第11話 新しい一日

 『リーフ』の隊長の朝は早い。

 長年つちかってきた私の体内時計は正確で、毎朝4時ちょうどに目覚める。まだ寝足りないと訴える意識を、冷水で封印して外に出る。早朝稽古は私の日課で、どんな日だとしても、たとえ嵐が来ていようともおこたったことはない。


「ああ、ここは本部じゃなかったな」


 私の戦闘服や鎧、そして命の次に大切な剣はキュリアに預けたままだったことを思い出し、私はキュリアの個室へと向かう。部屋の鍵はリーダー権限で、私も彼女の部屋のスペアキーを持っている。もちろん、トロアの部屋の鍵もだ。


 音を立てないよう、ゆっくりと鍵を回し扉を開ける。キュリアも立派な『リーフ』の隊員の一人だ、下手に動いて音を立ててしまうと彼女を起こしてしまう。抜き足差し足で、きしもろい床板を踏まないように、そっとクローゼットに向かう。


(これもまた訓練……)


 相手があのキュリアだからか、私は過剰なほど慎重に足を進める。こういう時、リノア様の気配を完全に消す技術が羨ましいと常々思う。私が知る中で一番気配を殺すのが上手いのは、ダントツでリノア様だ。

 なんとか目的地点に到着、無事に鎧と剣の置いていある場所にたどり着く。しかし、難しいのはここからだ。当然だが、下手に鎧を動かすとガシャガシャと音を立ててしまう。もしそうなってしまえば、キュリアは目覚めてしまうだろう。


 そっと優しく包み込むように自分の装備を抱きかかえ、来たときよりも慎重に脱出する。鎧の重さも床にはプラスされているわけだから、さっきと来た時は大丈夫な床でも音がなってしまう可能性がある。

 息が詰まりそうな隠密作戦をなんとか遂行させることに成功し、そ〜っと慎重に扉を閉じて鍵をかける。


「………………はぁ〜〜〜…」


 なんて訓練だ、今回成功したのは幸運だったか。まるで敵本拠地に単身で乗り込んでいる感覚……できればもう味わいたくはないな。今度からは私の部屋にきちんと置いておくこととしよう、キュリアにも迷惑はかけたくない。

 さて、必要なものも手に入れたことだし、早速外に出て早朝稽古を始めるとしよう。私はさっき忍び足だった反動からか、いつもより早足で庭園に向かう。私のお気に入りの稽古場所だ。


「……流石にまだ暗いな。まあ、それもそうか」


 鎧を身につけ靴を履き、庭の真ん中へ向かう。足元でジャリジャリと鳴る音が心地いい。剣を静かに構え、目を閉じて精神集中。一切の雑念を斬り捨て———


「精がでるな、エリーザよ」

「ふわぁッ!? リノア様!」


 リノア様に驚かされるのは、『リーフ』の隊長になってからこれで何度目だろう。この隠密術をどうか私に伝授してほしい。しかもここは庭園で、足元は砂利や草がいっぱいある。こんな中で気配を消すなんて、まさに達人技。


「これこれ、大きい声を出すな。他の者の大多数は、まだ寝ているのだからな」

「リノア様……どうしてここにいるのですか……!」

「なに、お前がここでいつも一人稽古をしているのは知っていた。お前と今日二人きりで話せる、最後のチャンスだと思ってな」


 昨日も思っていたが、今回の件に対してリノア様はどこか生き生きしているようだ。かなりの頻度で寝坊するリノア様が———もちろん、リベリアさんからの情報だ———こんな時間に起きている。この事実だけで、どれだけリノア様にとって今回の件が重要で楽しい事なのか、よくわかるというものだ。


「はあ……それで、話したい事とはなんですか?」

「お前に任務を言い渡そうと思う」


 任務。その言葉を聞いただけで、場の空気は一変する。


「任務……どのような?」

「それはな———」



   ▼



 午前7時。多くの人が眠りから目を覚まし、街が活発になり始める頃。城の中は、いつも通り大騒ぎだった。

 当然だがフォルテルにある部隊は『リーフ』だけではない。というより、そもそも『リーフ』は特殊部隊だ。通常の部隊だけでも隊員はたくさんいる。その者たちの朝稽古や、それが終わった時のための朝食の用意。その他掃除など様々な仕事を含めれば、誰も休む暇なんてない。


 ちなみに、朝稽古のコーチ役は『リーフ』と各隊の隊長に任されている。弓術は私が、魔術はキュリアが担当だ。ちなみにトロアは日課とやらで不在。まあアイツがいたところでコーチは務まらないし、構わないだろう。どういうわけか国王様公認だし。

 私が弓術を教えているのは、単なる数合わせだ。私は剣術を得意としているが、エルフで剣術を極めようとするものはいない。そして私も弓術の心得が全くないわけではないため、十分コーチが務まるのだ。


———では、頼んだぞエリーザよ。


 あの後、リノア様は「朝早くに起きすぎて眠い」と言いながらご自分の部屋の中に戻っていった。私だけの早朝稽古には支障はなかったが、終わったら終わったでずっとのことを考えてしまっている。それも、仮本部を通り過ぎてしまうほどに。

 早朝稽古が終わって仮本部に戻って少年が寝ている部屋の扉を開けると、少年はまだ寝息を立てていた。表情もそのままで、とても心地好さそうだった。


「……ザ様? エリーザ様?」

「ん、おお、なんだ」

「エリーザ様、お時間です」

「ん? ああ、そうだな。よしお前ら、朝稽古終了! しっかりと朝食をとるようにッ!」

「「「「「ありがとうございましたッ!」」」」」


 いかんいかん、ボーッとしてしまっていたようだ。今までこんなことなかったのだが。ひょっとすると、気が緩んでいる……というか、考え事をしすぎているのかもしれない。の時までには元の調子に戻さなければ。

 私も汗を手ぬぐいで軽く拭き取り、仮本部に戻る。キュリアはすでに一足先に仮本部に戻っているようだ。魔法使いの訓練は弓術とは違い、体力ではなく術者の魔力を使う。魔力を使いすぎると『魔力枯渇ショック』と呼ばれる状態になり、早い話が気を失ってしまう。

 また、キュリアはの使用を禁じているため、訓練は弓術と比べて早くに終わるのだ。その分、内容は濃くしているから大変だとは聞いているが。


 仮本部に戻ると、キュリアやトロアはすでに集まっていた。キュリアはいつもの通り読書を、トロアはキュリアの邪魔をしている様だ。


「お疲れ様です、隊長」

「お疲れッス〜」

「ああ、お疲れ。少年はどうした?」


 見た所、少年の姿がない。ひょっとして、まだ寝ているのだろうか。迷いの森の中で寝るくらいだし……あの性格も含めて考えると、もしかしたら朝に弱いタイプなのかもしれない。


「さあ……まだ寝てるんじゃないッスか?」

「私も、今帰ってきたばかりですので」

「そうか…」


 やはりまだ眠っているようだ。私は奥の小部屋へと向かい、ドアを開けようとする。


(……ッ!)


 その時、私の中で得体の知れない感覚がこみ上げてきた。この感覚がした時、いつも決まって罠が仕掛けられている。以前の任務の時も、この感覚に救われたことがなんどもあった。いうなれば、経験を基にした第六感とかいうヤツだ。

 しかし、なぜこのタイミングでこんな感覚がするのだろう? この先には眠っている少年しかいないはずだ。別に外につながっているなんてこともないから、侵入とか脱出とかが起こるはずがない。


(………)


 そっと、そーっと扉を開ける。早朝にキュリアの部屋に忍び込んだときよりも、慎重に扉を開けた。

 そして目の前に広がっていたのは、予想通り眠っている少年と……


「あれ、どうしたんスか? エリーザさギャァアアア!?」


 異様な様子だった私が気になったのか、覗きに来たトロアが叫び声をあげる。私たちが目にしたのは、何時ぞやのように少年の体の上などで眠る大量の蟲たちだった。正直、二度と見たくなかった。

 扉か窓の隙間から侵入したのだろうか。流石にもう変死体と見間違えることはないが、何度見てもやっぱり慣れそうにはない。というか慣れるほうがおかしい気がする。


「ん……んむぅ…」


 トロアの叫び声で起きたようだ。少年がゆっくりと体を起こし、ぼーっと、どこか遠くを見つめる。まだ寝ぼけているようだ、朝というか寝起きに弱いタイプと見た。

 少年が起き上がるのに合わせて蟲たちをカサカサワサワサと移動する。事情を知らない奴が見たら、さぞ奇妙かつ気味悪く見えるのだろう。私も気味が悪いとほんの少しは思ってしまっているが。

 蟲たちに私たちを攻撃する気がないのは何となくわかるが、近づくのには、やはり抵抗がある。ここから呼びかけることとしよう。


「少年、大丈夫か?」

「うゆぅ……おはよ…」


 少年はこれまた初めてあった時と同じ様に、目をこすりながら二度寝の誘惑に何とかあらがっている。蟲たちも、まるで少年を応援しているかの様に蠢き回っているようだ。

 少しすると、少年がのそりのそりと立ち上がる。まだ眠そうな気配はあるが、二度寝をする様なことはもうなさそうだ。蟲たちも、少年の足元でうぞうぞしているだけ。特に怪しいところはない。


「えーっと。近づいてもいいんスかねえ、これ」

「ん、だいじょー、ぶ…」

「……らしいぞ?」

「あ、あはは……」


 トロアには自業自得とはいえ、近づいた結果蟲たちに完全包囲されるトラウマがある。少年に近づくどころか、トロアは逆に後ずさりをしていた。

 そんなトロアの様子を見て状況を察した少年は、足元にいる蟲たちに何か指示を出す。その瞬間、蟲たちは一斉に飛び立ち一つの黒い霧の様になった。


「ひえっ」


 どうやらトロアが蟲たちと打ち解ける日は遠そうだ。

 蟲たちは小部屋の窓を器用に開け、外に飛び出していく。外に出た瞬間、蟲たちは散り散りになって飛んだらしい。黒い霧の様に見えていたのは一瞬で消えて無くなった。きっと、外にいる奴らに見えないようにするためだろう、蟲たちにも高度な知能があるものなのだろうか。


「ごめんね…だい、じょーぶだった…?」

「エリーザさん…やっぱり俺、慣れそうにないッス」

「そうか……」


 安心しろ、私もこればっかりは慣れそうにない。

 トロアの騒ぎっぷりを不審に思ったらしい、キュリアが読書用の本を持ちながら、しかめっ面でこっちにやってくる。

 彼女はトロアのことになるとなぜか厳しさが8割り増しくらいになる。まあ、性格的に気に入らない可能性は大いにあるが。


「まったく……騒がしいぞガネッシュ。もう少し静かにできないのか?」

「いや、まあその……なんでもないッス」

「…?」


 なぜかしょんぼりするトロア。少年と仲良くなりたい彼からすれば蟲の存在は、なかなか分厚い壁になることだろう。

 というか、よく考えればこのタイミングで誰かが入ってくるのはまずい。なぜなら、はたから見れば『リーフ』の隊員全員が仮本部の奥にある小部屋の前に集まっているという、何とも奇妙な光景になっているに違いないのだから。


「とりあえず、出てきてくれないか? 朝食を取ろう」

「ん、わかっ——」


 コンコン、と仮本部の扉がノックされた。全員が体をビクッと震わせ、少年は凄まじい速度で布団に潜る。

 というか少年よ、足が見えているぞ。それじゃあ隠れたことにはならない。まさかそれで隠れているつもりなら、これまでもちゃんと隠れてくれていたのか不安でしょうがなくなってくる。例えば……そうだな、ソファの下に隠れるとか。

 ……まあ、それはさすがにないか。隠れきれるかどうかの話ではなくなってしまうだろうし。


『失礼します、朝食をお持ちいたしました』

「あれ…エリーザさん、朝食頼んでたんスか?」

「ああ、適当な理由をつけてな。多めに頼んでおいた」


 係には任務の準備があるから、仮拠点で朝食をとると伝えていた。それと、量を少し多めにする様にとも。こっちには特にうまい言い訳は何一つしていないが、何も聞き返さないでくれたので助かった。

 これで少年の分の朝食も確保できた。あとは、少年をフォルテルの外に出す方法だけだ。


 係の者が3人入ってきて、仮本部に備え付けられている机にいつもより少々多めに朝食が盛られていく。さすが、見事な手際だ。ものの1分程度で全ての準備が整ってしまった。


「おー、いつにも増して美味そうッスね〜」


 これで少年の朝食分も確保できた。量は少ないかもしれないが、そこばっかりは我慢してもらうしかないだろう。あとは、係の者が外に出た時に少年の分を取り分ければ大丈夫——


「準備ができました。どうぞ、お食べください」

「……? 君たちはどうするんだ?」

「私たちはこの場に残っていますが…」


 しまった、この可能性は考えていなかった。別に「作戦会議をするので席を外してほしい」と言えば出て行ってはくれるだろうが、不信感を抱かれてしまう可能性もあるからできればしたくない。

 係の者の人数は三人。何かしらの理由をつけて十秒でも隙ができれば、少年に朝食を渡すことはできる。しかしどうやって……


 私たちは互いにアイコンタクトをして、席に座る。人によって食べれる量や最低限これだけは欲しい量は違っているため、私たちの食事は基本的にバイキング形式をとっている。それでも、制限はあるが。

 私たちは適当に言葉を交わしながら、自分たちの皿に料理を盛り付けていく。ただし私の場合は、二つに分けて盛り付ける。やがて片方が0.8人前くらいになった頃か。これをどうにかして少年に渡せればいい。


 その時、何かが落下した様な甲高い音が響き渡る。


「あ! すいませんッス!」

「ガネッシュ様、私たちが取りますので、そのまま席に座ってくださいませ」

「お手数かけて申し訳ないッス…」


 トロアがフォークを落としてしまったらしい。これで係の全員がこちら側に注目してしまった。外に意識を向けさせるという、本来の目的と真逆の結果。本当にトロアらしいことをしてくれる。

 そう、。トロアは、いざという時の逆転の発想がうまい。係の者の一人はテーブル下へ、もう一人は替わりのフォークを取り出している最中。最後の一人は、まだ全体を見ている。

 これで二人の視線をテーブル上から逸らしたことになる。そして最後の一人は……


「すまない、この本をあの棚に置いてくれないか。しまうのを忘れていた」

「かしこまりました」


 キュリアが終始持っていた本に意識を集中させた。これで、私とテーブルの上に意識を向けているものはいなくなった事になる。


(ここだ)


 私は皿をスライドさせて、そのまま料理を皿ごとテーブルから落とす。それを足でソフトにキャッチし、足の甲を駆使して床に滑らせた。これで派手な音がすることはない。

 そして小部屋めがけて、料理が皿から溢れぬように繊細かつ強めに蹴り出した。本来これだけでは、摩擦のせいで小部屋まで小皿が届くことはない。

 だが、それは普通の状態の床であればの話だ。キュリアのによって見た目にはわからない程度に凍らされた床の上を、まるでアイスホッケーの様に皿が滑っていく。


(角度よし……)


 そして、最後の懸念けねんが受け渡し方法だ。少年の部屋に皿を滑り込ませることなど、不可能に等しい。だが、そこも問題はない。この作戦のことを知っているのは、私たちだけではないからだ。

 小部屋の前を通り過ぎ、向こうの壁に跳ね返った皿は侵攻方向を逆転させて、こちらに向かって滑走を続ける。壁に跳ね返る時にコンと音がなるが、今この瞬間他のことに意識が向いている彼女たちが気づくほどの大きな音ではない。

 壁にバウンドした皿が小部屋の目の前を再び通過する直前、音もなく小部屋の扉が開く。あの部屋の扉はこちらから見て。そのまま皿は小部屋に滑り込み、扉は再び閉じられた。


「こちら、替えのフォークです」

「いやあ、わざわざすみませんッスねぇ」

「いえ、仕事ですので」


 キュリアは余分に少年がいる部屋の中の床も凍らせていたようだ。氷の魔法で冷えた床に、少年は気づいてくれたらしい。

 それにしても、それだけでこちらの作戦が伝わるとは、さすが少年といった感じだろうか。ちなみに食器は夜食で使ったものを使いまわしている。当然、綺麗に水で洗った後だが。


「それじゃあ……いただこうか?」

「そうですね」


 これで、ようやく朝食の準備が終わった。後の任務に備えて、しっかりと食べておくとしようか。


「「「いただきます」」」


 私たちの新しい一日が、本格的に始まろうとしていた。

 うん、今日も美味しい。

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