。私も賛成です。妻の平穏のため――井上家のためにもあなたが浄土の世界に逝って、ついでにお嬢様を転校させた方がよろしいのではないのでしょうか。だからこの件はこれでおしまいに……上級国民じょうきゅうこくみんである井上家が下々のあなたたちのために時間割いてこの場を設けたんだから礼を言って欲しいもんだよ」

 邦広の言い草が吐き捨てるようだった。

 

 光咲は肩を震わせてうつむいていた。

 涙を堪えるのに必死だった。

 井上夫妻のあんまりな言い方に光咲は言い返せなかった。


「……喜久くんと香子さんを呼んでくださいますか?」

「はぁー、要求が多いですねー。嫌です」

「では誹謗中傷の件と今回の件で法的措置をとらせて……」

「あー、わかりましたよ! ったく! なんでこんな下々の奴らに……」

 邦広がぶつくさ言いながら二人を呼び出した。

「お前たちは関係ないよな?」

 二人に対して圧力をかける邦広。

「……この度は誠に申し訳ございませんでした!」

 喜久よしひさ香子たかこ飯塚いいづか夫妻に頭を下げた。

「私は睡眠導入剤が入ってたお茶を明珠香さんにお出ししたのと小屋に閉じ込めたのは本当です。母の指示のもとです。この度はお嬢様をこのようなことに巻き込んで申し訳ございません。ただお見合いの件は本当に存じ上げませんでした」

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