第12話 一時の別れ、そして

 朝食が終わり、現在時刻は9時を回った頃。そろそろ時間だろう、私たちは少年をフォルテルの中から出す段階に進むことにした。

 といっても、方法は少年をフォルテル内に運び込んだ時と方法は同じだ。荷物袋の中に少年を入れ、トロアが運ぶ。これだけである。


「よし、じゃあ少年。三度もすまないが、この荷物袋に入ってくれ。私たちが任務というていで外へ君を持ち出す」

「おっ、けー…」


 リノア様が私に与えた任務はフォルテルの外、つまりは迷いの森で行うものだ。他の者に余計な言い訳も考える必要はなく、さらに任務だから『リーフ』以外の者は近くにいないため、少年を解放したとしても誰にもバレることはない。

 割と完璧な作戦だ。私たちはついに、この少年の存在を余計に広めることを阻止することに成功したのだ。初めはどうなることやらと心配していたが、なんとかなったな。


 やがて、少年が荷物袋に完全に入った。今気づいたことだが、中にいる少年も何かしらの工夫をしてくれている様で、外から見ても中に人がいるとはわからないように体勢を作っているらしい。

 少年も自分の立場が分かっているようだし、少年からすればそうするのは当然かもしれないが……なんだか、若干申し訳ない気持ちになるな。


「持ち上げるッスよー、準備はいいッスか?」

「うー……ん、オッケー…」

「よっこいせっと。うーん、日頃ちゃんと食べないとだめッスよ?」

「だいじょー、ぶ…」

「むむむ………」


 小柄だということもあるが、それにしても軽いとトロアが唸る。少年が住んでいるという迷いの森の西側は、毒の瘴気しょうきが充満しているという、世界的にも危険地域とされている迷いの森の中でも屈指の超危険エリアだ。


 だが、この毒の瘴気は生物の肉体だけではなく、植物などにも当然ながら多大な影響を与えるはずだ。そんな場所で育った木の実やキノコ、さらに言えばそこで生まれた生物にも毒性はあるだろう。

 そんな中ヒューマンが食べる事ができるものなんて、限られている……というか、存在しない可能性の方が高い。


 少年の体重が軽いのはそういうわけだろう。なんで西側なんかに住み込んじゃったのだろうか。ヒューマンであるという身分上、仕方なかったのかもしれないが……それにしたって、他にもっとあるだろうに。


「まあ……大丈夫っていうなら、そうなんだろう。さあ、迷いの森に出よう」

「そうですね。時間に遅れて変に疑われても良くないですし」

「前から思ってたッスけど、ちょいと用心しすぎじゃないッスかねえ…?」

「まあ、事が事だからな。ヒューマン関係なんて、何がどうなるかわからない。前例がないからな」


 少年を外部の目に晒さぬようにしたのは、何が起こるか分からないのが理由だ。誰か一人にバレた瞬間に、その話が一体どこまで伝わり広まるのか想像もつかない。現にヒューマンに関する不確かすぎる情報でさえ、フォルテルでは極秘資料として扱われている。

 今、私たちの手元にあるのはホンモノのヒューマン。それに、そのヒューマンから直接聞き出した情報だ。こんな事は滅多に、どころか絶対にない事だ。何をどう悪用されるのかすら、まったくわからない。


「ほへー。やっぱ色々考えてるんスねぇ、エリーザさんは」

「お前が何も考えていないだけだ。朝食の時は見事だったけどな」

罵倒ばとうと賞賛を同時にしないでくださいッス……どんな顔すればいいのか分かんなくなるッスから…」


 時間を見ると、本格的に時間がないようだ。キュリアも言ったように、いつもはしない遅刻をやらかして変に思われても困ってしまう。さっさと出発するとしよう。


「それじゃあ出るぞ。ここからはヒューマンに関する会話は一切禁止だ。そのくらい、わかってるな?」

「大丈夫です」

「え、あ、はいッス」

「……ガネッシュ?」


 ギロリと睨みつけるキュリアに、そっぽを向き下手くそな口笛を吹くトロア。まったく、本当にこいつは…

 しかし、トロアのことを逐一ちくいち注意している時間はない。私たちはさっさと迷いの森とフォルテルを繋ぐ、正門に向かうことにした。



   ▼



 正門へ向かうまでの間は、特に何事もないどころか誰ともすれ違うことなく正門に到着した。そんなこと、普段はあまりない事なのだが……リノア様が何らかの手回しをしてくれたのだろうか。何にしても幸運だった。


 実はこの正門のセキュリティは、出る時には何も手続きは必要なかったりする。事前に申請をしておいて、それが通れば申請した時刻に出るだけだ。これは私たちのように、フォルテル外での任務を円滑にするために組まれたシステムだという。

 それもまた幸運で、少年の存在どころか荷物袋すら誰にも見られることなく迷いの森に出ることができた。なんとも都合がいい。


 そして正門から迷いの森に出た私たちは、そのまましばらく進み、フォルテルからこちらを絶対に見ることができない距離まで進んだ頃。


「……そろそろ、いいッスかね?」


 トロアが静かに訪ねてくる。囁くようにではないが、私とキュリアにだけ聞こえるような、か細い声だ。


「……キュリア」

「はい」


 キュリアは昨日のように風の結界を私たちの周りだけに創る。そして今度はその結界を広げるように拡散させた。もし近くに不審人物がいれば、キュリアがすぐに気づく。

 しばらくして、キュリアはゆっくりと目を開いた。


「50メートル以内に不審な人物や物はありませんでした」

「そうか……なら、いいだろう。少年、大丈夫か?」

「ん…だいじょー、ぶ…」


 荷物袋から返事が聞こえる。私が呼びかけたことで、自由にしていいと察したのか、もぞもぞと袋の中で動いている。狭い袋の中でずっと同じ体勢なのは、さすがに辛かったらしい。


「よし、少年を出すぞ。ゆっくりと降ろせよ」

「わかってるッスよ」


 トロアは少年に衝撃を与えないように、そろりそろりと荷物袋を降ろしていく。やがて荷物袋は地面に置かれ、もぞもぞと少年が動く。そして口の部分が内側から開かれ、昨日のように少年が「ぷはっ」と顔をひょっこり出した。


「んー……」


 少年は腕を天高く伸ばし、身体中の筋肉をほぐす。なんだかんだ30分はじっとしていたせいか、少年の身体中からパキポキと音がなっていた。


「大丈夫ッスか? シュウ君」

「うん、へー、き…」

「他にいい方法があればよかったんだがな」

「んー…」


 少年は、右手の親指と人差し指で輪を作る。そして、それを口に当て…


『ピイイィィィィ……………』


 甲高い音が、迷いの森に響く。直後、私たちが目にしたのはうごめく黒い塊だった。それは、様々な形に変形しながら風に乗るようにこちらにやってくる。

 流石に、私はもう大丈夫だ。きっとあれは、少年のなのだろう。少年は両手を広げて、ハグをするモーションをする。


「ただいまー…みん、な…ッ!?」


 ただ、量が多すぎる。普通の人が見たら異常事態と判断し、逃走するか戦闘態勢を作るであろうほどの蟲たちが押し寄せていた。少年の反応からするに、やっぱり多すぎるらしい。

 トロアも「うわ…!?」と言いながら若干距離を取っている。私も思わずたじろいでしまうほどだ。


「ちょ…! 待っ…」


 そして少年は飲み込まれる。大量すぎる蟲たちの渦に消えていく少年は、まさしくこれから死にゆく被害者そのものだった。

 勿論蟲たちはじゃれついているだけだからそんなことは無いのだが。だがもしあれがトロアだったなら、きっと叫び声すら上げられずに死にゆくのだろう。


「ちょっとまっ、みん……な…興奮、しす…ムグッ…!?」


 ひょっとすると、蟲たちは久しぶりに少年に会えた事が嬉しいのかもしれない。3年もずっと一緒だったのだろうから、1日会えなくて寂しがっていたとか、そんな感じなのかもしれない。

 これを見ると、確かに。少年と蟲たちの間には確かな友情みたいなものがあるようだ。多すぎるのも、それが原因だろうか。

 そう思って改めて見てみると………それほど見辛くも……ない…だろう、か?


 しばらく経って、蟲たちが落ち着きを取り乱した頃。心なしか満足そうな蟲たちと、その中心でもみくちゃにされた少年がぐったりと倒れている、そんなある意味で事件な光景が誕生してしまった。

 こういうのを……カオス、とでもいうのだろうか。この状況に私が全く慣れていないせいもあるのか、ものすごく声をかけ辛い。


「あー……大丈夫か?」

「…」


 キュリアの呼びかけに、少年は目線を向ける。反応はしているようだが、疲労困憊ひろうこんぱいで返事ができるわけではないようだ。いや、少年の目は「だめ、かも…」と雄弁に語っているから、返事はしているのかも。

 しばらくして少年がのっそりと起き上がる。それに合わせて蟲たちもワサワサ動き、少年のそばを離れない。一体どう接すれば、こんなにも蟲たちはなついてくれるのだろうか。これも少年の温和な性格ゆえか…


「えーと……それ、じゃあ…」


 少年は、立ち上がり気まずそうに言う。今日、解放されていなきゃ困るといったのは少年の方だというのに。

 まあ、気持ちは私も同じだ。何せ、少年と過ごした時間は少なかったが濃厚すぎたのだから。このまま、ハイサヨナラとすっぱり言えるような関係ではなくなってしまった。


、ね…?」

「………ああ。

「また会いに来てくれてもいいッスよ〜?」


 だが、このままずっと立ち止まる少年でもない。少年はにっこり笑って、森の奥へと歩き出した。私たちは、少年の背が見えなくなるまで見送る。

 これは、一時の別れだ。何も悲しむことはない。


「……見えなくなりましたね」

「ああ、そろそろ私たちも動くとしよう」

「そういえば、任務があったからこの作戦使えたんスよね? 一体なんの任務ッスか?」


 荷物袋作戦が使えたのは、リノア様が手配してくれた任務のおかげ。その内容は、いわゆる極秘任務なので周囲にその内容がバレることはない。本当にリノア様には感謝をしなければならないな。


 ……ただ、それだけで終わらないのがリノア様だ。この雰囲気の中で、リノア様からの肝心かんじんかなめの迷いの森での任務内容を伝えるのは、さすがに辛いものがあるが………任務は任務なのだから仕方がないだろう。私はいつも通りそう思い込むことにして、2人に任務内容を伝える。


「これからの任務の内容は…『シュウ=エクリアを尾行し、待ち合わせの相手を特定せよ』、だ」

「そうッスよねー…」


 さっきのの別れは、いわばこの任務が始まる合図だ。というか、リノア様に限らずとも大抵の人は一度掴んだヒューマンという希少種をあっさり手放すわけがないことは、私はもちろんトロアやキュリアも察していている。


「でも、もう見えなくなってしまいましたし……どうやって尾行するのですか?」

「あ、まさかわざと任務失敗するようにしたとかッスか?」

「アホか。任務は任務だ、そんなことするわけないだろう」

「じゃあ、どうやって尾行を?」


 私は草むらの方を指をさした。その部分は、わずかだが少年が踏みしめた草の跡がちゃんと残っている。しばらく経ってしまえば風やら魔獣やらの影響ですぐに消えてしまうが、今この瞬間だけは有効だ。


「あー……古典的ッスね」

「だが有効だ。行くぞ、あまり大きな音を立てるなよ」


 そして私たちの、なんとも気まずい尾行任務は幕を上げたのだった。



   ▼



 僕は森を進みながら、昨日のリノアさんの頼みを思い出していた。なんでそんなことを頼んだのか全くわからないが、僕がどうにかするのはアノ人に確認を取ってからだ。


「ねえ…どう…?」


 僕は偵察から帰ってきた蟲に確認する。……どうやら、ちゃんと付いてきてしまっているようだ。でも、僕の目が届くような近い場所にいるわけではないらしい。きっと、草が残す足跡をたどっているのだろう。

 昨日の夕食を食べに行く前のエリーザさんの様子で、なんとなーく察しはついていたけど……。

 本当に来ちゃったかぁ……そっかぁ……。


「じゃあ、お願い…早めに、ね…」


 エリーザさんたちが近くにいないことが分かったから、いつも通りの声で友達にお願いをする。すると、偵察してくれた子が「分かった」と言って飛び立った。アノ人と連絡を取る方法は、現時点ではあの赤い木の実しか存在しない。

 もしダメならエリーザさんを振り切ってもいいと、リノアさんにそう言われている。ただし、振り切れるものなら、とのことだ。


(自信、ないなぁ…)


 一晩しか一緒にいなかったけど、エトラスさんとの戦いの件といい、今日の朝食の件といい、尾行を振り切れる相手じゃないのは確かではある。

 いや、確実な方法はあるにはあるんだけど……協力してくれないだろうしなぁ…。


 赤い木の実が届くのを待ちながら、僕は遠回りをしながら目的地に向かう。あからさまに遠回りをすると、エリーザさんたちにはすぐバレちゃうから、慎重に距離を伸ばしていく。

 途中、なんとか振り切れないかなーと思い、草の部分を踏まずに歩いたり歩幅を変えてみたりもしてみたけども、全く効果はなかったようで。あまりやり過ぎてしまうと『尾行してるのバレてるよ』っていうことがバレちゃうから、困ったものだ。


(あと5分か10分…それまで、頑張るんだ、僕…)


 目的地まで直線で進んでいたら、もう到着してしまっている頃だ。さすがに連絡なしでエリーザさんたちを連れてきてしまったら、アノ人にきつーく怒られてしまう。それだけは絶対やだ。痛いし。


 その時だった。僕の鼻先に、冷たいしずくのようなものがピチャンと落っこちてきた。思わずビックリして「ひゃあっ!?」と声を上げてしまう。エリーザさんたちに聞こえてなければいいけど……ああ、恥ずかしい。

 僕は原因を見るために上を見てみると、予想外の光景が天空に広がっていた。


(雨雲…?)


 さっきまで雨の気配一つないほどの快晴だったのに……なんで雨雲があるのだろう? 3年この森に住んでいるけど、こんなことは一度もなかった。

 もしかして、僕が住んでいるところじゃないからだろうか? なら分かるわけがないか。

 さっきの鼻先への奇襲を皮切りに、快晴だった天気は、やがてにわか雨にになり、本格的に雨を降らすようになった。まるで豪雨だ、一体何がどうなっているんだろう。


(まさか、通り雨…?)


 そんなこと、普通は起こるわけがないはずなんだけど……降ってきてしまったものは仕方ない。この勢いだと木々を傘がわりにしても無駄そうだし、今頑張って一丸となって傘の代わりになってくれている蟲たちにも申し訳ないから、なんとかして雨宿りをできる場所を見つけないと……


(あ…エリーザさんたちは大丈夫かな…?)


 僕は3人の身を案じながら、しばらく走っていると、思いがけないものを見つけてしまった。

 まるで僕を待っていたとでもいうように、それなりに暗い色をした大きい屋敷やしきがドーンとあったのだ。この森の中で屋敷なんて、当然見つけたことはない。でも、最近は西の方に引きこもっていたわけだし……最近できたのかな?


(………)


 こんな大きな屋敷を、即興で作れるはずがない。だから、例の『スコーク』が仕掛けたものである可能性も少ないんだけど……なーんか、誘導されてる気がしてならないんだよなぁ…すんごい怪しいし。

 雨脚はどんどん強くなる。これ以上みんなに迷惑をかけるわけにもいかないか。仕方ない、一か八か入ってみよう。何もなければそれでいいし、何かあったら……うん、その時考えよう。まさか、入っただけで一発アウトってことはないだろう。たぶん。きっと。


「おじゃま、しまーす…」


 扉をゆっくりと開け、中に入る。屋敷の中に明かりは全くなく、内装まで暗い色で作られているから余計に暗く感じてしまう。


(なんだか、不気味…)


 でも、僕が今いる大広間——でいいのかな?——は、トロアさんがはしゃぎ回れるくらいに広い。これだけ広いのなら、やっぱり罠ってことはないのかもしれない。


 念の為、玄関のドアは開けておこう。もしかしたら、雨に耐えきれなくなったエリーザさんたちも入ってくるかもしれないし。…そんなわけないか。

 そうして落ち着ける場所をとりあえずは手に入れた僕は、大広間の真ん中で大の字に寝転がる。みんな蟲たちも濡れてしまった体を、ふるふると震わせて水滴を落としていた。

 他人ひとのお屋敷で勝手にこんなことしていいのかなぁ、なんて思いつつも、家主がきたら謝ろうと楽観的だった僕は、体の力を完全に抜いていた。


 その瞬間、僕の体は床に落ちるように吸い込まれ———

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