第9話 それぞれの悩み事
リノア様を王室のデスクに無事、
もうじき夕食の時間になる。一度、仮本部に戻った方がいいだろう。
「あ、エリーザさんじゃないッスか。奇遇ッスね」
その道中、偶然トロアと鉢合わせる。恐らく、トロアの言っていた日課とやらが終わったのだろう。
「トロアか。日課はもういいのか?」
「ええ、こっちは大丈夫ッス! それよりなんかあったんスか? 王室の方から来てましたッスけど」
「ああ、少し運搬作業をな」
「運搬作業?」
なんじゃそら、と聞き返してくるトロア。調べ物の件はトロアに知られると、また面倒なことになりかねない。かと言って、リノア様のことを話してもなあ…。適当にはぐらかしておくとしよう。
「まあ、なんだ。名誉毀損に当たるからな、気にするな」
「えー、エリーザさんもその流れッスか〜? 『名誉毀損』って言えば俺が簡単に引き下がるとか思ってませんッスよね?」
「仕方ないだろう、事実だ」
リノア様がよく仕事場から脱走することは、『リーフ』の人間にとっては常識のようなものだがな。まあ、わざわざ国王の恥を
「もう……。で、シュウ君については何か聞けたんスか?」
トロアはこういう時だけは無駄にしっかり聞いてくる。もともとコイツの動力源のほとんどが好奇心みたいなものだ、そりゃ当然聞いてくるか。
まあ、今は教えないでおくとしよう。
「いや、残念ながらな」
「ふ〜ん、そうッスか…」
そんな話をしている間に、いつの間にやら仮本部に到着したようだ。いつもと場所が違うので、危うく通り過ぎるところだったな。
扉を開き部屋の中に入ると、キュリアはまだ少年と授業をしていた。凄まじい集中力だ、かれこれ三時間はしているのではないだろうか。
ずっと話を聞いていられる少年も凄いが、何よりずっと魔法学を教え続けているキュリアに驚きを隠せない。教授の才能があるのだろうか、少なくとも私には当分できそうもない。
だが、さすがに疲れてきたらしい。今回は私たちに反応してくれた。
「あ、隊長。お疲れ様です」
「おかえりー…」
「ああ、ただいま。ずいぶん熱中してたじゃないか」
私はキュリアたちとは反対側の椅子に座る。夕食の時間まで、まだ数分くらいはある。
ちなみに夕食などの時は食堂が用意されているため、そこに向かわなければならない。自炊もできることはできるが、食事は体作りの基本とも言われているように大事なものであるとされているので、私とキュリアは素直に従っている。
こういうのは無理せず、その手の専門家たちに任せるのがベストだろう。
トロアがどうかはイマイチわからないが、多分隠れて何か食べてると思う。完全に直感だが。
「ええ。思いの外、エクリアが優秀でしたので。魔力を持たないヒューマンであることがもったいない気もします」
「そんなになのか……」
キュリアの横では少年が———相変わらず感情が少し読み取りづらいが———誇らしげにしているように見える。
というより、いつの間にかキュリアが少年のことを名字で呼ぶようになっている。本当の本当に仲が良くなっているようで何よりだ。
「そういえば、隊長はどこに行っていたのですか?」
「ん?」
「一度、隊長だけ戻ってきたじゃないですか。その後、またすぐにどこかに行かれましたよね?」
なんだ、気づかれていたのか。どうやら、私の存在に気がつかないほど集中していたわけではないらしい。
ただ、このタイミングでそれを聞かれるのは少しマズい。なぜならこの場には……
「え、そうなんスか? エリーザさん」
『見た目は大人、頭脳は子供』代表のトロアがいるからだ。その好奇心たるや子供顔負けであり、さらに厄介なことに……
「あ! もしかしてエリーザさん、なんか調べ物してたんスか!? 教えてくださいッスよ〜! ちょっとだけで良いッスから!」
こういう時に限って無駄に鋭い。これには話題を振ったキュリアも「しまった」という表情を浮かべている。
しょうがない。後でしようと思っていたのだが、あの話をするしかないようだ。もちろん、調べていたものとは何も関係のない話だが。
「襲ってきた二人について少し、な。明らかに何かの組織のようだったし、手がかりを探していた」
「ああ、エトラスさんと毒男ッスよね。結局、エトラスさんは見つかったんッスか?」
「キュリア、どうだった?」
「いえ……そのような報告はないですね。今日は、報告員は誰もこの部屋を訪れていません」
あの騒動があって、約4時間くらい経ってなお報告が無いとなると、考えられる可能性は二つだ。
一つは、案外すぐ近くに隠れている可能性。だが、キュリアによるとエトラスは瀕死の状態で、力尽きるのは時間の問題らしい。実際に腹部を氷の魔法で貫いたというのだから、この線は薄いだろう。そして、もう一つの可能性は……
「もう、フォルテルにはいない……だろうな。恐らくは」
「マジッスか!?」
トロアだけでなく、キュリアも驚いた表情をする。それも当然だ。フォルテルに侵入するのならまだしも、瀕死の状態でありながらフォルテルから脱出するなど、よっぽどのことが無い限りは不可能だ。
さらに、あのデーモンがフォルテル内にいてエトラスの救助を手助けしたというのなら、なおのこと目撃情報がないのはおかしい。なぜなら、デーモンはドッペルとは違い変身能力はないからだ。そのような不審者をみすみす見逃すやつは、この城にはいない。
このことから導き出せる、ある事実にキュリアは気づいたようだ。
「ちょっと待ってください! つまり、フォルテルの中に奴らの協力者がいるってことですか!?」
「そういうことになるな。だが、少し違うだろう」
「違うって……どういうことッスか?」
協力者の存在はなんとなく考えていた。先ほど、極秘資料室で必要な資料を探していた時に、『もし協力者がいたとしたら、どう脱出するか』を想像してみたのだ。
その時に思いついた
「要するに、その協力者は……その、変身したエトラスさんを外に持ち出した人がいるって事ッスよね?」
「そうだ。だが今日フォルテルの外に出た者は、私たち『リーフ』とゴミ出し員だけ。……どういうことか、分かるか?」
「………なるほど、瓦礫ですか」
「ああ」
「……? どゆことッスか?」
キュリアは苦々しく正解を口にする。これは、キュリアがまんまと騙された形だ、悔しいに決まっている。
ドッペルの特殊技能は
しかもあの場には大小形様々の瓦礫があった。その中に紛れ込むのは
「つまりエトラスは床に穴を開けた上で、瓦礫に変身。ゴミ出し員によってフォルテルから脱出できる、ということですか…」
「うわ何それ、賢すぎないッスか…?」
「わーお…」
思わず少年も感嘆してしまうこのトリックには、敵ではあるが私も賞賛していた。瀕死の絶体絶命の間際、そんな脱出方法を思いつく者がこの世界にどれだけいるだろうか。
この作戦を採用すると決めた瞬間、エトラスは諦めない心を基に相当の覚悟を決めたに違いない。
「で、エトラスの仲間である男はデーモン……もし、回復薬の類で治療をしていたとしたなら、エトラスは無事にフォルテルから脱出してしまった、ということになるな」
「……すみません、隊長。私が
「いいさ。こればかりはエトラスの勝利だ……悔しいことにな。次回からは気をつけていこう」
さて、ここからが本題だ。本当は食堂でするつもりだったが、今思い返すと少年がいるここでするのが適切だろう。
「さて、あいつらの組織についてだが……思い当たる節が1つある」
「えっ、あるんスか!? どんな奴らなんスか!?」
『リーフ』のリーダーたる者、あらゆる闇組織や秘密結社についても知らなければならないのは仕方ない。これまでの事柄から、私の頭にはある組織名が浮かんでいた。
「恐らく……『スコーク』の仕業だろう」
「『スコーク』…って、何スか?」
トロアが知らないのも無理はない。なぜなら『スコーク』の活動内容や構成員人数といった情報が不明な秘密結社であるからだ。さらに目立った活動もあまりしていないため、名もあまり知れ渡ってはいない。
「『スコーク』は、多種族で構成された秘密結社みたいなものだ。依頼を受け、その報酬で活動している。多種族で構成されその人数は不明。あと、必ず
「隊長は、その『スコーク』が怪しいと?」
「まあ、確かに条件はぴったしッスけども……」
トロアが珍しく難しい顔をしている。何か引っかかる、というような様子だ。
「今の話だと、その『スコーク』っていうのは目立つ仕事はしないんスよね? なのに『リーフ』を襲うんスか?」
割と鋭い洞察力を見せるトロア。キュリアもどうやらその点が引っかかっているようだ。
「そこなんだが…私にもわからない」
「まあそうッスよねえ…」
「だが、重要なのは別の点だ」
「別?」
「私たち『リーフ』の討伐依頼をした者がいるということだ」
途端に場の空気が緊張する。デーモンの男も「後々の仕事に響く」といったことから、私たちを襲ったのもその「仕事」の一つだと推測できるはずだ。
「隊長…! この状況、かなりヤバイのでは…!」
「安心しろ、もうリノア様には伝えてある。それも大事だが、もう一つ気になることがある。キュリア、エトラスが少年を連れ去ろうとした時、なんていったか覚えているか?」
「ええと、確か…」
聞いたのは、私が忘れたからではない。キュリアに気づかせるためだ。数時間前の話では、エトラスはこう言っていたという。
———みんなが会いたいって言ってるからさー。
「…でしたね。ということは…」
「そうだ。少年、何故かは分からないが君も奴らに狙われてしまっている」
「………むう…」
不服そうに頬を膨らませる少年。それもそうだ、少年からすれば完全にとばっちりを受けているようなものである。人によってはブチ切れていてもおかしくはないだろう。
それに感づいたらしいトロアが「あれ」と声を漏らし、私に耳打ちしてきた。
「エリーザさん、それ完全に俺らのとばっちりじゃないッスかねぇ…」
「……そう、だな」
「そうッスよねぇ……」
あちゃー、と割と呑気に構えているトロア。こいつには責任感というものは無いらしい。
不可抗力に近いとはいえ、流石にこのまま少年をほったらかすのは違うだろう。それに、明日には何やら待ち合わせをしているようだし……
「なあ少年、明日は私が君の護衛をしようと思うのだが……」
「んー……だい、じょーぶ…。というより、来ないで、欲しい…かな…」
「そ、そうか……」
当の本人がこう言っているのだから、余計にバツが悪い。確定はまだしてはいないが『スコーク』が少年を狙っているとわかっている以上、放っておくのは私が許せない。
(……仕方ない)
私はある決意を固め、それなりに時間が経っていることに気づく。もうすぐで夕食の時間になる、食堂へ移動しなければ。
「ああ、もうこんな時間か。少年、すまないが私たちは食堂に行かなければならない。その間、この部屋から出るんじゃないぞ」
「うん……ちゃんと、隠れる…」
「そうだ、よく覚えてたな。……それじゃあ、行こうか」
「はい」
「はいッス」
こうして私たちは少年を残して食堂へと向かった。さて、今日はどんな料理が待っているのやら。
▼
「行った……かな…」
僕は扉に耳を当てて、3人の足音が遠ざかっていくのを確認する。足音が聞こえなくなったところで、ようやく扉から耳を離し大きく背伸びをする。
なんだか、よくない事をしているみたいだ。隠し事という点では、よくない事なのかもしれないけど。
「よい、しょっと…」
僕は窓を開け、外を眺める。キュリアさんの授業を聞いていたから気付かなかったけど、いつの間にか高く昇っていた太陽はもう地面に潜りきっていて、今は月が暖かな光を降り下ろしている。
そこで、部屋の中に一匹の蟲が入ってきた。どうやら配達をしてくれていたようだ、彼の口には赤い木の実が
「ありが、とう…」
彼の頭を人差し指で撫でると気持ちよさそうに「キュー」と一鳴きして、夜の闇へと戻っていった。
僕はそれを見送ったあと窓を閉じ、その木の実を耳に入れる。すると、いつも通りその木の実からはアノ人の声が聞こえてきた。
『あーあー……聞こえておるか?』
「うん…バッチ、リ…」
『そうか、それは良かった。それで、何があったのじゃ。緊急連絡用の蟲が我のところに来たから、お主が危険な目にあっているのかと思うたぞ』
あれ? 送る子を間違えちゃったのかな…? とも思ったけど、フォルテルに入る前に口の中に隠した蟲は1匹だけだったから、それはあり得ない。
「あれ…『僕は、だいじょーぶ』っていう、連絡の、はずだったんだけ、ど…」
『じゃから余計に心配になったのじゃよ。それで、どうした? 声を聞く限りピンチっていうわけではなさそうじゃが……』
どうやら、その連絡が逆効果だったらしい。相変わらず僕のことになると心配性な人だなあ。それが少し嬉しい気もするんだけど。
「今ね、僕、フォルテルに、いるの…」
『フォルテルじゃと? あのエルフの国のか?』
「うん…」
木の実の向こうから深いため息が聞こえる。
そんなことされても、僕だってこうなりたくてこうなったわけではないのだから、少しは見逃して欲しかったりする。
色々聞きたそうにしていたけど、結局諦めたのか明日に回したのか、僕がフォルテルにいる理由は聞かれなかった。
『まあよい。それで、明日に我のところまで来れそうなのか?』
「だいじょーぶ、って聞いてる…」
『誰に言われた?』
「エリーザ、さん…」
『あー、あの小娘か……』
どうやら、エリーザさんのことを知っているみたいだった。やっぱり凄い人なんだなあ、エリーザさん。でも、キュリアさんより凄い人らしいし、それも当然なのかもしれない。
『あの小娘なら大丈夫じゃろ。気をつけてくるんじゃぞ』
「あ、あと…」
『ん? なんじゃ?』
「えっと、ね…『スコーク』って、知ってる…?」
『……何があったんじゃ』
さすがというか、やっぱり『スコーク』についても知っているみたいだった。僕は今日起こった、たくさんの初体験を説明することにした。説明しながら、今僕に起こっている事の理不尽さに涙を流したい気持ちになる。
やがて全体のあらましを話し終わったあと、木の実の向こうから『ふーむ』と真剣な声が聞こえてくる。
『めんどい奴らに目をつけられてしもうたのう、お主。じゃが、お主なら撃退なぞ楽勝じゃろう。なぜそうしなかった?』
「この力、は…あんまり、使いたく、ない…」
『勿体無いのう……まあ仕方ないかの。明日は用心してくるんじゃぞ。もしピンチなら、遠慮なくその力を使え。よいな?』
「……ぶー…」
『ぶーたれても駄目じゃ。お主は友人を危険なことに巻き込みたくないんじゃろ? なら自分の身は自分で守れ。通信を切るぞ』
これ以降、アノ人の声がこの木の実から聞こえてくることはない。僕はその木の実をいつも通り口に含む。甘酸っぱくて美味しい木の実だ、僕の好物の一つでもある。
僕は柔らかくてふかふかなソファに仰向けに寝そべりながら、ぼんやりと明日のことを考える。
もし、明日森を歩いているときに変な人たちに捕まったらどうしよう。やっぱり戦わなくちゃいけなくなるのだろうか。でも、友達を戦闘に参加させたくはないからなあ…。
「ああもう…どう、しようかなあ…」
やっぱり力を使わなきゃいけないのだろうか。それもヤなんだけどなあ、背に腹は変えられないというやつなのかなあ。
ソファの上でゴロンと寝返りを打つことでうつぶせになった僕は、ソファに顔を押し付けたまま、小さい声で言った。
「こんな肩書き、いらないのに、なあ…」
そんな僕のか細い呟きは誰の耳にも届くことなく、僕を優しく抱きとめるソファに吸い込まれて消えた。
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