第3話 標的
エルフの国『フォルテル』は、強力な魔物が数多く住み着く『迷いの森』の中心から少し東に位置する場所にある。この森の全容は、君たちのよく知るトランプのダイヤのマークを横に倒したものを想像すればいい。
『迷いの森』はこの世界の中でも有数の危険地帯だ。この森が『迷いの森』という名前が付いたのも、この森に入った者のほとんどが帰ってこなかったという話が
ただ、この話を「帰ってこなかったのは森の中で死んだからだ」と捉える者も多く、そのことから『死の森』という別称で呼び始める者も現れ始める。そしてそれは、おおむね正しかった。
『迷いの森』の西側は他の場所と比べて少し特殊だ。というのも、『迷いの森』の西側のエリアには毒が
しかし、この森に何故こんなにも強力な魔物が生息しているのか、というのは未だに解明されてはいない。それはこの森には様々な伝説や謎が眠るからとされているが……彼らがそれを知る日も、遠くないのかもしれない。
▼
目の前で、おねーさんたちが倒れていく。エリーザさんが驚いたような表情でこちらを振り向き、でもその直後には顔を
「何を……し…た………………」
絞りだしたような声を出したかと思えば、エリーザさんは目を閉じてしまった。それを目の当たりにした僕は思う。
(えっ……何、コレ…)
正直、すごく困惑している。本当の本当に何が起きたのだろうか。エリーザさんだけじゃない。ずっと後ろにいたキュリアさんも、少し…いや凄くしつこかったトロアさんも、苦しそうな表情をして倒れている。
「え、えと……どう、しよう…!」
とりあえず、原因を考えてみよう。なぜエリーザさんたちが突然、具合を悪くしてしまったのかが分かれば、どう手当すればいいのかも分かるはずだから。
それにしても、どうしてエリーザさんは僕にあんなことを言ったのだろう。
―――何を……し…た………………
まるで、自分の具合が悪くなった原因が僕にある、というような言い方だ。いや、もしかして…
(エリーザさんは、僕が何かしたと思ったから…そう言った、のかな…)
となれば、次の問題はなぜエリーザさんは僕が原因だと思ったのか、だ。確か、エリーザさんはフォルテルの騎士で任務中と言っていた。てことは、どの程度かは分からないけど凄い人なんだろう。きっと。そんな凄い人が僕を疑ったことには、何かしら理由があるハズだ。
でも…
(どうしよう……全然、わからない…!)
とにかく、どうにかしなきゃ。原因が分からないのに下手に手を出すとさらに大変なことになると、僕は知っている。
なら、原因が分からなくても大丈夫な代物。つまりは万能薬を使えばいい。僕が作った、あの万能薬を…!
「みんな、
僕の足では時間がかかるから、友達の力を借りることにしたはいいけれど。エリーザさんの表情は、ますます悪くなるばかりだ。本当に間に合ってくれるのだろうか。
と、そこで僕は気づいた。
「………あれ…?」
▼
オレは今、隠れている。
標的に見つからないように隠れている。
あの三人に見つからないように隠れている。
(……よし、今頃はもう倒れている頃だろう)
オレがあの一帯に撒いた毒は、10分もあれば耐性の無い者は死んでしまう程の威力がある。今回のような暗殺には、もってこいな代物だ。トロアとかいう馬鹿が、非常用アイテムをオシャカにしてくれたのも幸運だった。
今回のオレの仕事は、フォルテルの特殊部隊『リーフ』のメンバーの殺害だ。オレの能力は暗殺に向いているからという理由で、問答無用で
だが、少し気がかりなことがある。木の陰から顔を少し出して、遠くにいる標的を確認する。どうやら標的の三人は倒れているようだ。それを見てオレは安心しかけ再び木の陰に隠れるが、同時に見えたものがオレの不安を
(あのガキ……なんで平然としていられるんだ)
あの辺にはオレの毒が蔓延しているというのに、平然と立っているヤツがいることが信じられない。しかも、あんなガキがだ。
(何者なんだ……あんなガキ、依頼書には書いてなかったぞ)
まさか、『リーフ』の新メンバーだろうか。だとすると、オレの仕事は一気に難易度が上がるが……まあ、それは無いだろう。ガキの服装はボロボロで、とても国王直属の『リーフ』の騎士のする格好とは思えない。
それはそれでガキの正体がかなり気になるし、かなり不安にはなるが……問題はないだろう。ガキ一人ではこの状況を、どうすることもできないはずだ。無論どうにかする方法がないわけではないが、あの三人が倒れた原因も分からないガキには何もできない。まさか、残り少ない時間でそれに辿り着くことは出来やしないはずだ。
とはいえ、不穏因子がいる以上、確認しないわけにもいかない。そう思い、オレはまた気の陰から顔を出した瞬間。
オレは、心が震えた。
(ガキが……いないッ!?)
いつの間にか、ガキがいなくなっている。
(一体どうして……ガキは何処に行っ――)
そして次には、心が
「みつ、けた…」
「――ッッッ!!!」
振り向くと、ガキが、そこに、いた。
なぜ?
いつ?
どうして!?
いや、それ以前に……どうやって分かったッ!?
隠れている誰かに毒の攻撃をされているという事実に、ガキ――いや、コイツはなぜ気付いたッ!?
「君…だよ、ね…。毒を、まいたのって…」
「………」
落ち着け、落ち着け、落ち着けッ!
まずは落ち着くことだ。自分の置かれている状況、そしてコイツがどこまで感づいているのかを、よく落ち着いて考えろ!
どうやってかは分からないが…とにかく、コイツにはバレている。このオレが毒の攻撃をしている張本人だと、コイツには完璧にバレている!
「お、驚いたぜ……どうやって分かった? てか、オマエは誰だ?」
「時間、ないから…あとで、答える…」
そう言うと、コイツの口調からは想像もつかない動きでオレに向かってきた。その片手には、恐らくオレの後ろに来る時の過程で拾ったのだろう、太めの木の枝が握られている。
しかし、オレはその攻撃を危なげなく避ける。
「っと。悪いが、その程度じゃ当たらねえよ。てかオマエ、あのヒューマンだろ?」
「そう、だけど…。…っ!?」
突然、コイツの体がぐらりと揺れ、唯一の武器である木の枝を放り投げて膝と手をつく。どうやら、うまくいったようだ。
「気持ちが悪いか? 毒には耐性があっても、これはどうにもならないだろう?」
「…………う…!」
「ヒューマンには魔力がない! そんなヤツが純度の高い魔力を大量に吸い込んだら、一体どうなっちまうんだろうなあ~?」
コイツがヒューマンであることは一目でわかる。だからオレは回避する前に能力を切って、ありったけの魔力をその場に残しておいたのだ。それを魔力を持たないヒューマンがそれを吸い込めば、あっという間にキャパオーバー。所謂、魔力酔いの状態になる。
これは、どんな種族においても有効であり、相手がヒューマンだから、さらに簡単に酔ってくれると踏んでいたが……まさかここまで上手くいくはな。
「悪いがオマエには死んでもらおう。オレは顔を覚えられると、後々の仕事に響くからな」
「う……ぐ…!」
「じゃあな、オマエはよくやった方だぜ。さすがのオレも、ヒヤッとした―――」
その時だった。
オレの視界に何かがとんてもないスピードで入り込んできた。
そして、その何かは、オレの腹を打ち抜いた。
オレは吹っ飛び、木に打ち付けられる。
突然の出来事の中、たったひとつだけの事をオレは認識した。
「どう……して………オマ、エも……」
エリーザ=セルシアが、オレを蹴り飛ばしたのだと。
その信じられない事実を認識して、オレの意識は暗闇に墜ちてしまった。
▼
「君、大丈夫か!?」
私は、慌てて少年の元へ駆け寄った。少年は両手両膝を地面についたまま、苦しそうにしている。「ううう…」とかすかに呻き声も聞こえる。どうやら、なんとかして立ち上がろうとしているようだ。
「無理をするな! 魔力酔いは時間が経てば
「……う、ん…」
少年が力を抜いて、仰向けに寝転ぶ。
と同時に、私と同じように毒から回復したキュリアがやってきた。
「隊長…」
「ああ、キュリア。大丈夫か?」
「はい、おかげ様で……ガネッシュはまだ治療中のようです」
「そうか」
さて、少年が回復しているうちに襲撃者の男の素性を整理をしておこう。
木に叩きつけた男の見た目の特徴は非常にわかりやすい。男の頭には真っ黒な
これらの情報から、導き出せる男の正体は……
「デーモンか…」
「の、様ですね。」
デーモン……それは、エルフやヒューマンのような有名な種族の一つだ。デーモンの特殊な能力はあまり知られてはいないが、他の種族と比較すると割とスタンダードな種族として知られている。
「しかし、なぜここにデーモンが? デーモンのいる国はここからかなり遠くにあるハズじゃ……」
「……わからない」
「ん、んん…」
「おい君、あまり無茶をするな」
「ん…だい、じょーぶ…」
少年がゆっくりと起き上がる。まだ呼吸が荒く、全快とまではいかないようだが安定してきているようだ。
それを確認すると、キュリアが即座に少年に詰め寄った。
「おい、確かシュウとか言ったな。説明してもらおうか、全部」
「キュリア、あまり高圧的に接するな」
「ううん、だいじょー、ぶ…。この子たち、のおかげ…」
少年はキュリアの態度に怯むことなく説明してくれる。そして少年の右肩に、一部の蟲たちが集まる。
「この子たちに、その……薬をお願いした時…少し、少なかった、んだ…」
「……なるほど、毒への耐性か」
そういえば、この少年は言っていた。
―――住んでるのは、西…? 側かな…
迷いの森の西側は毒の瘴気で充満している。この少年はそこに住んでいるということは、その毒に対する耐性を持っていると考えていい。当然、元からそこに住み着いていた蟲たちはなおさらだ。そして、それ以外の蟲たちは優秀な危機察知能力で早々に逃げ出すはず。
その結果、少年の周りにいた蟲たちの数は激減する。
「それで君は気づいたんだな。この森の毒の瘴気が撒かれてると」
「うん…」
「そして、それが自然発生したとは思えない……となれば、何者かによって攻撃されているとしか考えられなかったという訳か。だがどうやって場所を割り出した?」
「それ、は…この子、たち…」
今度は少年の左肩に先ほどとは比較にならない蟲たちが集まる。恐らく、毒の瘴気に対して耐性の無い蟲たちだろう。それを見て、さすがに私たちは察する。
「なるほど、探させたのか」
「ぴん、ぽーん…」
「そして君は私たちに解毒に有効な蟲に噛ませつつ、私が駆けつけるまで時間稼ぎして、敵の場所で大げさに暴れることで私に敵の場所を知らせた、ということか」
「えっと、その……う、ん…。うん…」
なんだか歯切れの悪そうな様子の少年。ふいっ、と顔を逸らしてしまった。
「…なんだ? どうした?」
「え、と…少し、違う、かな…?」
「違うって……なにがだ?」
なんだがとても言いにくそうにしている少年。
その態度を見て堪えきれなかったのか、キュリアがほぼほぼ脅迫みたいな声で「答えろ」と言う。高圧的になるなと言ったのに……。
それに対して少年は、絞り出すような、恥ずかしそうな声でぼそりと言った。
「倒す…つもり、だった…」
……えっと、その……あー……。
つまりは、少年は自分だけで敵を倒すつもりであり。私たちを治療していたのは、私を呼ぶつもりではなく、ただ単に治すためであり。
要するに、少年の結果は失敗してたことになる。
「攻撃力…やっぱり、足りない…」
落ち込んでいる少年を中心に、気まずい空気が流れる。
「うっひゃぁ~~~~~!!??」
恐らく目覚めた時に体に張り付く治療中の蟲たちに仰天したであろう、
▼
「はあ……ようやく終わったッス~!」
トロアが大きく伸びをする。まあ、こいつがそう思ってもおかしくはない。ただの調査任務だと思えば、謎の少年との遭遇からの謎の男からの襲撃だ。トロアじゃなくても、さすがの私も疲れてしまった。
私たちが今いる場所は、フォルテルの中にある『リーフ』に当てられている専用部屋の一つだ。任務を終えた私たちは、門番に襲撃してきたデーモンの男を任せ、この拠点に返ってきた。
だがその際、少年の事を知られてはならない。じゃあどうやって、それを切り抜けたのかというと――
「ほら、もう出てきても大丈夫だぞ。気をつけてな」
「うん…」
「シュウ君、あんまり重くないんスね~…」
非常用アイテムが入っていた荷物袋から少年が顔を出す。幸か不幸かトロアが非常用アイテムを全滅させていたから、それらを全て捨てて、代わりに少年を荷物袋に入れたという訳だ。もともと荷物袋の中にはそれなりの量の非常用アイテムが入っていたわけだし、袋が膨らんでいたとしても、まずバレることは無い。
ちなみに、少年入り荷物袋は色々な理由からトロアに持たせた。
「ここ、は…?」
「『リーフ』の本部だ。一応、『ブランチ』なんて部屋名はついているが、まあ私たちにとっては、本部といえばここだ」
「広い、ね…」
「『リーフ』はそれなりに権力あるッスからね~。むしろ、このくらいが普通ってイターッ!?」
「阿保、余計なことを言わんでいい!」
「キュリアさん……もうちょっと優しくしてほしいッス……」
しくしくとトロアが涙を流すが、ここに構うものは居ない。少年は少年でキョトンとしていた。さて、この次にすべきことの方が、実は大変だったりする。
我々『リーフ』は国王直属の部隊であるがために、任務の報告が他の部隊とは異なり、国王に直接報告しに行かなければならない。その道中も、誰かに少年を見られるのを避けなければならないのだ。国王の部屋に入った後であれば何も問題はなくなるだろうが、道中はそれ相応に危険だ。
本部と国王の部屋まではそれなりに距離があるため、どうやって少年を連れていくかだが……あ、いや、考えてみれば、少年を連れていく必要、無かったか。
「君、ここで大人しく待っていてくれないか。私たちは任務の報告しに行くから、その間ここに居て欲しいのだが」
「うん、わかった…」
「ちょ、ちょっと待ってください! このヒューマンを一人でここに残しておくつもりですか!?」
さすがに、まだ少年の事を信用していないキュリアがもっともな意見を言う。その直後に、トロアがここぞとばかりに手を挙げた。
「あ、なら俺がここに残るッスよ! それなら問題ないッスよね?」
「いや貴様がいるとなおさら不安だ」
「えぇっ!?」
結局、本部には少年とキュリアが残ることとなり、私とトロアが国王に報告に行くことになった。終始トロアはぶーたれていたが、例の
「それじゃあ、私たちはいくから。キュリア、頼んだぞ」
「お任せください、隊長」
「いって、らっしゃ~い…」
そうして私はゴネるトロアを引きずりながら国王の元へと足を進めた。
この時、私はもう今日は厄介なことは起きないと思っていたが……奇妙というか、厄介ごとは連続するものであるようで。
今日という日は、まだまだ私たちを休ませてくれそうになかったのだった。
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