第10話 おやすみなさい
僕はうつ伏せになりながら、誰も聞こえないような声で思わずボソリと呟いてしまった。
「こんな肩書き、いらないのに、なあ…」
「ほう?」
「ひゃあッ!?」
突然背後から聞こえた声に驚き散らかしてしまう僕。
や、やばい…! どこかに隠れなきゃ…! でもどこに隠れればいいんだろう奥の小部屋までだと時間もかかるしああそうだソファの下に潜り込めればもしかしたら大丈夫かも——
「ああほら、そんなに慌てるな。妾だ、リノア=シルバートだ」
「え……あれ、リノアさん…?」
ソファの下に半分頭を突っ込んでしまったところで、リノアさんに肩を掴まれる。振り返ってみると若干申し訳なさそうに眉を下げているリノアさんがいた。
色々な疑問はとりあえず置いといて、今はこの情けなさすぎる格好をどうにかしたほうがいい。そう判断した僕はゆっくりと立ち上がって、リノアさんと向かい合った。
「すまなかったな、そこまで驚くとは思っていなかったんだ」
「ううん…だいじょー、ぶ…」
「そうか、それなら良かった」
今改めて向かい合ってみると、リノアさんは本当に背が低いなって思う。僕と同じくらいじゃないだろうか。偉い人は大抵背が高いものだと思っていたんだけど……
「それより、何やら
「うぐ…」
やっぱり聞かれてしまっていたらしい。リノアさんの気配に全く気づけないどころか、そんなことまで聞かれてしまっていただなんて。やっぱり、この人はとても恐ろしい人なのかもしれない。
「分かってる、くせに…」
「くくく、そうもそうだな」
さらに、とても意地悪な人だ。これだけは確信して言える。
リノアさんが笑いながらソファに座り込む。それをただ見ているとリノアさんは隣をポンポンと叩き、隣に座ることを催促してきた。僕は素直に隣に座る。
「あの、さ…なんで、分かったの…?」
「ん? 何がだ?」
「とぼけないで…」
あまり慣れていないが、威圧するような声でリノアさんに聞く。聞きたいのは、さっき初めて会った時に言われたことだ。
———君、『』だろう…?
耳打ちされた時にリノアさんに言われたことだ。正直、これをされた時は冗談抜きで心臓が止まった。少なくとも、僕はそう感じた。なぜなら、このことを知っているのは僕を含めてアノ人と友達だけ。それ以外の人は僕のことを知らないはずなんだ。
そのはず、なんだけどなあ…。
「分かっているよ、そんなに声を出すんじゃない。ちゃんと話すから、その微妙に怖い目つきをやめてくれ」
「………むう…」
やっぱり、慣れないことはしないほうがいいかもしれない。楽しそうな表情をやめていないリノアさんを見ていると、睨みつけたのは逆効果だったと痛感させられる。
「さっきも言った通り、ただの人脈さ。これでも妾は国王でな、フォルテルに留まらず広い人脈があるのさ。もちろん、迷いの森に関してもな」
「じゃあ、知ってる、んだよね…。アノ人の、こと…」
「まあな。実際に会ったことはないが」
「あれ…? じゃあ、どうやって話していたの…?」
くくく、とリノアさんは本当に楽しそうに笑う。まるで何かのゲームをしている時の様だ……というのは、少し過剰表現かな?
「君と同じだよ。これさ」
そう言って、リノアさんが取り出したのは……
「あ…! それって…」
「シュウ君からすれば、見慣れたものだろう?」
赤い木の実、さっき僕がアノ人と通話する際に使っていたものと全く同じ種類のものだ。というより、この木の実はアノ人と通信する為にあるようなものだ。偶然手に入れた、なんてこともあるはずがない。
つまり、あの木の実を持っているということはアノ人とのコンタクトあるという証拠に他ならない。
リノアさんはその赤い木の実を口に投げ入れ、さっきの僕と同じように、食べることで証拠隠滅をする。
「そういうわけだ。さっき妾の所にも連絡係が来てな、少しばかり話したのだ」
「いつの、まに…」
「あー……ちょっとエリーザに、な…。これ以上はあまり聞くな」
「ふうん…」
よく分からないけど、目を逸らしてまでリノアさんがそういうのであれば、仕方ないのかもしれない。僕は追求するのをやめた。というよりは、追及をしたとしてもはぐらかされるような気しかしない。だって、意地悪だし。
「それ、で…何しに、きた、の…?」
「ほう、てっきり忘れているかと思っていたが……」
「国王様が、僕と話すためだけに、来るわけ、ない…」
「それもそうだな、では用事をさっさと話すとしよう」
これをきっかけに、リノアさんが
まるで国王のようだ、さっきまでのリノアさんとはまるで違う。
「君にどうしても頼みたいことがある。これは依頼だ」
「………」
「君に——を頼みたい。受けてくれるか?」
どうやら、依頼の内容から察するに本当に真面目なもののようだ。これはきっと、そういうことなんだろう。
「……それ、は…」
「ん? なんだ?」
「ちゃんと、許可……とったの…?」
「いいや? だから聞きに言って欲しい。もしダメならこの話は忘れてくれ。明日、彼女に会うのだろう?」
「………人使い、荒い…」
「国王とはそういうものだ、諦めるんだな」
本当に、リノアさんは
「それでは、よろしく頼んだぞ」
「あ、待って…」
「ん、なんだ?」
僕は慌ててリノアさんを呼び止める。何か聞かなきゃいけないことがあるような気がしたからだ。
でも、何を聞けばいいかは結局思い出せなくて。
「ごめ、ん……なんでも、ない…」
「? そうか、なら失礼させてもらうぞ」
そう言ってリノアさんは部屋を出て行ってしまった。にしても、どうやって気づかれずにこの部屋までやってきたんだろう。
ほんと、掴み所の無さそうな人だ…
▼
時刻は深夜。食事や入浴、その他夜支度をあらかた済ませ終わった時には、いつの間にやら午後11時を回っていた。私自身、『リーフ』のリーダーに勤める前から深夜帯での任務に関わることもあったからか、この時間になっても目は冴えたままだ。寝ようと思えば寝られるが。
少年の夕食は、私が夜食用に食べるという名目で、係の者に頼んでおいた。そのため少年の夕食は10時を超えてしまったが、少年は文句の一つも漏らさず待ってくれていた。トロアとメンバー変わってくれないだろうか。
そんなこんなで少年の夕食も終わり、最後に食器を乗せたトレーを廊下に出しておけば、勝手に係の者が回収してくれる。少年の存在をできる限り隠したい私たちにとっては大変都合がいい仕様だ。
今、仮本部の中にいるのは少年と私だけ。キュリアとトロアには今夜は自室に戻ってもらっている。私だけが残ったとしても、仮本部内で調べ物をしているということになっているので誰かに怪しまれることもない。
「ねえ、エリーザ、さん…」
「ん、どうした?」
夜には弱いのか、少年が眠そうな目をこすりながら私のところに来た。念のために、少年の寝床は昼に質疑応答を行なった奥の小部屋にした。そこであればもしこの部屋に誰かが訪れても、気づかれることはないだろうという考えだ。
さっきまでその小部屋にいたのに、なぜ出てきたのだろうか。ひょっとするとトイレに行くたくなったのかも知れない。
「ちょっと、聞きたいこと、というか…」
「聞きたいこと?」
トイレではない様だ。
今まで私たちに質問らしい質問をしてこなかった少年が聞きたいことはなんだろうか。そう思っていると、少年の出した質問は私の思っている以上に奇妙なものだった。
「エリーザさん、は……どうして、ここにいる、の…?」
「……んん? どういうことだ?」
私がここにいる理由については、説明をしたはずなのだが……まさか少年がそれを忘れたはずがない。……と、思う。じゃあ、どういう意味だろう。
「あ、えっと……その…」
「ああもう、落ち着け。ちゃんと聞いてやるから」
ただ質問慣れをしていなかっただけのようだ。ワタワタとしている少年を
「その…エリーザさんは、なんで、『リーフ』にいるのかなー、って…」
「んんと、私が『リーフ』に在籍する理由か?」
「うん……辛くないのかな、って…」
ただの雑談のつもりだろうか。確かに少年は今まで隠れたりしているだけだったから、暇を持て余しているだけなのかもしれない。さっきまではキュリアが接してくれていたわけだし、やかましいトロアもいないのでは逆に退屈してしまうだろう。
しかし、どうしてだろうか。眠そうな顔をしながら聞いてくる少年の顔には、他の感情が混ざっているように思えた。それが何なのかは、さすがにわからないが。
「そうだな……なら、向こうで話そうか。君も眠そうだし」
「うん…」
真夜中にこの仮本部に入る者はそういないだろう。その判断で私は、少年の寝床のある小部屋に入る。薄いマットのようなものと布を用意しただけの簡易的な寝床ではあるが、寝るには十分だろう。
「さて、私が『リーフ』に務めている理由だったな?」
即席ベットに座り、昔のことを思い出す。少年は眠たげながらも、ちゃんと聞いてくれているようだ。
「私はな、魔法が使えないんだ」
「えっ…」
「言ってなかったか? 詳しく言うとな、魔力に影響を与えることが私にはできないんだ」
キュリアに魔法論理学の基礎を叩き込まれ優秀だと称されただけはある、理解が早い。
が、残念なことに『エルフが魔法を使えない』というのは、今少年が考えているよりも大問題なのだ。
「エルフという種族の特徴は、何だか知っているか?」
「ええと…魔力をたくさん、持ってること、だったっけ…」
「そう。エルフはそういう種族だ。そのエルフが魔法を使えないとなると、いろいろ不利益があってな」
「不利益…?」
「まあ、簡単にいうとだな。差別されるんだ。こいつは使えないってな」
「…」
少年の表情が少し歪んだように思えた。もしかしたら、少年にも何か思い当たるような、そんな過去があるのかも知れない。それとも、この後の話の展開を読み同情したか。
私も幼少期時代はまだいいとして、ある程度成長した後は色々と辛いこともあった。魔法が使えない、これだけでエルフとしての価値は
「私はそれが悔しくてな。魔法の努力をすっぱりと諦めて、剣の道を選ぶことにした」
「どうして、剣を…?」
「まあ、単純にやっている人が少なかったからだな。エルフは物理攻撃については弱い種族なんだ。だから武器を選ぶにしても弓矢が主流で、剣をわざわざ選ぶものはいない」
エルフはもともと魔法に主力を置いたような種族だ。魔力を体内に多く留めることに器官が集中しているため、筋肉が発達しづらい。というか、しない。
現に私も剣を振り続けているというのに、筋肉らしいものは全く育っていないのだ。
「文字通り、血が滲むほどの努力をしてきた。誰かのためになりたいとか、そういうことの為じゃなくて……なんというか、認められたかったんだ」
ゆっくりと、昔のことを思い出しながらそう言った。紛れもない、正真正銘の私の思いだった。ここまで来るまで、どれだけの苦難を乗り越えたのだろうか。ある時は苦しい思いを、ある時は痛い思いをすることもあった。時には、血を見ることだって——
「強い、ね…」
「え?」
「エリーザさんは、強い、と思うよ…」
気がつけば、少年がこっちを見つめていた。少年がしているその目を、私は知っていた。これは
「だって、逃げなかった、んだから…」
「……」
「だから、えっと……エリーザさん、は…」
言葉に迷いながらも、少年は私に語りかける。私は、少年の目に
「もっと、自分を誇って、いい、と、思う…」
少年の言葉が、ストンと私の胸の中に落ちたような気がした。その言葉はゆっくりと私の中に広がり、満たしていく。じんわりと優しく温かいものが、私の体に染み渡っていくように感じる。
「……そうか」
「う、うん…」
少年は、自分の言ったことの恥ずかしさに顔をほんのり赤らめているようだった。こんな少年を見るのは、珍しいことなのかも知れないと。出会ってまだ24時間も経っていないというのに、そう思えてしまった。
「君は、どうなんだ?」
「ん…?」
気付けば私は、少年に聞いていた。本当は聞かないほうがいいとも分かっているが、どうしても気になってしまったのだ。
「ああ、すまない。ただ、私も気になってな……君は、なぜ森の中で暮らしているのかをな」
「………」
「話しづらいことだと言うのは分かっている。分かっているが……」
言ってしまった言葉は、もう戻らない。私は言いながら、聞いてしまったことを反省する。だってこれは昼の質疑応答の時も話してはくれなかった、少年が秘密にしていることなのだから。
それでも少年は、ゆっくりと話してくれた。
「逃げちゃった、からね…」
「え?」
「耐えられなくて、逃げた……行く宛がなくて、
静かに、ポツリポツリと語る少年の姿は、何か嫌なことを思い出す時のようだった。目は遠くを見つめ、いつもの少年とはまるで雰囲気が違っていた。それは、なんとも呼べないものだ。
「それで、友達ができて……いろいろ、あって……今に
「…そうか」
きっと少年は、私とは比べ物にならない程の苦境にぶつかったのかも知れない。前に少年が言った、実在するらしいヒューマンの国『バステック』から逃げ出すほどの苦しみが、かつての少年に降りかかったのかもしれない。
もちろん、その真相は私が知ることはできないだろうが。
「だから……エリーザさんが、ちょっと、羨ましい…」
「私が、か?」
「うん…」
少年の目がまっすぐこちらを見る。さっきの無感情のような目とは違う、綺麗な目で。
「やっぱ、り…エリーザさんは、すごい人、だね…」
「……そうか、ありがとうな」
何だか、真っ正面から言われるとむず
少年が、「ふわあ…」と大きなあくびをする。どうやら、少年の眠気がいよいよ限界にきたようだ。今にも寝てしまいそうなほど、目がうつらうつらとしている。
「もう寝たほうがいい。ほら、ちゃんと布団をかぶって」
「う…ん…」
少年の体を支えながら、ゆっくりと横にする。マットを敷いているとはいえ、いきなり倒れると流石に痛いだろう。
少年が横になったのを確認した後、少年の背中から手を引く。
「それじゃあ……おやすみなさい」
「おや、す…?」
少年が首をかしげる。もしかすると、「おやすみなさい」の言葉の意味がわからなかったのかも知れない。少年は残りの意識を振り絞っているようだ。このまま私が何処かに行ってしまえば、気になって安眠とはいかなくなってしまうかもしれないな。そんなことを冗談交じりに考えつつ、
「まあ、寝るときの挨拶のようなものだ」
「そう、なんだ…」
寝かしつける意味も込めてその挨拶について説明をしてあげることにした。すると少年は、ゆっくりと微笑んだ。
「おやすみ…なさい…」
そう言うと、少年は目を閉じ寝息を立てる。寝てしまったようだ。
少年は安心しきったような、気持ち良さそうな顔で寝顔を晒している。本当に、どこまでも無防備なやつだ。まったく危なっかしい。
「……ふふっ」
私は、いつの間にか自然に笑っていた。右腕を持ち上げ、少年の額をゆっくりと指先で撫でる。先ほどはキュリアのことを少年の姉みたいだと思ったが、この瞬間だけは私が姉になった気分だ。
心が満たされていくようだ。少年のかけてくれた言葉は、私にこれほどの影響を与えているようだった。
「………おやすみなさい」
そして、私は微笑みながらこう続けた。
「ありがとう」
私は、小部屋の扉を閉めた。心からの感謝を、その部屋に残して。
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